82 現在地


「母上の機転で何とか白浪本体壊滅は脱した訳だか、それは同時に、かつて戦局を広げた当の敵国相手に助力を求め、ゆくゆくはその介入を赦す因子となった訳だ。――これを悪手と言わんでどうする」

 そこまで珍しく横やりも入れずに黙って聞いていた臥雷が、ゆっくりと口を開いた。

「――なあ、おひいさん。俺達はな、生粋きっすいはくしんである臥龍おやじ達程お上品には仕上がってねぇ。なんせ生まれた時から反逆者と反逆者の間子あいのこだ。だからこそ、見たくなくとも見えたものが多くある」

 食国が視線を向けると、臥雷はううんと両腕を高くかかげて背を伸ばしてから、その両掌の指を組み合わせて自身の後頭部に沿わせた。

「白皇が徹頭徹尾てっとうてつび賢帝けんていだったとは、ここにいる誰も思っちゃいねぇさ。それでもな、白玉の件は矢張やはりやり過ぎだったんだ。げつはそれだけで十二分に重い罪業を背負っている」

「臥雷」

「いいか姫さん。俺達はな、自分等がこの国において異物だって事は十二分に理解してんだ。俺達がそうしてくれって頼んだワケじゃねぇ。それでも白玉と五邑は持ち込まれないに越したこたなかったんだよ。この件で最大のとばっちりを食ってんのは――姮娥こうがの民だろうが」

 食国が言葉を返せずにいると、「はああ」、と大きな溜息が臥雷の口から零れた。

妣國ははのくにの介入は仕方ねえ。どのみちこれだけの数の民が両国の境界で入り混じって定着してきている状態だ。じきにどっちの国がどうだこうだって話はなくなる。国の境と民の境も頓着されなくなるんだ。人口の流出、流入は更に止まらなくなるだろう。その分量によって、どの州が、どの県が、どの郷がより統治が安定していて民の生活が豊かかによって良し悪しが測られるようになる。そうなった時に、民衆が見るのは、どの国がどれだけ介入したとかじゃねぇんだわ。民の移動そのものが、その土地の実績の可視化になっちまうって言ってんだよ。――わかるか? 白玉の死屍散華っつー絶大な力に頼む勢力が無くなれば、実際の民意が天意として反映される従来の形に戻るんだって事だ。そうなった時に、死屍散華に害されたままの土地が選ばれるか?」

 臥雷の言わんとする事の意味がわかるだけに、食国はひそかに唇を咬んだ。

 食国を陣営に迎えて後、白浪が辿たどった難路なんろは先述した通りであるが、実際に彼を得た後、首脳部は今後の対応を再考せざるを得なくなった。先の本営をうしなった事が大いなる痛手であった事は言うまでもないが、代わりにもたらされた真実は、想定を大きく超えたものだった。

 悟堂ごどうには未だ伏せられているが、現在白浪の本拠地は妣國ははのくにの領土内にある。先の本営の在所がほう州の東に位置していた事が幸いとなったのだ。

 禁軍の襲撃を受ける最中、独断で一羽の鳥を飛ばした者がいた。それは日を置かずしてその者の下に帰投を果たす。鳥を肩に、その者はろうおう父子の前に進み出た。



「――父と話が付きました。我々妣國ははのくにには白浪を迎え入れる支度がある。全隊を以って領土へ入る事を許可する、と文にあります。条件は、わたくしを生きて父の下へ返す事です」



 驚愕する彼等を前に、宇迦之うかのはただ静かにそう告げた。

 殿しんがりを除く、首脳部を含めた全隊が、宇迦之に従い移動を進めた。豊州は、国土の最南東に位置する。そこから更に東へ向かい、その国境をいざ越えんとした先に、武装をした五千の大隊が待ち受けていた。



 そして、その先頭に立ちはだかったのは、仁王もかくやと言わんばかりの偉丈夫だった。



 天に逆巻く総髪は正しく益荒男ますらおの体現。

 眼光一つで全てを破壊し尽くしかねない神威。

 尋常ならざる巨躯きょくに、その全身から発せられるのは――光だ。

 言葉を失った食国の隣から、事もなげに進み出たのは、母だ。

 母は、男の前に立ち、男もまた母を見下ろす。

 対面は、終始無言の内に終息した。

 この男の名を素戔嗚すさのおと言う。

 妣國ははのくにの女王であり、黄泉津大神の異名を持つ伊弉冉いざなみの息子である。

 そして、食国は後に知る。

 この時、この偉丈夫の姿を目に映す事ができたのは、自分達母子に限られた事を。神の姿は、「神域眼」を持つ者にしか見えないと言う事を。

 そう。この男こそが、宇迦之の父であり、食国の祖父だったのである。


 白浪は、大きく戦略を転換せざるを得ない局面に立たされた。かつての白朝がその全総力を傾けた敵対国と手を結ぶ。しかも、自分達が旗印として担ぎ上げた白皇の遺児である食国は、その妣國ははのくにの女王の曾孫ひまごにあたる事になるのだ。

 宇迦之の母は辺境に住まうの民だった。父の正体故に、長くその母と兄と共に隠れ住んでいたが、生活を助ける為にしょう軍に加わった。後に、発揮した辣腕と名声故に辿った変遷は広く知られる通りだが、これまで決してその父が誰かを明かす事はなかった。

 つまり白浪は、先帝の遺児であり、かつ敵国の女王の血を引くという存在を主に掲げる、非常に危うい立場の一団へと成り代わったのである。

 この七年、素戔嗚の庇護の下、母もまたこの拠点の増設の陣頭指揮をり、確かに環境は整った。以前の拠点にあった頃を凌駕する程、兵士も兵站へいたんも増強された。しかしそれは飽くまでも素戔嗚の持つ軍から助力されてのものである。その力が強大なものになればなるほど、白浪はいずれの立場から見ても脅威として受け取られかねない。正しく諸刃もろはつるぎである。

 食国は表情を険しくしながら卓子の上に肘を預けると、重ねた拳の上に額を置いた。

「現状、僕達は確かに強大になったが、それは所詮しょせん仮初かりそめだ。素戔嗚の軍との合流以降、制御と統制が難しくなり、特にさんには大きな負担をかけている。しかし、素戔嗚の軍を借り受け、かつその保護を受けているという事実以上に、この地で我々を護るあかしは存在しなかった」

 素戔嗚によって、これは敵対勢力ではない、賓客ひんきゃくとしてもてなしているのだと内外に示してもらわねば、侵略のとして討たれる事をまぬかれ得なかった。――だが、

「だが、得た物の代わりに支払わねばならん代償はその分大きくなる。全てが決した後、素戔嗚とは、白玉引き渡しの交渉を行わねばならない」

 食国の言葉に、臥雷は「おうよ」と小さく答える。

「臥雷」

「なんだよ姫さん」

「お前は、素戔嗚をめ過ぎだ」

 食国の断言に、臥雷は黙る。食国の目は、そんな様をじっと見据えている。



「お前は、白玉を消失させ、交渉自体を御破算ごはさんで済ませる道を考えているんだろうが、相手はあらみたまの神だぞ。あれは人ではないんだ。――怒りがまされば、あれは目的を棄てても国土を沈める」



 臥雷が言葉に詰まった。無論、臥雷もそれについて考えなかった訳ではない。しかし行き詰っている事も確かなのだ。

 食国は、心底厭そうな顔で小首を傾げた。

「素戔嗚に白玉を渡す訳には決していかないが、だからといって白玉を消せばいいという単純な話では済ませられないんだよ。あれはそう簡単に引き下がったり自身の要求を曲げたりしない。頑迷頑固の身勝手暴君だ」

「ねえ公? 素戔嗚がちょっとでも頭を柔らかくして交渉に応じてくれたりはしないと断言できる根拠をおうかがいしてもいいかしら?」

 想淑そうしゅくの問いかけに、食国は皮肉な笑みをこぼした。



「決まっている。僕の祖父だぞ?」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る