95 寶



 するり、と引き下ろされた先に待ち受けた眼は、なまりのようにぎらりとにぶく輝いていた。

 かじは、静かに戦慄する。ゆうの眼に現れたのは、焼けた金属のような激しくどす黒いたぎりだった。それは抑え込まれ続けた憎悪となげきの表出に他ならなかった。

八重やえ、そして蓬莱の藤之ふじの保食うけもち。この二人だけが、今、明らかになっている白玉の器の継承候補者だ。皮肉だが、月朝はこれまで以上に厳重に守りを固めてくるだろう。場合によっては、君達は方丈に召集される可能性もある」

「それはっ……」

 血相を変えた長鳴ながなきは、しかしそのまま黙った。熊掌はふわりと微笑んだ。

「大丈夫だ。僕がそうはさせないよ。八重も、信じて待っていてくれるね?」

 熊掌の視線に、八重はただ「うちは、熊掌のほうが心配やわ」と困ったように笑った。

「対外の話はこの辺りとして、少し違う話をしておく。多分とても重要な事だ」

 突然調子が変わった事に、梶火は面食らった。

「どうした?」

 熊掌は心から楽しそうに笑った。



「僕はもう、白玉に接触できない」



「――はぁ?」

 完全に予想外だった言葉に、思わず梶火の口から頓狂とんきょうな音が漏れた。思わず腰を浮かせかける。

 動揺の程は長鳴も八重も変わらない。この二人は――そっくり同じに、口をあんぐりと開けて固まっていた。

「あ、兄上? それは一体……どういう」

「文字通りだ、長鳴。僕は白玉の……彼女の方に拒絶されている」

「嘘やん、そんな阿呆あほうな話ある? ていうか、彼女の方って何?」

「それがあるんだな。自分でよくわかる。僕の中にはもう、死屍しし散華さんげが存在しない」

 驚愕する三人に、熊掌は語って聞かせた。

 この七年もの間、熊掌が白玉の間ではなく『神域しんいき』という空間に引き込まれていた事。そこにいた瓊瓊杵ににぎという男とついに対話を果たした事。かつ、自身がその顕現けんげんうつわ――形代かたしろの子と化しつつある事を。

「白玉というのは、つまり、僕にけんげんしうるだろう瓊瓊ににと、それに反発し拒絶している彼のさいとが合祀ごうしされたものなんだ」

「夫婦一柱、ということですか?」

 確認する長鳴に熊掌は頷く。

「そうみたいだ。――で、僕の中にあった死屍散華は消失した。それと同時に、入れ替わるようにして別の力が蓄積されている。奴は、これの事を破砕牙はさいがと呼んでいた。破砕牙も恐らく、その性質は死屍散華と似たような物なんだろう。で、僕が白玉を継承すれば、現れてくる「識」は瓊瓊杵の方で、表出する力も破砕牙の方になると」

「そんねん、急に言われても……」

「見て」

 熊掌が八重に手を伸ばすと、激しい衝撃音と共に弾き返された。呆気にとられた三人を前に、熊掌は苦笑した。

「と言う訳で、僕は完全に白玉に、というか、そのさいの方に嫌われてしまっていてね。ねえ、八重。君、もしかしてこの七年の内に、実はものすごく死屍散華の力が強くなっていたりしない?」

 熊掌の突然の問いかけに、少しうつむいてから、悪戯いたずらににっと笑った。

「ばれた?」

「うん。何となくそうなんじゃないかなって思ってた」

「ほな、ちょうどええから、うちも話すわ。長鳴」

 二人は顔を見合わせると、ゆっくり頷きあった。

「うちは、この冬からやな、妙な夢を見るようになった。あと、白玉に触れてるうちにも、なんや、白玉の記憶? みたいなものも見えるようになってしもて」

「白玉の、ってことは、異地いちの?」

「……うん。多分間違いなく、白玉とうちらの御先祖さんをこっちに送り込んだみかど一族の夢やと思う」

 言いながら、しかし実際のところ八重は少しうたがっていた。

 白玉の記憶と呼ぶには、あれはあまりにも視点があちこちに散らばり過ぎていたからだ。本当はもっと、白玉に関わってきたたくさんの何かの過去をのぞき見てでもいるかのような、そんなもののように思えてならなかった。しかし、ここは敢えて混乱を防ぐべくそう言う事にした。



 八重の中に、嗚咽おえつ交じりの悲鳴がよみがえる。

 あれは、最初にみた夢だ。

 今思えば、見覚えのある顔だったのだ。あれは、あの惨殺の夢で「母上」と呼ばれていた女性の肩を後ろから支えていた人物だった。

 少女――いや、少年だろうか? どちらとも断言しづらいその人物が、異地人に二人がかりでいしどこに押さえつけられている。腕と肩を掴まれて石床に貼り付けられたまま、必死にもがいているのだ。

 その人物は長い白髪に白い両眼、そして透き通るほどに白い肌の主だ。明らかに月人だ。

 月人の少年は、泣いていた。

 彼の前には、石棺せきかんに納められた一人の女性がいる。それは――



たから‼」



 石床にその頬を押し付けられたまま、彼の眼からはとめどない涙が伝う。

「だからっ……、蜻蛉あきつしまから出ようとしちゃ駄目だって、あんなに言ったじゃないか!」

 石棺の中の女性は、初老を過ぎた頃に見えた。それこそまさに、今日白玉の膝の上でまどろんでいる時に見た、「母上」と呼ばれた女性その人だった。

 淡くそばかすの浮いた肌に、今にもぱちりと見開きそうな切れ長のまなじり何時いつも通りに今にも小言を言いだしそうな唇。まだ全てここにあるのに。もうそこに彼女の「識」がない事は明らかだった。

「なんで、なんで……っ」

 少年の魂からの叫びに、八重は耳を塞ぎたかった。しかし夢の中の事。何一つ為す事はできない。



「なんで、受け取ってくれなかったんだよ‼」



 少年の手には、赤い石が握りしめられている。強く握り締め過ぎた指先は赤く染まっていた。

 そして、棺の中の女性の枕元には、それと全く同じ――否、縦に真二つに割られた、赤いあかい勾玉が一つ、ころりと転がされていた。




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