末文

末文 詩家



 急な山の斜面を、息を切らしながら一つの人影が登ってゆく。


 とっぷりと暮れた日の代わりに、薄い爪のようになった大き星が天に浮かんでいる。進み行く中で、それが枝葉の向こうに見え隠れするのだ。

 人影は、実に武人らしい体格をしていた。強面こわもて、と言ってさわりのない面相をしているが、その目元以外は布で覆い隠していた。これは、彼が決して正体を知られてはならない立場にあるからである。


 彼は、えいしゅうに配された『とう視隊したい』の平隊士だ。


 生まれは旧神州しんしゅう。親の一交に妣國ははのくにの血を持つが、その容姿は姮娥こうがそのものだ。雄性ゆうせい二種にしゅ。本人の自認もおす。職務規定の為に残念ながら自身のこうを持つ予定はない。欲は専らくるわで発散させている。雌性しせいが寄り付くような容姿でない事は自覚しているし、その辺りについては当に己に見切りを付けた。


 男の手には、包みとくわが一本ある。包みの中身は黄師こうしの隊服だ。己に支給されている物の替えである。恐らくそれでゆきたけは合うはずだ。似た体格だった事がこうして作用するのだから、本当に何が幸いするかは分からぬものである。


 男が登っているのは、瀛洲の東の河から上がる獣道だ。

 目指す先はそう遠くない。

 やがて――木々の間に横渡しに張られた綱が見えた。


 境界である。


 綱の一歩手前に、古い松の木と巨石が寄り添うようにしてたたずんでいる場所がある。その傍に立つと、男は荷を放り出して、昨日出来たばかりの土饅頭を見下ろした。



「――来ましたぞ」



 次の瞬間、



 ずぶっ――と音を立てて、土饅頭から何かが生えた。



 男は腕組みしながら、その土から生えたものを見下ろす。その正体は――腕だ。筋骨きんこつたくましい、きたえに鍛え上げられた右腕だった。

「かーっ、がはっ、ぐっ!」

 右腕に続き、今度はずぶりと左腕が生える。せ込みながら、ずるずると墓から這い出てきたそれは、頭に砂と土塗れの頭陀ずだぶくろを被っている。それを剥ぎ取りながら土を崩しつつ全身を地表にあらわにしたのは――一人の男だ。老爺だ。


「よう。『筒視隊』のひら。――ええと、お前、何番だった」

「五ですよ」

 溜息を吐きながら、男は笑う。

「一昼夜まっていた気分はどうでしたか?」

「もっと早く来やがれくそが――ってとこだな」

「全く口の悪い。無茶言わんで下さい。これでも骨を折ったんだ」

「ああ分かってる」

 本当にこのじじいは分かっているのだかどうだかと、男は内心鼻白はなじろむが口に出す事はしない。恐ろしいからだ。



 老爺ろうやではあるのだが――その存在感たるやあまりに凄まじい。



 短く刈り込んだ頭髪は白。両の眼は五邑ごゆうの白内をよそおえる程度に色の混じった白。これは、この男も妣國との混血だからである。ぎらりと鋭い眼光からは、おすとしてのおとろえなど微塵も感じさせぬという自負が垣間見える。総じて――ああ、このじじいにだけは喧嘩を売ってはならぬと――そう思わせる人物であった。



 ――いいか。俺が死んだら棺桶はいらねぇから、袋に入れて適当に穴掘って、この辺に埋めてくれ。



 流石に、棺桶に入れられては、こうも易々やすやすと土から這いいでる事は叶わない。してや他の邑人と共に埋葬されては人目を忍んで助けに来させる事も難しくなる。つまり、彼がくわを持参したのは、墓を掘り返すためではなく、土饅頭を作り直すためだ。

 爺が彼の持参した隊服に着替え直している横で、親切にも土饅頭を盛り直す。同郷の生まれという、ただそれだけのよしみでここまでやってやる必要もなかったかも知れないが――単純に、彼はこの男の作る詩歌が好きだったのだ。

 ふいと思い立ち、男は爺の方へ目を向ける。筋肉の隆起した爺の背中が、隊服に覆い隠される瞬間を目撃する。どうも――少し小さかったらしい。


「そういえばあんた、妣國の方のしゅはなんといいましたかね。薜茘へいれいの――」

食法じきほうだ」


 つまり、坊主の説法を喰らう餓鬼がきである。


 食法は、人の血肉も精気も食わないが、優れた理論理屈を食わねば死ぬ。自然、知能の優れた者のそばまつろう事になる。

 これは自らが得た智では意味がない。周囲にある優れた知能を持つ者から発せられる言葉――「説法」でなくてはならないのだ。

 だから、宮廷を出奔しゅっぽんして瀛洲へと辿り着いた爺は、見込みのある者を養子に取り、それへあらゆる教育をほどこし、それが発する「智」を喰らって生き延びてきた。

 海は死屍散華で汚れたから魚介は食えない。僅かな山菜と、井戸の水でさらしにさらした野菜。それから――山で狩った猪。

 好きで数多あまたけだものほふって来たわけではない。屠殺とさつにも慣れていた訳ではない。弱る事なく生き伸びる為に。やれる事をやり尽くした。

 本当に、お尋ね者の姮娥こうがを受け入れかくまい続けるなど、この瀛洲という邑の長一族は、慎重なのか執念深いのか豪胆なのか分からぬ。しかしお陰でこうして、今がある。

「ところで、あんたを埋めた五邑の坊主、ありゃあ孤児だったんでしょうが。一人にして大丈夫だったのですか」

 男がそう問うたので、爺は「はっ」と鼻で笑った。



「あれを誰が育てたと思ってやがる。――あれはな、俺の持ちうる全てのと技術を飲み込んだ男だぞ。はくの宮廷作法ですら使い分けやがったバケモンだ」



 言いながら、爺の目が、じっと虚空の大き星をにらむ。

 かつて宮中に仕えた、ある著名な詩家がある。これが赤玉のかたわらに侍る栄誉と幸福を一遍詠んだ。これは、赤玉の側近であったげつじょえんを、その来歴からして皇帝に相応しいとその栄耀栄華を讃えたように見せかけ、その実際は、赤玉無き昨今の不遇と慟哭を織り交ぜて弾劾したものだったのである。

 この、臨赤りんしゃくの由来となった詩を詠んだ詩家は、元を辿たどれば廂軍しょうぐんの出身であったとされる。



 名を、りょ南方なんぼうと言う。





         『白玉の昊 破章』 完


          続 『白玉の昊 急章』



https://kakuyomu.jp/works/16817330652654579202/episodes/16817330654331991372#end

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