76 食国、七年を要約する


 おすくにの後ろ、暗闇の奥から、かつかつと革の長靴ちょうかを鳴らして進み来る者がある。悟堂ごどうは思わず目をすがめた。視界にとらえたその姿は、悟堂ごどうのよく見知った人物だった。それも――出来る事ならば誰よりも会いたくはなかった男である。

 かつて嵐大らんだい州にあった員嶠いんきょうの地に、えいしゅうの長とはかり、『色変わり』なき娘を連れて現れた黒衣のの民がある。それが、


野犴やかん――」

 

 悟堂が名を呼ぶと、こく野犴やかんは、侮蔑の入り混じった冷酷な眼差しを向けながら、短刀の柄をがちゃりと握った。次の瞬間、すら、と引き抜き、悟堂の額に切っ先を向ける。

 ひた、と止める。

四方津よもつ悟堂ごどう。貴様には言いたい事も聞きたい事も山とあるが、まずは遅い目覚めを喜ぼう。毒矢で死なせずに済んだのは今となっては僥倖ぎょうこうだ。貴様の首は、全ての事が片付き次第、必ず俺がる」

 悟堂はもくした。この男に憎まれている事は重々承知していたが、それは推し量っていたよりも遥かに重くどす黒かったらしい。本来の悟堂であれば苦笑を禁じえない場面であるが、今ここで命を取られるのも再びの大負傷で昏倒する事も避けたいので、よした。

 食国が「野犴やかん」と静かに声を発した。

「彼の処遇をどうするかは僕の自由と取り決めたはずだ。その引き換えに、僕は白浪はくろうに留まる事を受け入れた。忘れたのか」

 野犴は、静かに短刀を下ろすと、外套の内側に納めた。

「承知いたしております」

「下がれ。らいに報告する事は許す。母上は、僕が許可を出さない限りここへは近付けさせるな」

「御意」

 野犴は、それ以上跡をにごすことなく、静かにその場を後にした。長靴の音が遠ざかってゆく。悟堂は小さく溜息を吐くと、両手のいましめに目を落とした。

「久しぶりだね、大陀だいだ

 腕の中に口元をうずめたまま、食国は小さな声でふる忌々いまいましい名を呼んだ。

「――御子。これは一体、どういう状況なのでしょうか?」

 困惑を隠せず悟堂は問いながら辺りを見回した。

 岩窟がんくつと思しきその空間は決して狭くはなかったが、わずかな採光しかないために圧迫感が凄まじい。野犴が姿を消した方を見れば、天井から布が掛けられているきりで、その向こうにも空間がある事が察せられる。長靴の立てた音のなめらかさから、この先の床面には人為的な手が入っている事も知れた。

 困惑の原因はそれだけではなかった。食国は、確か耳が利かなかったはずだ。悟堂は、こんなに淀みない言葉を操る彼を知らない。

 ふと見れば、食国の左足首にも石のかせがある。そこから鎖がじゃらりと伸びていたが、その先端も矢張り闇に沈んだかのごとく揺らめいていた。眉間に皺を寄せてそれを見止めた悟堂に気付くと、食国は溜息をこぼした。

「見ての通りだ。僕の立場も君と大差はない」

「――の、ようですね」

「君は、七年間眠っていたんだ」

「七年、ですか」

 それは思っていたよりも随分と長い。悟堂の伏せた本音をすくい上げるかの如く、食国は静かに首肯した。

「ここは白浪はくろうの根城だ。その地下にある。詳しい場所については、申し訳ないがまだ伏せさせてもらう。僕自身、とらわれの身である事は事実だけれど、一応納得してここにいるつもりではあるんだ。今はね」

 食国の言葉に、今度は悟堂の方が頷いて見せた。

「聞き及ぶに、君の評判は随分と悪いらしいな」

「ああ……ええまあ、そうでしょうね」

「ただ、君が本当にそこまで信頼するに値しないのかどうかは、あいつらの話だけで判断したくなかった。なんせ人の意志は完全無視で強引に事を進めるきらいがあるからな。特に頭領が。だから、僕が君の監視を請け負った」

「――納得しましたが、それにしてもすっかり呆れられてしまったようですねぇ」

 苦笑する悟堂に、食国は見下げ果てた眼差しを向ける。

らいや野犴から伝え聞いた内容だけでも、無理からぬとは思わないの?」

「いや、確かに。おっしゃる通りですよ」

 じゃらりと鎖を引きずりながら、悟堂はうつむきつつ頭を掻いた。

「それにしても、『環』で繋ぐとは――しかも二本ときた。一体どこのどんな男二人を犠牲にしたんですか?」

 食国は、にやりと口の端だけで笑んで見せた。

「それで鎌を掛けたつもり? それとも『とう』というのは名目だけのもので、君は本当には黄師こうしに信頼されてないの? いつでも切り捨てて構わない末端だから、本当の所は何も知らされていないのかな?」

 食国の言葉に、悟堂は噴き出した。

「願わくば後者であっては欲しくないし、一応前者ですよ。――つまり、白浪はくろうは『環』の生成条件を知っているわけですね」

 『環』の生成条件――即ち、必要なのは『色変わり』なき男の、連結した頭蓋骨とうがいこつ脊椎せきつい。分断されていなければ、それが遺骸であっても構わない――という、例の件である。

「ああ、知っている。それに勿論その生成の術も掌中に収めている。『色変わり』の必要な割合わりあいもね。でなきゃ、今君の腕を戒めているそれは存在しようがないだろう? 君のそれは、たい輿の納骨堂に残されていた骨から生成したものだ」

「おやおや、それはぞっとしないですね。では、あなたの足のそれも同じく、という事ですか」

 二人は、暫時ざんじの沈黙を経て後、互いに険しい顔をした。

「――やめよう。うつになるし、何よりむなしい」

「……そうですね」

 食国の溜息と共に、茶番を終える。

四方津よもつ悟堂ごどう――こう呼んだ方がいいか。時間が惜しい。僕はこの七年の間にあった事を知り得る限り君に説明しよう。代わりに君は君の知っている事を洗いざらい吐いてくれ。その内容次第で君をどう処遇するか決める。さっきも言ったが、判断は僕に一任されている。あと、当然知ってはいるだろうが、その『環』の先が繋がっている者にはこの会話は全て筒抜けになっている事を承知しておいてもらいたい」

 悟堂は皮肉気に笑った。

「ええ、それは勿論。――お互い難儀な身の上になりましたね」



 七年前、野犴やかんに背後から射落とされた悟堂ごどうと、出奔しゅっぽん直後にらいによって捕縛された食国おすくには、そろって白浪はくろう掌中しょうちゅうに落ちた。

 当初、彼等が運ばれた場所はほう州の東であった。

 豊州は危坐きざ州の南に位置する。国土全体から見れば最南東。最北西にあった旧たい輿とは対極に位置する。

 八咫やあたと力尽くで引き離されたのだと理解した食国は激怒し、大いに抵抗し暴れた。狼藉ろうぜきの限りを尽くしたと言っても過言ではない。彼の見張りにつけたのが全ての民か混血であった事が幸甚こうじんだった。そうでなければ死者の山が出来ていた。

 あまりの破壊力に大笑いしたらいは、『環』を生成して食国の動きを封じた。『環』は、頭蓋骨部の眼窩がんかを環として対象を捕獲する。捕獲した側にはせんついついが環状に巻き付いて繋がる。今、二人を捉えている『環』は、いずれも臥雷の手に繋がっている。

 『環』によって捕獲された者の声は、尾椎の保持者に筒抜けになる。また、その力も保持者の意のままに封じられてしまうのだ。

 弱体化した食国は、無言をつらぬく事で白浪に不服の意を伝え続けた。凡そ半年は口を閉ざしていたはずである。

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