56 蕭隋空 ー経緯ー


 梶火はしばらく腕組みをして考え込んだ。

「――なあ騎久瑠きくる、つまり今回のこれを画策かくさくした首謀者は、薔荊しょうけいの県長じゃなくてい州のほうのヤツだと思うんだな?」

「ああ。流石さすがに一介の県長風情ではここまでの事は起こせまいよ。弟州側が持ち掛けたと見て間違いない。さんぽう合祀ごうしを有する危坐州はそれだけで扱いが重くなる。それを裏から牛耳ぎゅうじる事ができれば、弟州としても旨味は大きいだろうからな」

 ようやく――梶火の内でも腑に落ちた。

 騎久瑠がふいと自身の肩を抱いた。

隋空ずいくうは身内に私と母がいる。更には麾下にも妣國ははのくにの民を置いて平気で使っている。これ以上下手に朝廷に疑いを持たれるような事になれば、本当に首を落とされてもおかしくはない立場なんだ」

「騎久瑠――お前、だから危坐から離れてるのか」

 ちらと流し目で騎久瑠は笑った。

「私がそんな殊勝な娘の訳ないだろ、馬鹿」

 素直ではない、と梶火は内心笑った。騎久瑠は髪を掻き揚げつつその場にしゃがみ込む。眼をすがめて炎の向こう側を見ようとしていた。

「まあ、私が奴の生命線の一つである事は疑いようがない。だから私を人質にとり、私から隋空の画策を吐かせて奴の失墜を計ろうとしているんだろうな。薔荊の県長はその後釜に座る、弟州はその背後について危坐の利益をすする。――とまあ、この辺りの筋書が妥当だろう」

「おいおい、こいつの前で喋っていいのか? 騎久瑠ぅ」

 花月の上体を軽く紅炎が持ち上げる。騎久瑠は薄く眼を眇めて花月を見た。

「構わん。どうせ帰さないからな」

ほふるのか?」

 梶火の問いに騎久瑠は笑った。

「まさか。薔荊県長の反逆の生き証人だぞ? それに――」

 紅炎が花月に向かって微笑みかけながら騎久瑠の言葉の続きを受ける。

「――これは明らかな弟州の越権行為だ。他州の内政に関与するのは本来重罪。表沙汰になればあちらもただでは済まない。企んだ奴は余程の馬鹿か、余程の事情があるってことだ」

 苦し気に顔を歪めた花月に、紅炎は僅か顔を近づけた。

「花月。お前さん、弟州州長の交だな。色でも匂いでも分かる。――これも雌性二種だ。それを餌に県長に近付かせたんだろ。薔荊のは一交も持っていなかったはずだ、確か」

 後半の言葉は騎久瑠に向けた物だった。

「ああ。そろそろ体を付けてやれ。これ以上放しておくと戻りが遅くなるし、戻った後歩くのに難がでる」

 と、にわかに喚声が上がった。梶火が弾かれるように後方の廟側を見やるがそちらではない。炎の向こう側、つまり襲撃者側からだ。騒ぎを聞きつけて廟から民達が飛び出てくる。

「あぁ?」

 声を上げたのは紅炎だった。見ているのは矢張り炎の先だ。梶火が再び指先で遠眼鏡を作ると、果たしてその先に思いも寄らぬ物が跳躍していた。

「狼か⁉」

ろうだな」

 一頭二頭の話ではない。ゆうに十頭以上はいる。それが炎の先で飛び跳ね襲撃者に襲い掛かっている様は正しく跳梁ちょうりょう跋扈ばっこの態。響き渡る悲鳴が痛々しい。

 更に後方から声が上がった。こちらは歓声である。「上!」というその声に導かれて上空を見上げれば、飛翔する馬が数頭ある。そこから矢が敵目掛けて降り注いでいるのだ。

 あれでは一溜ひとたまりもないだろう。

 攻撃を受けているのがこちらではない事から、新たなる敵の参入ではないと言うのは分かったが、それが何者なのかはやはり分からない。梶火が困惑していると、隣の騎久瑠が「くそう……」と歯軋はぎしりしながらうめいた。

「あいつ、やっぱり来やがったっ……!」

「あらぁ、抜け目のない事で」

 悔し気な騎久瑠の隣で、紅炎が感心しながら目の上に手をかざす。それもまた騎久瑠のかんさわったらしい。

「誰だよあいつに使役鬼飛ばしたのは!」

「俺です」

「青炎おまええええええ‼」

「責務ですから」

 悪びれない青炎に苦笑していた紅炎が、梶火の表情に気付き、困ったように笑った。青炎に声をかけて花月を近くの草の上に横たえる。上半身と下半身を寄せて置いていると、ややあってしけったような音がした。身動きはまだ取れないようだが、それでもその上下が既に繋がっている事は分かった。少しだけ嘔吐感おうとかんもよおしたが、なんとかえた。

 紅炎が梶火の方へ歩み寄りながら、ううんと腕を上に挙げて背を伸ばす。

「さ、これで万事解決だ。お疲れさん」

「解決って、あれ何なんだ?」

「危坐の州兵だな、中央付近に三騎いるのが分かるか?」

「ああ」

「あの真ん中にいるのが州長だ」

「―――てことは」

「そ、騎久瑠の爸爸パーパ

 ごっ、と重い音と共に騎久瑠の拳が紅炎の鳩尾みぞおちに入る。

「うぐぉ……」

 腹を抱えて地に落ちた紅炎を蛇蝎だかつでも見るような眼で騎久瑠は見下ろす。

「次言ったらマジで始末するからな」

「すまん、御免、調子に乗り過ぎました」

 二人のやり取りをただ静かに見下ろしていた青炎が、つい、と指を北西に向ける。

「見ろ紫炎しえん。あちらも終わったようだ」

「あ、ほんとだ」

「今こちらに来ている州兵は恐らく百人隊程度だが、同じく百が既に帝壼宮ていこんきゅうへ向かっていると報せを受けた」

「危坐の州兵が?」

「弟州の干渉の件で報告を上げるそうだ。薔荊の県長は既に捕らえてある」

「――流石さすが

 梶火が短い言葉の内にも賞賛を込めているのは伝わったらしい。青炎が「ほう」と目を向ける。

「そう思うか」

「策士だとは聞いていたからな。騎久瑠自身もそうだが手を打つのが適切で速い」

 青炎は表情も変えず「我が州長に手抜かりがあろうはずもない」と言い放った。

 見ればその示された三騎がこちらへ向けて中空を駆けてくる。ざあっと一陣の風が吹き抜け、梶火は目の前を腕で覆った。強風が落ち着いた直後、ぶるるっと馬が鼻を鳴らす音が耳に届いた。腕を下ろして顔を上げる。

 そこには三騎の馬体と、そこから下馬しようとしている三人の鎧装束を纏った兵が三人いた。

 中央に立った男がふぅと溜息を零しながら、やおらかぶとをとる。



 ――兜の下から出て来たのは、頭頂をつるりと光らせた男の笑顔だった。


 

 梶火が僅かに口を開けて無言を護っていると、騎久瑠が眉間に皺を寄せて溜息を吐いた。

 その男は、口を濁さずに言うならば、矮小わいしょう短躯たんくを体現したような外見をしていた。体格はでっぷりと四肢ししは短い。額には汗がにじんでいる。姮娥こうがの民なので頭髪、目、髭鬚ひげは白い。表情は柔和。振る舞いもぽてぽてと可愛らしい。――総じて心象は――娘には嫌がられそうな人物ではある。だった。

 これが成り上がれるだけ成り上がった人物なのだなぁと思えば、中々に感慨深い気もした。

 男は迷う事無く梶火の前へと進み来た。視線は僅かに梶火より低い。

「はじめまして。上から少し見させてもらったよ。君は強いなぁ。娘を助けてくれてありがとうね。阿琴アーキン爸爸パーパです」

「危坐州州長、しょうずいくうだ」

 心底厭そうに騎久瑠は自身の父親の事を紹介した。

 梶火は反射的に右脚を後ろに半歩引き、腰を落として拱手きょうしゅした。あたまを垂れたまま無言を貫く。それを目にした隋空が、暫時ざんじ間をおいてから、ふわりと笑った。

「――成程。随分と古風な所作の身についている青年だね。いいよ。顔を上げて。名乗りもゆるします」

「は。恐悦至極に存じます。鬼射きいるえいしゅう五邑ごゆう紫炎しえんと申します」

 梶火の振る舞いを目の当たりにした紅炎が目を丸くする。

「お前、そんなんできたのか」

「これぐらいは流石さすがに叩き込まれるだろ。弟だって普通にやってる」

 梶火の言葉に、隋空は「そうか」と、ただ穏やかに笑った。


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