敗北



 しん、と再び元の静寂を取り戻した。いったいどれほど経ったか、と朦朧もうろうとする頭をもたげた。視線の先、金糸を編み込んだ敷物の上に拡がる赤黒い染み。


『――本当にこれがヒュンノールのオグトログイ、か?』


 まるで天気の話でもするかのような落ち着いた男の声が響く。『だれか、顔を知っている奴を連れてこい』

『もう側近は捕らえるか殺しちまったぞ。……ああ、ひとり、ガキがいたな』


 聞き慣れない言葉だった。でも分かった。空気を食むような話し方。

 震えを止められないままでいれば、少年がひとり引き出される喧騒が破壊された扉の向こうから聞こえ、抵抗する唸りは中の惨状を認めるやいなや引きれた呻きに変わる。声は出ない。くつわを噛まされた彼は雄叫おたけびと思しき音をあげながら首を振った。


『ああ、暴れるな。傷が開くぞ。……間違いないようだ』

『てことは、俺たちの完全勝利だな⁉よっしゃああ‼』

 歓声が沸いた。

ゲーポよ、その小僧は手が付けられぬ。それもここで始末してはどうか』

 ふいに言った老兵の提案に戦慄し、恐々としてほんの少しだけ頭を突き出すと、すでに少年は床に押さえつけられていた。


 ゲーポと呼びかけられた男のほとんどは見えない。視界にかろうじて映る黒い長靴は動かず、悩むような間が空いた。

『すでに見張りが二人やられた』

 たたみかけに息を吐いた。

『……そうか。分かった。好きにしたらいい』

『じゃあ総仕上げってことで』

 さっきから軽い口調の別の男が血濡れた鉄剣を振りつつ少年の脇に回る。


(だめ……だめだ……‼)


 耳の奥で早鐘のように鳴る動悸と額から滝よろしく溢れる汗に打ち震え、全身が猛烈に熱くなった。沸騰する血が恐怖を押し伏せ、坂を駆け登るごとく顕現けんげんしたのは天をくほどの忿怒ふんぬ。我を忘れて玉座の下からい出た。


 殺してやる――――‼




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