83 茨道



 滔瀧とうたつがぶはっとき出した。その隣で珍しく射干やかんも口元に笑みを浮かべる。

「それは――思いのほか説得力がありますな」

 おすくには溜息をこぼしつつ腕を組む。

らい、お前の言う通り、死屍しし散華さんげを取りのぞかなければ、民の生きられる土地は取り戻せない。だが、継承を途切れさせて白玉を消失させれば、国土に満ちた死屍散華は確実に消えるのか?」

「それは……」

「確実にそうなるという保証がないんだよ。だからその手は選べない。だったら、やはり異地の帝との誓約にのっとって、せきぎょくと不死石を取り戻すのが最善手という事になる。かつて、白玉の関与なしに黄泉よもつ比良坂ひらさかを開く禁じ手に行き着いたの民が、我々自身の手で赤玉を奪還するという策に出た時、彼等がどんな末路を辿たどったか――知らないわけないだろう?」

 黙り込んだ臥雷をちらと見て、嘆息たんそく交じりに応えたのはりょうだった。



「――異地いちに降り立った瞬間に、大地にその身が沈み、骨は折れ、眼球は飛び出し、臓腑が飛び出て身動きがとれなくなり、そのまま助けが来るまで九十年近く彼の地に縫い留められました」

 


 臥雷が腕を組み、うつむきながらつぶやく。

「――今までずっと黙ってきたのに、今日は珍しくちゃんと教えてくれるんだな」

「私もさんも、自らが犯した失策について、そうそう詳しく語りたくはない」

 珍しく苦虫を噛み潰したような顔をする臥龍の隣で、さんも溜息を落とす。

「当時、赤玉が失われてよりおよそ百年。たい輿と融和した我等は打開を求めておりました。我も雪巌せつがん殿も血気がはやり過ぎておった。五邑ごゆうの民は皆即死で済みましたが、我ら二人はそうはいかなんだ……。自らの臓物が地に飛び出て撒き散らかされている様を見詰めるよりない九十年というものは、本当に思い出したくないものです。あれをして地獄の沙汰ではないというならば、我はもはや何をしてこの世の最悪と呼べばよいのかわかりませぬ程に……」

 静かな語りであるが、その言葉が伝える現実は重く生々しい。死屍しし散華さんげなくば死ぬ事すらできないの血があだとなったと言えよう。

 食国の目がその場に会した皆のそれに順次そそがれる。麾下きかもまた、食国の視線に応える。



「我々の力だけでは異地いちには降り立てなかった。つまり、自力で赤玉を奪還することはできないんだ。だったら異地が示した条件を呑むしかない。――異地の帝は、黄泉よもつ比良坂ひらさかつないで開き、かつて彼方あちらの軍神であった素戔嗚を取り戻す事を求めているんだろう?」



 しん、と冷え込むような沈黙が満ちる。

「その為にはにえを用意して『かん』を解除し、貴人きじんよみがえらせなくてはならない。素戔嗚を捕縛できるのはこの五貴人だけだからだ。――対して、その素戔嗚はあまてらすとの再会を祈念している。白玉はくぎょくを使えば、黄泉よもつ比良坂ひらさかは異地ではなく天照の元へ繋がる。つまり、異地の目的も、素戔嗚の目指すところも、『環』の解除による白玉の解放であることに変わりはない。しかし、妣國ははのくには大岩によってあちらの神々とは隔てられている。素戔嗚が天照の元へ向かう為には、まず、この大岩を破壊しなければならない。其れ即ち、素戔嗚の手に白玉が渡れば、あれは躊躇ためらいなく最後の障壁である大岩――つまり、姮娥こうがを破壊消失させるって事だ」

 こん、と食国の拳が卓子を軽く叩いた。



「国土消失に勝る災禍はない。白玉の解放の瞬間に、蘇りし五貴人になんとしても素戔嗚を捕縛させねばならない。その為にはげつとの交渉は避けられないんだ。――これは、素戔嗚をだまし討ちにするという、国家の存亡を賭けた大博打なんだよ」



 場に重い沈黙が満ちる。

「――もう、何が正義だとか、父が正統だったかどうかなんて僕にはどうでもいい。でもな、既に動いてしまった事をなかった事にはできないんだ。ここまでからんでしまったものを元には返せない。これからも僕達は、同じそらの下で生きるしかないんだ。だからこそ、これ以上五邑の民から犠牲は出すべきじゃない。継承候補者を殺して、はい、これで終わりましたなんて事を赦したら、僕はもう自身に天意があるとは口が裂けても言えなくなる」

「では、公はどうなさるおつもりか?」

 臥龍の問いに、食国は、苦痛を振り絞るように、とん、と拳を卓子に打ち付けた。

げつ如艶じょえんは討つ。赤玉と白玉の置き換えが何故起きたのか、何故必要だったのか、万が一にも奴の口から真相が明らかになる事は避けねばならん。この甚大なる危機に我々が関与してしまった事はもうくつがえしようがない。如艶には何があろうと口を閉じたまま、全ての因果を抱えてその責を負って死んでもらわねばならん」

「そりゃ口封じするってことかい、おひいさん」

「そうだ」

 揶揄やゆするような臥雷の言葉を断ち切る様に肯定した食国に、他の者もまた言葉を失った。

 ここまで戦局の求める先を食国が断言した事はこれまで一度もなかったのだ。それがこと人命に関わる事であれば尚更である。

「そして――」

 固くつむった食国の瞼の裏に、屈託くったくのない少年の笑顔が浮かぶ。

 分かっている。彼が今そこにいる事は。

 分かっていても、進むしかない。

「我々に水源汚染のとががない事を証明するには、それが仙山せんざんによって着せられた濡れ衣である事を明かさねばならない。――白浪の後見として素戔嗚から月朝に使者を立てさせる」

「人選は」

「――すいれい君を」

 臥雷が眼を見張り、戯れにもてあそんでいた筆を取り落とした。

「本気か」

 食国は射るような視線で首肯する。

「母を使者とするならば、素戔嗚も護衛にそれだけのものを割くだろう。黄師こうしも容易に手出しはできまい。しんば入城はあたわずとも文の送る事は叶う。良くも悪くも彼女を無視はできまいよ。これと並び、仙山の本営の在所を一月ひとつき以内に明らかにしろ。――いや、こちらが優先だな。これが成らぬ内は使者を立てたところで意味がなくなる。仙山本拠地の情報を手土産に、奴等が相打ちに至ってくれればこれに勝る流れはない。その上で、国内の恐慌を引き起こした仙山と、その因を産んだ如艶じょえん。この絵を民衆の中に描き直す。その上で我々白浪が如艶じょえんを討ち、白玉を奪還し、密かに素戔嗚との交渉を経た上で、異地の帝との誓約を果たし、赤玉と白玉を本来の在処へ戻したという史を打ち立てる」

「素戔嗚をも騙して、か」

「そうだ」

 臥龍は難しい顔で「そうしてこそ、正統の救国を名乗れる、か」と深い溜息を零した。

「しかし公、これは茨道しどうを究めますぞ」

さんよ、それは元より承知だ。だが、これを歩めぬ限り、我々に明日はない。いいか。方丈と仙山にある書のいずれかに、黄泉比良坂を開く正統な手法が必ず記され残されているはずだ。それを突き止めねばならん。――仙山自体は壊滅させても構わん。そしてもう一つ」

 暗く低い声が、食国の唇から紡がれる。


「――かつて仙山に在籍した、一度目にした物は決して記憶から失われないという男がいる。七年前に焼失したえいしゅうに伝わる文書は、この男の頭脳にのみ保管されている状態だ。この男の現在の在所は皆知っての通りだ。何があろうとこれを捕獲しろ。これは徹底して内密利に行う。実行には――四方津よもつ悟堂ごどうを使う」


「公⁉」

 背後から大声を上げた野犴やかんに、「もう決めた」と食国はばっさり切り捨てた。

「あれを野犴と共に、お前直属の側近にするという事だな?」

 それまでの、にやにやとした表情を封じ、真顔で問う臥雷に「そうだ」と言い切る。

「その、一度見た物を忘れないという男、こちらに素直に従うと思うか?」

 食国は、わずか言葉を口の中に留めてから「わからない」と小さく零す。

「――だが、あれを置いて信頼のおける人間は、他にこの世にいない」

「名は」

 食国は、ゆっくりと息を吸い込み、万感の思いを込めてその名を口にする。



天照之あまてらすの八咫やあただ」

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