94 四者会合


          *


 の刻を過ぎる頃には、外を出歩く者ももうない。

 流石さすがに予定よりも随分遅くなってしまっている。長鳴ながなきは帰り路を急いでいた。つい今しがたまで、彼は邑長ゆうちょう邸にこもっていた。

 不思議なものだと思う。この歳月で自身の住処すみかは完全にかつての師の住まいへと移ってしまった。母も叔父も邑長邸にいるというのに、すでにそこに帰属意識はないのだ。仕事の為に滞在する時間は長いが、身を休める場ではない。共にあの邸で起居する彼等が、今の長鳴にとっての家族なのだ。

 不在がちな兄達よりも、自然、八重やえの比重が重くなる。如何に頭を振り払おうと、ふとした時に思い知らされる。日増しに彼女の事を考えている己を、否定できなくなっている。だからといって、何がどう動くわけではない。動かすべきでもないと思う。己一人がうわついている事は十分に承知していた。背負う物の重さから見れば、自分一人だけが空手からても同然なのだ。悟堂邸の門扉が目に入る頃には、長鳴も気を切り替えてその表情を変えた。

 長鳴が邸の戸を叩扉すると、すらりと開けたのは梶火かじほだった。

「遅いぞ」

「済まない。最後の薬を仕上げていた」

「――できたのか」

「ああ。明日にも出られるよ」

 梶火は辺りを見回してから「早く入れ」と彼を招き入れた。

 屋内には既に、熊掌ゆうひ、八重、梶火の三人がそろっている。

「やっぱり僕が最後か。ごめんね」

「否、無理を言ったのは俺だったな。済まなかった」

 梶火の謝罪に首肯して見せると二人は土間から上がった。

 八重と熊掌は既に所定に置かれた丸座布団に座している。四人は常の如く車座になると、その中心に置いた一本の灯火をはさみ、幾度目か知れぬ会合に臨んだ。

 口火を切ったのは、何時もの如く熊掌だった。

「まず、長期間の留守を済まなかった。長鳴、八重」

 二人は無言の内に首肯する。

「今回の不在中に、八重以外で参拝した者はいる?」

「うん。この半年の内やと三人やね。皆女」

「――ひとりはやっぱり」

「うん。きよ香。うちが風邪引いてる間、あの子が代わってくれたんよ」

「そうか。――冷え込みがきついと脚も痛むだろうに」

「うん。後でねぎらったって。せやから、少しやけど下がりの品も溜まったんよ」

「わかった。それはそのまま保管維持を」

「うん。――あと、すごく言いにくいんやけど」

「なに?」

「――髪をあずかって確認したわ」

 長鳴一人が険しい顔をしてうつむく。

「しのは、『色変わり』せぇへんかった」

 八重の言葉に、熊掌と梶火が眼を見張る。

「ほんとか、そりゃ」

「ほんまや。一切変色なし」

「兄上の娘なら、そりゃそれが自然というものだけれど……」

 眉間を険しくした長鳴の言わんとするところは全員承知の事だ。ここにいる皆が、しのの実父母が蔓斑つるまだら汐埜しおのだという事を知っている。それでも『色変わり』が出なかった。

「――あの二人のどちらかでも、邑長の家系だった事はあるのか?」

 梶火の言葉に熊掌は頸を横に振る。

「わからない。五百年もあれば多少は混じる事もあるだろう。しかし、全くとは……」

「先祖返り、という事かも知れませんね」

 長鳴のつぶやきに、熊掌は「どの道、この事実は隠蔽いんぺいする。いいな」と三人に断じた。

「八重には申し訳ないが、うつわになり得る女の数は極力少ない方がいい。守りが足りない事が最大の理由だが、これがこちらの切り札である事も事実なんだ。恐らくそう考えて隠しているのは、えいしゅうだけではないだろうけどね」

方丈ほうじょうが、って事はねぇだろうな」

 梶火の言葉に、熊掌は苦笑しつつ首肯する。

「うん。その可能性も考えて注視してみたけど、そんな事はなさそうだよ。大体、あの環境下では隠しようがないし、そもそも利点がない」

「じゃあ、やっぱり蓬莱ほうらいか」

 熊掌は片頬を上げてわらう。

「あそこはね、昔からふんわりと疑わしいらしい」

 熊掌の言い回しに、長鳴が思わず苦笑する。

「ふんわり、ですか」

「方丈の曰く、歴代振る舞いがどことなく胡散臭うさんくさいのに、決して尻尾を掴ませないらしい。今の長も狐のような顔をした男だ」

「隠すって事は、対、月朝に向けての戦略、って事やんな?」

 熊掌は、ぐさの丸座布団の上で脚を組みなおしてから「それだけじゃない」と苦い顔をする。

「器がなければ白玉はくぎょくの継承は途絶える。そうすれば月朝は死屍散華という巨大な力を喪失する事になり、抱える問題は未だ各地で群発している内乱のみならず、白浪はくろう仙山せんざんの襲撃、更には現在停戦を維持している妣國ははのくにの軍事介入をも引き起こしかねない。――仙山はともかくも、七年前の追求を逃れた白浪が器の殲滅を狙う事は十二分に考えられるんだ」

 長らくその存在を水面下に隠してきた仙山は、四年前の高臼こううすとの大激突を経てその存在が天下の明るみに出た。結果破れ離散し、その規模は縮小しつつも何処かに分散潜伏していると聞かれる。結局月朝は、四年前のその時も、仙山の本拠地を暴く事はできなかったのだ。

 八重が難しい顔をする。

「白浪てのは、御子がいたはるとこやろ? そんなところが、うちの命狙いに来はるん? 兄さんの友達やって人やろ?」

 熊掌と梶火が目配せしあった後、言葉を引き継いだのは梶火だった

「白浪の所在が分かった」

 梶火の言葉に、「どこや」と八重が問う。

妣國ははのくににいる。女王が後ろについた。正確には女王の息子の素戔嗚すさのおが、だがな」

「うっ――嘘やろ⁉ 白浪て、白臣やん。妣國ははのくにと戦争しとったやん!」

 熊掌が「その白浪が、月朝に使者を立てた」と断じた。

「いつ⁉」

「既に一月ひとつき以上は前だ。僕が帝壼宮を発つはずだった日に使者が訪れた。使者に立ったのは御子の御母堂――彼女が、素戔嗚の娘だったんだ」

 梶火が隣で顔を険しくしながら首肯する。


「この邑は、五百年もの間、どえらい物を隠し持っていたってわけだ。――大兄、先代達は知っていたと思うか?」

「否、知らんだろうな。知っていたら早々に母子共々そちらへ送り込んだはずだ。対月朝の即時武力という意味なら妣國ははのくにに勝る物はない」


 熊掌がこれらの事実を知り得たのは、悟堂の覚醒から三月みつきを経た後の事になる。これは、子涵ずーはんでは理解に浅く聞きらしていた事を、実際に聞きに走ってくれた仲間の下女が後から追いかけてきて熊掌に聞かせてくれた。

 悟堂の覚醒後、食国から下された命に従い、白浪は仙山の大本営を突き止めていた。宇迦之うかのはその結果を持ち、素戔嗚の手勢を引き連れ帝壼宮ていこんきゅう入りした。


 五百年ぶりの如艶じょえんとの再会は、酷く静かなものであったという。


 先帝の種を持つ交が、簒奪後血の滲むような努力でようやく停戦を結んだ妣國ははのくにの女王の血を引いていたと発覚したのである。宮城は、尋常ならざる焦燥に満ちた。方丈に滞在していた熊掌の帰邑が一日遅れるのも無理からぬ事だったのである。

「白浪のみならず、妣國ははのくににとっても、食国は正統な血筋を引くものだったと判明した。――これは、非常に難しい局面になったと言わざるを得ない。誰にとってもだ。白浪は月朝への手土産として、仙山の大本営の所在地を明らかにして見せた。七年前に死屍散華で水源を汚染し、不死石を奪取したのは白浪ではなく仙山なのだと。その証に、白浪頭領の花押を添えて、だ。更に……」

 熊掌が、ふ、と視線を下に落とした。梶火が顔を向ける。

「大兄。代わるか」

「――ああ。いや、いい。僕から言う。加えて大悟堂だいごどう、いや、四方津よもつ悟堂ごどうの身柄を保護していると、彼等は黄師こうしに提示した」

 腰を浮かしかけた長鳴が、しかし居住まいを正して膝の上で拳を握る。

「師範が……生きていたのですか」

「ああ。この七年、ずっと眠りについていたそうだ。――こうなったらもう、月朝は白浪に手出しができない。白浪はどうも、悟堂を間諜である『筒視隊』の所属であった事を理由として、その引き渡しを渋るつもりらしいんだ。彼方には御子がいる。悟堂が方丈の者だという事を知った上で、知らぬ振りをして人質として交渉に使うつもりなんだろうな。黄師と禁軍は、全軍を仙山に向けるだろう。八咫やあたの現在の所在は掴めていないが、今も仙山に留まっていたとしたら、彼の身がどうなるか、僕にはもうわからない。何一つ保証が出来ない」

 厳しい顔でうつむ八重やえの肩に、長鳴がそっと手をかける。二人の様子を見てから、熊掌は自嘲に満ちた笑みを浮かべた。



「そういうわけで、僕が今までやってきた事が、ようやくここに結実するわけだ」



 頭の後ろで両掌を組みながら、熊掌はゆっくりと背中を丸めてゆく。そんな彼の姿に、八重と長鳴は言葉を失う。

 梶火を除いてこの七年、熊掌は、人前でだらしなく姿勢を崩す事などなかったのである。しかし、それはすぐに立ち消えた。再び姿勢を正し、鋭い眼差しが三人に向けられる。

「整理しよう。白浪が月皇に使者を立てた件について僕が知り得たのは一月前だが、時期的に見ると、梶火が白浪の所在を突き止めたほうが先だな?」

「ああ。二月半、いや、ほぼ三月前だな。使者が立つって報が入って、その出所を探って把握はあくした。こういう事の情報を掴むのは臨赤りんしゃくの得手だからな。――ただ、師範を捕らえている事までは流石さすがに洗い出せなかった」

「お前の手勢はどれだけまとまった」

「ざっと五百万だな」

「思ったより早かったな」

 熊掌の言葉に「長鳴の腕が物を言った」と梶火は笑う。長鳴は静かに「うまく使ってくれたようで、安心したよ」と呟く。

 梶火は臨赤を掌握しょうあくして後、不干渉地帯に散らばる多くのまつろわぬ民と接触をし、長鳴の作ったものを取引材料として、更に手勢を増やしていた。

 にまつわるおもだった集団は仙山との関りが深く、梶火にも手出しができなかったが、妣國ははのくにに古く祖を持ちそこから離れた集団は、瞬く間に梶火の傘下さんかに下った。それとて、生半なまなかな事ではなかったが、常人とは桁外けたはずれの力を手にした梶火の下には、自然と力に頼む男達が多く集まったのである。

 熊掌は微かに目元を伏せる。

「本拠地が白日の下にさらされた以上、黄師と禁軍は仙山に向けて殲滅せんめつ戦を進めるだろう。梶火もそうだが、僕もなるべく急いで宮中に戻るつもりだ。死屍散華に頼るやり方は、結局全てを敵に回す事につながる。それが今正に顕在化けんざいかしているんだ。俺達は――」

 熊掌は両掌で静かに自身の顔を覆った。じり、と灯火が隙間風で揺れた。



「――何があろうと、この代で必ず全ての片を付ける」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る