57 骨壺 ー経緯ー


          *


 えいしゅうでは人が死ぬと棺桶かんおけを用意して土にめる。


 季節をめぐる内に、肉は棺桶の中で腐り落ちる。更には棺桶も死人の体液を吸い尽くして腐った頃、どそりと盛り土が落ちる。そうすると中から骨を抜ける。抜いた骨を酒で洗い、骨壺に納めてびょうに納める。骨壺は基本的に全て朱に塗られている。


 幼い頃のゆうは、それを血の色なのだと思い込んでいた。


 その昔、八つの頃だったか。東馬とうまに連れられて廟の裏手にある納骨堂に入った事がある。中は暗く、しっとりとした冷気に満ちていて、静かだった。ずらりと並んだ骨壺は壮観で、熊掌には恐ろしいとは感じられなかった。

「人は死ねば腐り、肉を失って骨になる。骨になれば男も女も大差はない。ただ白くなるだけだ」

 父の言葉が、なぜかとてもやさしく聞こえた。そう言えば、祖父の骨だけは自邸にあったのを思い出した。どうしてあれだけ特別だったのだろうかとふと疑問に思って口を開きかけた時だった。

 吸い寄せられるように、最奥さいおうにあった一角に熊掌の視線は奪われた。

そこには、扉付の棚があった。

 気のせいだろうか、中から声が聞こえるような気がした。低く重いうなり声。風鳴りのような細く響く声。

 父のそでを引いて、あの棚は何かと問うた。父はしばらく躊躇ちゅうちょしていたように思えた。やがて、来なさい、と手を引かれて扉の前に連れられた。

 父がゆっくりと扉の把手に手をかける。別段鍵もかけられていない。ごご、と重く引きるような音と共に、その観音開きの扉は開いた。



 中には、白い骨壺が並んでいた。



 数は少ない。そしてその上には白い玉様のお参りに使う布が掛けられていた。その全ての布は、白地に黒髪が刺繍されている。

 父は静かに熊掌を見下ろすと、微かに笑った。

 あの人は滅多に笑わない人だった。記憶にある限り、熊掌が明白に父の微笑を記憶しているのは、もしかしたらこの時だけかも知れない。

「恐ろしくはないか?」

 父の問いに、熊掌は少しうつむいて考えてから、父の顔を見上げて首を横に振った。

「熊掌は、恐ろしくはありません」

「そうか。お前は、恐ろしくはないのか」

「はい。ですが」

「うん?」

 熊掌は、棚の中の白い骨壺達を指さした。

「こちらの方々は、淋しそうです」

「――どうして、そう思う」

 熊掌はついと視線を朱の骨壺が並ぶ方へ向けた。

「あちらは皆、もうただの人であっただけのものに感じますが、こちらの白い骨壺の中の人達からは、まだ意識を感じるのです」

「意識、か」

「あの、父上。これはどういった理由で分けられているのですか?」

 熊掌の問いに、父は少しだけ淋し気に笑った。

「白い玉様のお参りに使う布の色が大半変わらなかった男は、こうしてこちらに納める決まりになっている」

「あの。それはどうして?」

「さて、どうしてだったのだろうなぁ」

 父は再び笑った。笑って扉の内を見詰めていた。

「お前の言う通り、骨になっても意識が残ってしまうから――かもしれんな」

 父は、再びごご、と音を立てて扉を閉めた。

「熊掌。父が骨になった時にはこうしてここに納めるように」

 父の布もまた『色変わり』しなかった。だから、決まりに従えばそうする事になるのは必然だった。

「ならば、熊掌もここに収まりますか?」

「――そうだな。そういうことになるな」

 熊掌は、きゅ、と父の手を強く握った。

「ならば……なら、骨になったら、父上とずっと一緒に並んでいられるのですね」

 父は、その言葉を受けて熊掌の顔を見た。ぎゅっと、強く手を握り返してくれた。

 だけれど、その時の父の表情を、熊掌はもう思い出せない。



 熊掌はゆっくりと両のまぶたを開いた。



 ここは廟の中だ。

 瀛洲のではない。ここは帝壼ていこんきゅう内にある方丈ほうじょうの廟だ。

 造りは瀛洲のそれと大差ない。やはり薄暗く遮光され、しっとりとした冷気に満ちている。

 方丈の納骨堂は地下に掘り下げられていた。地上にあれば姮娥こうがの民がおびえるからだろう。

 熊掌は、長鳴ながなきの言葉を思い出していた。


(僕の布に書かれていた文章は、『かん』の生成には『色変わり』しない男の頭蓋とうがい脊椎せきついの繋がった物が用いられる。生死は問わない。肉からこれを取り出すためには寶刀ほうとうを用いて行う。――でした)


 白い骨壺の中に納められていたのは、『色変わり』なき男達の骨だ。火葬にはせずに骨を残して丸のまま取り出すのは、それがいずれ必要となった時に『環』として使えるようにする為だ。

 何故そうするのか。しなければならないのか。その一切の理由を知る事なく維持され続けてきた仕組み。それが自分達を害するものであるとも知らず、五邑ごゆうはただ諾々だくだくと従い続けてきた。

 月人つきびととは違い、五邑は直ぐに死ぬ。文字の取り扱える人間は限定されてきたから、死ねば伝承されなかった記憶や事実や理由は消滅する。やがて決まりは形骸化する。そして行為だけが惰性だせいとして維持され続ける。

 その恐ろしさには気付かない振りをして、思考を閉ざして身体だけを動かすのだ。

 熊掌はゆっくりと納骨堂の奥へと進んだ。

 瀛洲と左程さほど変わらない造りで、扉付の棚があった。こちらは大した手応えもなくさらりと開いた。

 中には、通路が続いていた。

 そう。瀛洲のそれとは比べ物にならない量の白い骨壺が、通路の両壁にそって作り付けられた棚にずらりと並べられていた。

 方丈に生まれる男は、そのほとんど全てが『色変わり』なき者として生を受ける。今横切ってきた棚に納められた、朱の色の骨壺とほぼ同数だろう。

 熊掌は静かに、吸い込まれるように扉の内に入った。こつ、こつ、と歩みを進める。ふと立ち止まり、右側の棚へ顔を向けた。一つの骨壺と目があった気がした。いや、呼び止められたような気がしたのだ。

 そっとその骨壺を棚から引き出す。石畳の上に下ろし、布を横に置くと蓋を外した。

 中には白くしっかりとした骨が収まっている。破損がない頭蓋骨とうがいこつ眼窩がんかが、じっとこちらを見つめている。何か、小さな声で語り掛けられているような気がする。


 ぐしゃり。


 熊掌が中に差し入れた拳が、その眼窩を崩して崩壊させた。

 不死石しなずのいしをその身に安置していない五邑は、常人の六倍の膂力りょりょくを持つ。だから熊掌にとって骨を素手で砕くなど、赤子の手をひねるより容易たやすいのだ。

 熊掌は無言のまま、蓋をして布を被せ直し、骨壺を再び元の棚へ戻した。そしてそれから何時間もかけて、そこで、ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり、という音を響かせ続けた。

 全ての頭蓋を砕き終わる頃には夜が明けていた。

 ふと、あの時の父の微笑を思い出す。

 ここに骨がないと言うならば、父はまだこの帝壼宮のどこかで生きているのだろう。壺の一つ一つには、骨の主の名が書かれた札が張られていた。その中に父の名はなかった。

 うっすらとした不快感。全身に纏う微熱と違和感。頬を一滴汗が伝い落ちる。

 父上。俺は今日、一旦瀛洲に帰ります。

 また三月後に戻ります。

 それまでどうか息災で。



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