86 入れて
じゃり、じゃり、と
山に掛けられた石段は長く急だ。その段を
石段の両脇にてんてんと続く石塔が、なぜだかほんのりと明るい。
毎日の事なので慣れたものである。
山は
かつてあれ程までに
現在は
――うちに全部丸投げしとるんやから、誰にも文句は
ふふん、と得意げに一人笑う。
時刻を厳守させられる事もない。
暗い中を心細く危なげに進む必要もない。
視界は良好。
丸きり、快適な散策だ。
本来八重は深刻な事が嫌いだ。
だが、
そんな時には道のりの半ばでふと足を止め、階段の途中で座り込んで山を背に潮騒を
この海の向こうに兄は行ったのだろうか。いや、聞いた話から考えれば方角は逆なのだろうか? 結局八重はこの年になるまで
じゃり、じゃり、じゃり。――へっくし。
思わずくしゃみが出て鼻先を
それにしても、と思う。
「五百年は長すぎるわ……」
下がりの品を用意したところで、参拝するのが自分では全ての
階段を上がり切り、祠の前に立つとその手に無造作に掴んでいた布を小脇に挟み、すぅと息を吸い込んだ。
「はーくーぎょくー。いーれーてー」
「おはようさん。今日も
八重が声をかけて隣に座ると、
顔面に黒い穴が
そっと白玉の両手が持ち上げられる。その、細く白い指先が八重の頬に触れる。
「ちめた」
くすくすと笑いながら八重はその指先を自身の手で包んで温めた。
〈八重? きょうは、ちょっと来るの遅かったんとちゃう?〉
「いやや、ばれてるわ」
落ち着いた優しい白玉の言葉に、八重は苦笑した。
「昨日な、
〈仕方ないやろなぁ。いまは、国中が落ち着きあらへんから〉
「あ、やっぱりわかるんや?」
〈そらな、うちの桜が国中に散ってるから、まるで国全体に自分が広がってるような気ぃがするわ〉
「そら大変や。うちらはあんたの体の中で生きてるようなもんやん」
八重は肩を
白玉とは、家族や
恐らく、父も彼女とよく
色々と根気強く話して聞き出したところによると、白玉と呼んではいるが、彼女の本当の名はやはりそうではないらしい。そして白玉そのものでもないらしい。また、器になった歴代の
どうやら、一番はじめに白玉をその身に下ろした初代器がこの「
今日は意識がはっきりとしているが、常にそうという訳ではない。もっと詳しく知りたい事は山のようにあったが、上手く聞き出せずにいた。
少なくとも確実なのは、八重も器になれば「識」は身体から失われるという事だった。
「なあ、もうここ数年うち一人でお参りしてるやん? あんたは厭やないの?」
〈うちはかまへんよ? 八重のことすきやから〉
「え、うれしい」
白玉から、再びさらさらと音が
〈
「『
白玉は――またさらさらと笑う。
〈うちのやなくて、この器の子の顔やな。えらい別嬪さんやったと思うよ〉
「
〈そうやで。もうずっとや〉
「その子とも、あんたこないしてお
〈ううん。あの子は喋らんわ。うちの体は方丈で寝たまんま。せやから、ここや蓬莱のほうでしかおしゃべりしたり動いたりでけへんのよ〉
「せやった、前にもそない言うてたなぁ。――『
白玉は小首を
「なあ白玉」
〈うん?〉
「うちはな、もうあんたの事わりかし好きやから、最悪あんたが自由に動く為にうちの体がいるって言うんやったら、くれてやってもええと
〈おおきになあ〉
白玉は八重の髪をさらさらと撫でる。光の粒子が零れ落ちる。
〈なあ、八重。うちにことがおきたら、桜はぜんぶあんたにあげるわ。あの子も褒めて愛してくれた、この世で一番きれいなもんやから〉
「
唇を尖らせる八重に、白玉はくすくすと笑った。
〈ほんまに、あんたはよう似とる〉
「それようゆうよなぁ? それ、どこの誰の事なん」
〈うちのことが大好きな子ぉや〉
さらさらと髪を撫でる手が気持ちよくて、八重はついついうつらうつらと居眠りしかかる。
〈――どうしてもなぁ、一緒にはおられへんのや、あの子とは。一緒におりたかったけどな、強い力で叩き割られてしもうたから〉
「叩き割る……」
〈うん。そういう
眠気に誘われて、ぎゅっと白玉の体を抱き寄せる。
ああ、まただ。
また夢に落ちる。
あの
しばらくうとうとした後、八重は白玉と「また明日な」と言って別れた。その一言だけで八重の体は
全く、あのひち面倒くさい参拝の決まり事とか言うあれやこれやは何やったんやと溜息を吐く。そしてそのまま祠裏の堂へと歩を進めだした。
「――ようこんな事続けてきたもんやわ」
五百年もの長い間。
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