85 舵を預ける
野犴が扉を閉めると、途端に臥雷は眉間に皺を寄せて頭を掻いた。
「本当に、立ち聞きなんかするつもりはなかった。俺がお前と話したかっただけだ」
「何故謝る? 配下に相談もしないで勝手な真似をしていたのは僕のほうだというのに?」
「
常になく歯切れが悪いのは、それだけ本音だという事だろう。
「確かに『
歩み寄ってきた臥雷は、ふいと、食国の足元に散らばった衣服を目に留める。そして、しどけない有様に難しい顔をして見せた。
「お前そりゃあ……男の前でする格好じゃねぇよ。七年前までならまあよかったろうが、王を差し引いても駄目だ。襲われてぇのか?」
「そんな事をしたら八つ裂きにされるのはやった奴のほうだろうさ。なんせ敵に回すのは
「まあ、
「僕にも返り討ちにするだけの力はあるさ」
「――お前、ほんと足癖だけはどうにもならねぇもんな」
苦々しい臥雷の言い草に、食国はけらけらと笑った。
「まあ、そういう
「俺は最初から反対しちゃいねぇよ。ただ、親父達が良い顔してなかったのはお前もわかってるだろう?」
「うん。仙山の所在が明らかになったら、それと、
足元の上衣を蹴散らしながら、食国は窓辺に歩み寄った。
窓の外の空は鮮やかな朱に染まる。星々が散り、黄金の雲が棚引く。
そして――青い大き星が存在しない。
これまで常に見てきたあの巨星が目に届かぬ。そんな場所に今自分達はいるのだと、天を
「で? 話があったんだろう? なんだ」
臥雷は、そこで――何故か
「なんだよ、黙るなよ気持ち悪いな」
「――なあ、お
「お前、それはいい加減に止めろ。次言ったら治る予定がない最悪の足癖で、そのどたまを踏み抜くぞ」
「ああ。そうだな。――じゃあ、
「あれでって?」
「
「そうだよ」
「それを危険に
臥雷は、真から食国に問うていた。食国は理解し、瞼を閉じると「ああ、そうだ」と答えた。
「八咫とは、
伏せた瞼を、静かに開く。
「八咫が『
臥雷は
「だから、本当にそれでいいのか?」
「何故そうまでして僕がどう思うかに
つい、と臥雷の目が食国の瞳を射抜いた。
「――お前の本心がそうじゃなかった場合、
低く重い言葉に、食国は窓に沿わせていた手をゆっくりと下ろした。臥雷は、ちっと舌を打ち、視線を床石に向けた。その先には、赤と金の衣が広がったままになっている。
「俺は今まで、そうやって踏んではならん
「
突然、
「おい、ちょっと」
「例え、
その言葉に、臥雷はその表情を
「王になろうなんて者が、たかが側近相手に軽々と膝なんか突いてんじゃねぇよ」
「たかがじゃないよ。お前も僕の民だ。その思いは天から下されるもの。それを、地に足を付けて確かに受け取る事こそが統治者の仕事だろう。違うか?」
二人の視線が噛み合う。かつてない事だった。二人が真から互いに向き合い、真の言葉を相手に向け、それを相互に受け止めたのは、正しくこれが初めての事だったのである。
七年前の経緯以来、二人の間に生じた
「王希よ。長い間、済まなかった。確かに僕の中で重きを置いてきたのは八咫であり
食国が添えた手を、臥雷は強く握り返した。胸の芯が潰されるように痛んだ。
己はきっと、この言葉をくれる王の出現を待ち続けていたのだ。天の高みから踏みにじるのではなく、大地の如く、この
「きっと八咫だって、同じように考えてる」
静かに澄んだ白い
「僕の命よりも、彼の命よりも、守られるべきなのは、民が
臥雷の手をとったまま、食国はゆっくりと立ち上がり、遠く天を見上げる。青い大き星の姿を見る事がない
「――信じるって、そういう事なんだよ、きっと」
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