87 桜桃
*
かたん、と背後で物音がした。
乾かし終えたばかりの布をたたんでいた
「お疲れ様八重。そろそろ一休みしない?」
「せやな、もらうわ」
長鳴は八重の答えに微笑みながら
これ以上はないと言わんばかりに伸びに伸びた
「なぁに? どうした?」
「あんたそれ、上背あるんは見栄え
「いや、さすがに僕もこれ以上は育たないでしょ。と言うか、これ以上伸びたら着られる
「そんなん言うて、去年もおんなし事言うてなかった?」
「――言ったねぇ」
「ほんで伸びとるし」
「――伸びたねぇ」
頭を掻きながら、長鳴は八重の
「ほやけど、ほんまにそうなったらどうする? あんたも
「――いや、どうかな、どうだろう。僕まで装束を朝廷風に改めてしまったら、朝廷に対して反感が強い人達の神経
「せやな、
「僕はしなくとも
「ああ……あいつみみっちいからな、そういうとこ」
好き放題に言い合える気安い仲になるまでには、それ
八重は伏し目がちに、さらりと頬に掛かった黒髪を耳にかける。長らく腰に届くほど長く垂らしていた髪だが、それを切ったのはつい先日の事だ。肩口で真っ直ぐに切り揃え、前髪も作っていた。
鈴を張ったような大きな
長鳴は両目を細めながら、その様子を眼に焼き付けた。それに気付いたのか、八重は
「そんなに
「いや、なんだか、あの頃と同じような髪型になったと思ってさ」
「何ぃ。あんたもおかんみたく子供みたいやて言うん? あの人
言いながら前髪を指さす。ここまで切るつもりも切らせるつもりもなかったのだろう。
「うん、まあねぇ。かわいらしくなっちゃったねぇ」
「馬鹿にしとるやろ、ほんまに」
「馬鹿にはしてないよ」
「ほなやっぱり子供扱いやん。……もう好きなように言うといたらええわ。うちに
「この
長鳴の返しに、八重はぶぅと頬を
窓の外を一羽の小鳥が羽ばたいてゆく。二人はそちらに視線を送ってから、どちらともなく、微笑みを零した。
「枝の新芽が
差し出された水筒の中の白湯を
「――七年とか、ほんまあっという間に過ぎるんやな」
八重の言葉に、長鳴もその歳月の重みを痛感する。
「ねぇ八重。祝いには何がほしい?」
「何ぃな、なんかくれる気やったん?」
「先月僕も八重からもらったじゃない。あれ程度の返しはするよ」
「厭や! ちょっと、
「塵って! 君、塵のつもりであれ僕にくれたの⁉ 貝殻の腕飾り⁉」
「あんた、仮にも
「うわー坊て! 懐かしいなそれ! でもほんと好い加減、坊はやめて? 僕もう二十三だからね?
「ほな、長鳴様ぁ」
「――やめて、ほんとにやめて。鳥肌立つから」
ぴーちるちるちる、と、間の抜けた
七年前、突如として年齢にはとても見合わぬ
握り飯の包みをここに運ぶ事も、それを開いて口に運ぶ彼女の様子を見守る事も、いつしか長鳴の日課になってしまった。そしてそれは彼にとって、かけがえのない大切なものとなっていた。
「ところで、
「落ち着いたどころか、もう学堂を開けてるよ」
「えぇ……何時の間に」
「兄上は朝からずっと座学をやりっぱなしだし、梶火も梶火で、庭で自警団の特訓だ。二人とも、体を休める時間すら惜しいらしい」
学堂というのは
庭もまた開かれている。自警団の特訓と言うならば、例の如く梶火が木刀を振り回して、日々の仕事を終えた男から容赦なくしごき上げているのだろう。
呆れ果てたように八重は盛大な溜息を吐く。
「うそやん、昨日帰ってきたばっかりやん――あの二人もほんま大概やな」
「ほんとにねぇ」
「南辰は休めって言うとらんの?」
「それは南辰が気の毒だよ八重。言って大人しく聞く二人だと思う?」
「――まあ、聞かんわな。ほんま加減を知らんちゅうか、人の話を聞かんちゅうか、一息
「まあでもそこはねぇ、兄上の独断であんな大転換をしたんだもの。力尽くで捻じ伏せるだけのものがなきゃ、男衆は特に付いてこなかったろうしさ。それに見合うだけの働きを滞在中くらいは見せておかないとって思ってるんじゃない?」
「おかげさんで、女衆からの不平不満は全部こっちに流れてきとるんやで」
「わあ、それほんと?」
「ただでさえ参拝うち一人で回してんのに、これ以上仕事増やさんとってほしいわ。――まあ、言うてもその愚痴聞いてほしさにお参りのお手伝いしますー言うて来る子等もおるにはおるんやけどな」
さすがの長鳴も、少し言葉を詰まらせた。
「――すまないね。負担ばかりかけてしまって」
声色が変わった事に気付いた八重は、ごくりと握り飯を
「そんな真剣に受け取らんといてや。気まずいわ。あんなん大したことやあらへん。毎日歩いて手ぇ鳴らして中入って体拭いて帰ってくるだけやもん。ただの掃除と大差あらへん」
「掃除って……」
あまりの物の言い様に長鳴が情けなく眉を下げる。八重は顔をくしゃくしゃにして笑った。やおら手を伸ばすと、長鳴の髪に指を突っ込み、ぐしゃぐしゃとかき混ぜた。身長差がありすぎるから、ただ伸ばすだけでは手は届かない。だから八重の腰は
「うちは大丈夫や。無理はせん主義なん、あんたが一番よう知っとるやろ。めんどくさくてやりたなくなったら、あんたに
「――そうだね」
髪を乱されながら、
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