80 繁殖条件


らいは?」

「お二人の話を聞きながら大笑いしておりましたよ。あれの覚醒を随分楽しみにしていたようですからね。何がそんなに面白いものか、私には到底理解しかねますが」

「使いようによっては戦局が引っ繰り返せるからだろう」

「あれは、何か語りましたか」

「いや、お前達から知らされた以上の事は口にしていないな」

 野犴の声が、表情が、硬くなる。

「――こうは、あれをどうなさるおつもりですか」

くな。伝える事があれば言う。同じ事を何度も言わせるな。判断は僕の権限だ」

「失礼致しました」

 食国は、まとめ損ねた髪が一条、つるりと自身の頬にかかったものを認めた。面倒そうに背に流すと、野犴が掬い取ってかんざしでまとめた毛束にくるりと巻き付けてまとめた。

「悟堂が母親から受けた傷は、全て回復したようだな」

 野犴は不快気に顔をしかめる。

「あのめすいぬは常軌を逸しています」

 野犴の言葉を耳にしながら、食国は無言で先へと急いだ。

 悟堂の母であるだい璞蘭ぼくらんは、現在非公式ながら月皇の側室に収まっている。非公式であるのは、既に種が如艶じょえんから悟堂の父親のものに置き換わっているからだ。

 決して、こうとは呼ばれない。

 璞蘭ぼくらんは三交にせきぎょくを納めていた。赤玉の種だけは決して置き換わる事がない。本来であれば方丈の邑長である『色変わり』なき四方津よもつ堂索どうさくの種を『受け皿』に迎える事は死屍散華を身の内に貯める事を意味し、命に係わる危険行為であった。しかし赤玉の種を同時に有する事でそれは回避されるのである。これは、この時の璞蘭ぼくらんの生存と懐妊出産により後々明らかになった事に過ぎず、場合によっては彼女も死に至っていたやも知れなかったのだ。そうまでして本来の交である如艶じょえんの命に従ったと言う彼女の性状は、実の我が子に躊躇ためらいなく暴行を働ける母、というものとは、いささか合致させにくいと食国には思われた。そしてその違和感はあやまりではなかったのだ。

 現状、結果から確認される限り、五邑ごゆう間の交配において、後者が死にさらされる危機を回避できるのは、以下の場合に限られた。



 第一に、『色変わり』する民、つまりは死屍しし散華さんげを体内に留めていない民との交配である場合。


 第二に、『色変わり』なき者であっても『子宮』の死屍散華のみを吸着したたい輿の民との交配である場合。または員嶠いんきょうの『御髪みぐし』を除き、懐胎側が五邑であった場合。


 第三に、これが璞蘭ぼくらんの事象に該当するが、『受け皿』に赤玉の種を有していた場合。



 これは言い換えるならば、夜見側が赤玉の種を保持していれば死なないと言う事だ。

 五邑側が保持している死屍散華が『子宮』であれば死なない。『かんばせ』『玉体ぎょくたい』『真名まな』の死屍散華の保持者でも、それが懐胎する側であれば死なない。

 つまり、それ以外の場合、五邑と夜見の民との交配は、後者の死に直結するという事だ。

 しかし、『子宮』は既に『御髪』『玉体』と共に瀛洲にてさんぽう合祀ごうしされている。三寶合祀の死屍散華の毒は破壊的だ。この場合、例え赤玉の種を有していようが命に関わる害となる。故に、すでに第二の場合は勘案に加える事はできない。


 自然――基本的にこの両者の交配は避ける事が妥当と判断された。


 ほうには、夫々それぞれ特色がある。

 確かに璞蘭ぼくらんは身体こそ損ないはしなかったが、宮中に暮らし続ける事で、方丈有した『真名』の力を十二分にその身に受ける事となった。

 『真名』の有した特色は『発露』。それは、その死屍散華を浴びた者の持つ残虐性を限りなく増幅させ露呈するものであった。

 如艶じょえんともなわれて降りてきた当初の彼女が、我が子の全身を切り刻むのに躊躇いを持たぬような人物でなかった事は、野犴も認めるところである。

 方丈の民が総じて冷酷非道と呼ばれるのは、恐らくは五百年をかけて蓄積された『真名』の特色により染められたものだろう。そしてそれを邑ごと宮城内に引き入れた結果がもたらした物は想像に難くない。

 『発露』の力は、月朝の中にもあまねく広がりを見せたのである。当然、如艶じょえん本人にもそれは及んだ。知り得るべくもない、予想だにしなかった事であろう。



 悟堂は――それ程特殊な出生にあった。



 他の混血に比べても傷の治りが異常に遅く、白眼を隠すために潰された右眼の回復までに二十年を要していた。主だった月人であれば、三日もあれば回復する。それだけ四方津側の血が濃く出たのだろう。つまり、邑人に擬態する事も、違和を排除して潜入する事も、それだけ容易だったのである。

 員嶠が滅びた原因の多くは悟堂にある。

 それは間違いがない。

 この重い事実について、悟堂は果たしてどう思っているのだろうかと食国は考える。

 食国の所見だが、本来悟堂という人間は、他者に対して執着がない。恐らくそれは、相当な数の人間と死に別れてきたからだろう。頓着しなければ別れに苦しむ事もない。


 五百年間、同じように数多あまたの邑人を見送って来た食国には、わかる。


 だから、悟堂がどういった経緯を経て、ゆうという一人の人間にここまで傾倒し、執着し、その命を懸けるに至ったのか、今の食国では計れない。しかし、じょえんに対して叛意はんいを固めさせるだけの何かがあったのは間違いない。ならば、今はそれで十分だった。

 ――廊下を急ぎながら、食国おすくにははるか先を見据えていた。

 食国は、既に悟堂を腹心に据える事を決めている。皮肉な話だが、食国本人の意思を顧みずに事を進めた白浪よりも、熊掌の意志を最優先として動いた悟堂の行動原理が、食国の信頼を勝ち取ったのである。

 食国にとって、最優先事項は白朝の天意奪還でもなければ、当然、白浪の威信復古でもない。

 静かに瞼を伏せる。

 あの夜、彼と約したのだ。



 ――必ず無事で戻って。僕を玉座に押し上げるのは八咫なんだから。



 次にその双眸そうぼうが光を掴んだ時には、そこに迷いを見出す事はもう出来なくなっていた。

 この国がどこへ向かうかはまだ分からない。ただ、人心を蹂躙じゅうりんしてまで守るべき物など自分には断じて認められない。民を護るべき屋根となるのが国家であり、それを維持するのが玉座に着く者の務めだ。国家を維持するために、同じ屋根の下に生きる人民を贄にするような事でしかその国体を護持できないのであれば、それはすでに天啓を喪失している。

 万一にも自身に天意があり、玉座に着く事が求められるというならば、食国をその座へ押し上げるのは正しく蹂躙された民である八咫達の声だ。五邑と白玉を持ち込まれた事によって生存の危機に瀕している姮娥こうが国の民の嘆きだ。

 優劣と格差を餌に人心を操るのではなく、個々の全てに対し、自身が国家の柱であるという認識と矜持をもたらす。それこそが、食国の歩みの先にある世界だ。目指すならば、それがいい。

 左耳に張り付いた赤き玉を衆目しゅうもくから隠す事は、もうない。

 廊下の最奥さいおうにあった扉を押し開けた。その内には大広間があり、中央の円卓には白浪の首脳部が顔を連ねていた。

 食国は一つ大きく息を吸い込むと、空席となっている上座の隣の椅子に腰を掛けてにやりと笑う臥雷を見据え、凶悪なまでに美しい微笑を浮かべた。

 高く透き通り、天の果てにまで至るような食国の声が、麾下に告げる。



「皆、待たせた。これより白玉奪還へ向けての会合を執り行う」


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