呪詛



 一瞬間だけ、夢を見た気がした。


「……っ」


 ふらついて膝を曲げ、前屈みになる。今まさに異人の少年に剣を振り下ろそうとしていたほうは王の不可解な様子に動きを止めた。

「……?どうした、」

 しかし言い終わらないうち、その腰にへばりついた敵をみとめ即座に蹴り払った。


「おい‼」

ゲーポ⁉」


 支えた臣下の手にべったりと、床と同じ赤い水が付く。

「……平気だ。皮甲よろいで止まった。それより、ンガワン。それを殺すな」

「けどよ」

「いいから」

 ンガワンは転がった子どもの首根っこを踏みつけ、手から短刀を取り上げてほうった。

「おい、どっから出てきやがった。お前もこんなガキに後ろを取られるなんてらしくねえぞ」

「……だな。それで?何者だ?」


 泣きながら不思議な眼の色で睨み上げてくる子ども、苦しげな口端に泡を浮かべた。


「ンガワン、足をどけろ」

「その前に腕を折る」

 やめろ、ともう一度禁じられ、ンガワンは渋々従う。細腕をねじり後ろで縛った。

 起きなおった子どもは咳き込み、見回した一点で止まる。

 赤黒く乾いてきた血海に転がされているのは、


大君主デルグ‼』


 もうあるじには下僕へこたえるための口は見当たらない。死体は首から上が欠落していた。

 どこ。どこに。必死で男たちを凝視し、若いひとりが提げた塊を発見した。


「返せ!デルグを返せっ‼」


 叫びと共に兵は慌てて顔を押さえ、塊を取り落とす。ンガワンの一瞬の隙を突き、駆け出して首に覆いかぶさった。

『デルグ……デルグ』

 鼻をつく濃い鉄錆のにおい、もう冷えてにかわのようにこびりつく血も構わず、ほどけた包みの中身に頬擦りした。

『おいていくな……おねがい……』

「一緒におくってやる」

 ンガワンの冴えた呟きに背筋が凍りつく。と、やめてくれ、と少年が二人の間に割って入った。

「オレは、どうなっても。だかラ、こいつだけは、タスケテくれ」

 こちらもほどけたくつわを吐き出し、たどたどしい片言で大人たちに懇願した。

「今はコンナだけど、いつもは従順デ、ヨク働く。だから」

「王に刃を向けておいて?」

「それは、アンタらがデルグを殺したからだ‼」

「そうだ、卑しい猿ども!デルグを返せよぉ‼」


 子供二人の責め立てを敵国の王は眉ひとつ動かさず聞いていたが、やがて一つ頷き、少年の縄を切った。

「えっ……」

「谷に連れて帰る。どうせ孤児みなしごだろう?収穫の真っ只中で人手が足りないからな。お前、名があるか?」

「イシグ……」

「イシグ。戦いで若い男も随分減った。働いてもらう」

 ンガワンは異を唱えた。

「待てよ。こいつはオグトログイの小姓だぞ?いつ裏切って寝首を掻いてくるかしれねえ」

「ヒュンノールの戦士たちは他にもいる。言い出したらきりがないじゃないか」


 イシグは逡巡して視線を泳がせたが、やはり命乞いした。

「コイツも、助けてくれ」

『助けなくていい!』

 膝で囲った皺首に涙は滂沱ぼうだと落ち続ける。固く閉じていても抑えようなく、とめどなくこぼれた。

『さわるな。デルグにさわるな!』

『諦めろ、オルヌド。デルグは死んだんだ』

 イシグが呼びかけた名に王は初めて眉をひそめた。「オルヌド?」

「呼ぶな野蛮人。みんな出てけ」

「お前の主人はそれほど良い奴だったのか?」

「ハ……」

 いきなりあごすくわれぽかんと見上げた。それでようやく眼を合わせた。


 赭土あかつちで塗りたくった顔、しかしそれよりも驚いたのは男の頭にだった。きっと陽の下では眩しくて直視できないほどであろう白銀の豊かな毛髪は太い編みこみが何本も腰まで垂れ下がっている。彼が観察するように傾げた動きに合わせゆらゆらと揺れた。


「ヒュンノールのオグトログイ。こいつが馬で駆けた後には麦の一粒も残らず死体の山ができる。男は皆殺し、女は略奪され子供らは売り飛ばされるか奴隷になる」

 じっと深い、射抜くような眼差しが、嘲笑するでもなく、睨むでもなく見つめてくる。淡々と続けた。

「何十年と侵略と征服を繰り返してきた極悪非道の男だ。お前はそんな奴をなぜ庇う?」


 問いかけに子どもは答えなかった。またぎゅっと眼をつむり、「うるさい」と呻いた。


「何も知らないくせにごちゃごちゃ言うな」

「何も知らないのはお前のほうだな」

 溜息をついて手を離し、血濡れの首をするりと取り上げた。

「あっ!」

「帰るぞ。誰か、こいつらを乗せてやれ」

 戦勝の証を包みなおして鞘に引っ提げた。

「待って!デルグをどうするんだ?」

「城門に架けてハゲワシとカラスにつつかせるのさ」

 意地悪いンガワンがせせら笑う。「腐ったら焼いて骨を砕いて便所にく」

「最低!死人をいたぶるなんて、この恥知らず!」

「てめえの主人はそれほどうらみを買ってるってことだぜクソガキ」

 小突いてきた指にどうにか噛みつこうとしたがあえなく他の兵たちに取り押さえられ、布切れを口に放り込まれた。荷物のように軽々と抱えられつつ、先行く白い頭を渾身の力を込めて睨んだ。

 絶対に、絶対に許さない、と呪った。振り向きもしなかったが、呪い続けた。




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