55 本領発揮 ー経緯ー


 南東は持ちこたえているようだが、やはり北西の状況が厳しい。青い滝炎ろうえんを突破してきた命知らずがすでにいた。


 其処そこに広がる光景に、かじの背筋がさわぐ。

 

 思い出したくもないが、あの夜の黄師こうしむらで振るった刃とはまるで違う。あれはあまりに一方的な殺戮さつりくだった。五邑ごゆうは簡単に死ぬ。

 しかし、姮娥こうがは身切れても死なない。

 死ねない。

 文字通り四肢ししの切れた者達が意識も失わずに這いずり回っている。そして紅炎こうえんの発したものと思しき深紅の炎が、その周辺をめ回している。

 正に地獄の様相だ。

 梶火の喉の奥に苦い物がせり上がるが、眉間に皺を寄せてからべっとつばを吐き捨てて気付かなかった事にした。

 さっきり取った二本の枝同士をこすり合わせて余計な枝葉を落としながら落下する。落ちながら見慣れた背中を探す。どこだ、まだか、この先か。


 ――いた、紅炎だ。


 紅炎のすぐ近くで、半身にれた花月が倒れ伏している。切断面で赤い炎がちろちろとしているから、やったのは紅炎だろう。口説いているなどとよくもまあ言ったものだ。役務に忠実なのはどちらだと苦笑いがれた。

 紅炎はその背後にあの子供を護りながら次々おそい掛かる敵に応戦している。あれでは逃げられない。落下地点を定めると梶火は速度を速めるべく体を丸めた。

 梶火の両脚が地に着地をするのと、その周囲にいた五人程を二刀流でぎ払ったのが、ほぼ同時だった。残念ながら梶火の膂力りょりょくに負けて枝は両方とも一発で粉砕した。致し方なく、直ぐ手近にあった樹に手を掛ける。枝を折るつもりだったものが、勢い余ってその一本を引き抜いていた。

 眼の前でそれを見る羽目になった紅炎が「はああ⁉」と叫ぶ。

「お前さん、本っ当に五邑か⁉」

「はっ! 本来五邑はこうなんだよ!」

「話がおかしいだろ! だったら何で五邑は自ら朝廷に反旗はんきひるがえさないんだ⁉」

「そりゃ!」

 引き抜いた樹で塊になっていた十人を一気に薙ぎ払った。

「俺の方が御先祖とやらに聞きたいぜ‼」



 赤玉廟から谷へ伸びる斜面の半ばに青炎せいえんの起こした滝炎ろうえんが立ち塞がっている。

 騎久瑠きくる紅炎こうえん、青炎、そしてかじは、厳しい顔でその向こう側にいるはずの襲撃者達と一触即発の時を過ごしていた。炎の向こうに居並ぶ連中もまた、怪異と梶火の大立ち回りを警戒して、先のように炎を越えてこようとはしない。あの後、梶火が振り回した樹の餌食になった敵の数は誰も把握していない。

 きゅ、と梶火の短褐たんかつの裾を引く手があった。さっきの子供である。樹を引き抜いて振り回す五邑ごゆうというのが最初は恐ろしかったらしく、顔面を蒼白にして震えながら梶火の事を見ていたが、避難させるために抱えて飛ぶと眼を輝かせた。今も不安げではあるが梶火に対する信は芽生えた顔をしていた。

帅哥にいちゃん、どうなるの?」

 梶火は炎から眼を離さずに子供の頭にぽんと手を置いた。

「大丈夫だ。帅哥達が守ってやるから。親と一緒に廟の中に隠れてろ」

「うん」

 子供はうなずくと廟へ走って行った。廟の前には子供の父親が立って待っていた。梶火へ向けて頭を下げる。血に汚れた包帯が、その頭部から左眼を覆っている。廟の内に入って行った親子の背を見送ると、梶火はちらと紅炎青炎兄弟へ視線を向けた。

 恐ろしい事に、紅炎が花月の上半身を、青炎が下半身を小脇に抱えている。紅炎は花月の両脇に手を差し入れて、まるで幼児を抱え上げるかのような仕草で彼女に目線を合わせていた。

「で、誰の差し金だ? 目的はなんだ?」

 花月は何も言わない。只々口惜しそうに紅炎を睨み付けながら、口の端から漏れ出ていた血をべっと紅炎の顔に吐いた。紅炎はにっと笑って、頬から口元近くに垂れてきたその血を舐め取った。

「――この味から察するに、花月。お前さんやその仲間達、実は危坐きざからあぶれた連中だな?」

 紅炎の言葉に青炎も首肯する。

「この匂いは、そうだろうな。着ているものの素材からみても間違いないだろう」

「つまり同郷か?」

 梶火の問いかけに騎久瑠が頷くだけ頷いた。

「なんでこんなとこまで――」

 危坐からこの辺りまではそれなりの距離がある。態々わざわざこのために危坐からやってきたとも考えにくかったが、騎久瑠は、そうとも言えんと舌を鳴らした。

「つまりは親父のとばっちりだよ。狙いは私だ。――紅炎」

「はぁい?」

「お前、こいつの『受け皿』を埋めた奴、検討つくか?」

「ええとねぇ――流石につくね。俺馬鹿だけど」

 にやりと笑って青炎の方を見る。正確には、青炎が小脇に抱えている花月の下半身を、だ。

 騎久瑠曰く――この花月という女はそもそもてい州のしょう軍に関わりがある臨赤りんしゃくだとして大市に出入りを始めたという。紹介状の内容にも取り立てて不備があった訳ではないし、身元も確かに思われた。旅券も確かに弟州のものだった。だが、何かが妙に引っかかったのである。その原因に騎久瑠が思い至ったのは紹介状を受け取ったその日の夜だった。

 違和感の正体は、紙の手触りと匂いだったのである。

「危坐のこうぞの実は甘いんだ」

「――うん?」

「ほら、その練香水の黒木苺と割とよく似ているんだよ。私らは鼻が利くからな。危坐の楮を使って作った紙に書かれた弟州からの紹介状。これが引っかかったという訳だ」

「それはつまり、紹介状を書いた奴、つまり弟州の民が危坐に入り込んでいるという話か?」

「そうだ」

 騎久瑠が静かに自身の口元を手で覆う。


「――危坐州薔荊しょうけい

 

 花月がびくりとした。無論それを紅炎は見逃さない。にやりと笑う。

「当たりみたいだぜ、騎久瑠ぅ」

 騎久瑠は忌々しそうに頷いた。

「ショウケイ、ってなんだ?」

「薔荊というのは県の名だ。危坐州の北西部にある。薔荊県という。ここの県長の動向が怪しいという話は以前からずいくうも言っていた。そんな中この花月が現れた。だから紹介状を難海城に送ってずいくうに調べて貰っていたんだ。その返答がお前にやったそれだ」

 言いながら梶火の懐を指さす。

「練香水か」

「危坐の楮の実とよく似た黒木苺に、薔薇の香り。これだけで危坐の薔荊を現す。それを淡黄色の練香水に仕立てた。これが意味するのは」

「――黄師こうしか」

 騎久瑠はにやりと笑った。

紫炎しえんは強い上に察しが良くて助かる」

「悪ぅござんしたね。俺は察しが悪くて」

 唇を突き出す紅炎に「気にするな。慣れればお前で問題ない」と騎久瑠は笑った。

「あとは、練香水を詰めていたのが弟州製の陶器だった。――ここから更に意味を推察するに、弟州が自領内の黄師を使って、危坐州の薔荊県長を取り込んでいる、というところだと見当を付けた」

「つまり目的は?」

ずいくうの翻意を暴く事だろう。先の事変以降、皆無とは言えないが危坐は大きな難をまぬかれている。ほとんどの民が土地をてる事無く暮らしを維持できているからな。裏で先の首謀者と結んでいるのではとにらまれたんだろう」

「疑っているのは朝廷か? 黄師というなら」

 梶火の問いに答えたのは青炎だ。

「そこまで上層部ではないだろう。疑義を持ったのが月如げつじょえんならば、もっと直截ちょくさいに調べているはずだ」

 そこで「あ」と梶火が顔を上げた。

「俺今黄師って言ったけど。あいつら軍じゃねぇぞ」

 騎久瑠は「わかっている」と眉間に皺を寄せながら、にやと笑った。

「今攻めてきているのは危坐の民だ。それこそ薔荊で困窮した者を県城で抱え込み、弟州に引き渡して今日の駒にしたんだろ。客観的な状況としては、危坐の州長の娘を危坐の民が略取しようとしているだけだからな」

 しかり、と青炎が首肯する。

「奴等はただの危坐州の内輪揉めというを描いている。弟州は無関係で方が付けられる」

「そう言う事か!」

 言ったのは紅炎である。青炎と騎久瑠が忌々し気に「「お前は気付いておかんか!」」と声をそろえた。


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