53 暴虐 ー経緯ー


 騎久瑠きくるがぽかんとする。

「は? 嘘なんか吐いても仕方ないに決まってるだろ? 見ればわかるんだから。今目の前にいる人間の雌性雄性の種の配分が分からなかったら一体どうやって確信をもって三交を決めるのさ?」

「――――は?」

「いや、姮娥こうがは見ればじゃなくて、げばだな。匂いで分からん奴なんかいないだろ」

 横から身体を斜めにかしげた紅炎こうえんが唇を尖らせる。

「騎久瑠ぅ、紫炎しえん五邑ごゆうだから多分匂いとか分かりませんよぉ?」

「ああ、そうか、え、そうか?」

「――いやそもそも何の話だよ。匂いってなんだ?」

 騎久瑠は難しい顔をして赤褐色の髪を掻き揚げた。

「そうか――それは話が通じない訳だ」

「あ、あとさ騎久瑠、俺聞いた事あるんだわ」

「なに?」

 紅炎が梶火かじほを指さす。

「こいつ雄性なのは分かるけど、しゅ数が二つしかないだろ?」

 騎久瑠が眼をすがめてしばらく梶火の眉間辺りを凝視してから。すん、と一つ鼻をすすった。そして「ああ」と呟く。

「ほんとだな。紫炎も二種しかない」

 梶火が軽く引く。

「――わかるもんなんかそれで」

「分かる。お前、雌性と雄性と一つずつだな」

「は」

八咫やあたも雌性と雄性一つずつだったから、多分五邑は雄性が一つでもあれば雄が顕現けんげんするんだろうな。いや、女の五邑は見た事ないから確かじゃないが」

「あ、俺あるぞ」

「そうなのか? どこで?」

仙山せんざんの女だった。たしか、ばいらんとか言ったかな。八咫が生きてたのを教えてくれた奴。あいつは完全雌性だった。ただやっぱり種が二つしかなかったが」

「あ、じゃあやっぱりか」

 紅炎は杯を土の上に置くと腕組みした。

「八咫と言えば、あいつは交との相性が悪かったのか、混じり方がおかしかったんだよなぁ。なんていうか――」

「うん。あれは「焼け」が出来ていたな。私も実物を初めて見て驚いたから」

「焼け?」

「あれはもう、互いに相性が最悪だったとしか説明が付かない。互いの種のせいで交が焼け切れていた。あれではどう足掻あがいても両者とも子はできん。この先相手を変えても多分無理だろうな」

 梶火は頭を抱えた。

「――なんでお前等そんなもん分かるようにできてんだ……」



「仕方あるまい。因果の前後は知らんが、姮娥とはそういう生物なのだろうよ。姮娥にとって定めた三交以外と交を持つ事は最大の背信であり禁忌だ。匂いで見極めでも出来ねば滅びる」



 さらりと言ってのけた騎久瑠の言葉に、梶火は顔を上げた。

「え」

「種の置き換えが起きる事に対して姮娥は絶対的な拒絶を示す。白の時代には投獄と国外追放の刑が定められていたぞ」

「そこまでのものなのか」

 騎久瑠が腕を組み背を丸める。

「お前が知っているかどうかは知らんが、州の北部に露涯ろがいという名の地がある。そこでたい輿りょしんがんという五邑が、自らの率いる隊によって、姮娥の懐妊がせる女をことごとく凌辱して種を置き換えたという史上に類を見ない悪逆がある。以来、露涯は醜穢涯しゅうわいがいの名以外で呼ばれない」

たい輿の、ってじゃあ四百年も前の話か」

「四百年しかたってないんだよ紫炎。表現を間違えるな」

 ぼそり、と紅炎が低い声でつぶやいた。表情は笑んでいて柔らかいが、その眼に映す光は重く暗い。とがめるではないが認識の差異を見過ごす事はないぞという視線だった。そうだ、と気付いて息を呑む。姮娥にとってはつい数年前の事と変わらないのだ。

「この結果どうなったと思う? その暴虐を受けた女の五割は、自らの交によって殺された」

「――そんな馬鹿な」

「残り三割は自害した。二割は離散して行方をくらました。三交の禁忌を犯すというのはそれ程重いんだよ」

 梶火の顔色が変わったのを見て取ったのか、紅炎が再びその頭髪をざりざりと撫で上げた。

「なあ紫炎しえん、別に俺達はお前さんを責めたくて言っている訳じゃねぇんだ。害されたものに害をして返すという事を繰り返せば世はこうなるという事を、俺等は身をもって学んだわけだ。そして四百年経った今も、我が身としてその責め苦を負っている。――だがなぁ、この地獄のような悪逆が、五邑にとってはすでに記憶にもない、伝えられもしない過去なのだと思うと、肌身に粟が立つ思いがする――そういった話だ」

 ぱん、と騎久瑠が手を叩いた。

「この話はこれでしまいだ。紫炎も教訓ぐらいにとどめておいてくれればいい。知っておけば迂闊うかつな物言いで余計な敵を増やさずに済む」

「――ああ、ありがとう」

 騎久瑠はにっと笑って立ち上がった。

「だから、お前はお前でその大兄ってのを大事にしてやれ」

「そうする」

 梶火も紅炎もそれに習い立ち上がった。

「あ、なあ騎久瑠、話戻して悪いんだが聞いていいか?」

「うん?」

「あの――さっきの『受け皿』っての、その、つまり、交がいるとか種が……その」

 梶火らしくなく歯切れが悪い。騎久瑠が察する。

「ああ、目合いが済んでて種が胎内に入ってるかどうかが分かるのかって聞きたいのか?」

「――そうです」

「勿論分かるよ。種が入ってなくても交がいる奴は見ればわかる。匂いがついてるからな。お前に交がいそうなのもそれで分かったんだよ。――ああ、でもお前等はまだ成ってないのか? ちょっと中途半」

 騎久瑠の口元を梶火が手で抑えるのと、紅炎がその手首を掴んで止めようとしたのと、もう一方の手で梶火の首根っこを掴んだのが同時だった。

 ――紅炎の眼の色が変わる。騎久瑠が視線を微かに紅炎に向けて頸を横に振った。その切迫せっぱくに気付かずに自身の事で手一杯の梶火に、二人は視線を向けた。


 この一瞬に三者が感じた事の乖離は大きい。


「騎久瑠、もういいからやめろ。頼む。頼むから止めてくれ」

 騎久瑠はへらりと笑いながら紅炎に梶火から手を離す事を目線で指示した。ごく微かに首肯して紅炎は梶火から離れる。

「悪い悪い梶紫炎、ちょっと揶揄からかい過ぎたな。まあでも、お前達はそもそも子は成らんのだから、そんなに切羽詰せっぱつまって考える事もなくていいだろう?」

「――なんで」

 知っている、と言いかけて梶火は口を閉ざした。今度はこちらが顔色を変える番だった。

 不死石しなずのいしを外した事はまだ口にしていないはずだ。騎久瑠達がこのからりを知っているのかどうかは知らないが、藪蛇となる事を恐れた。

 が、次いで騎久瑠が口にした言葉は予想だにしないものだった。



「詳しくは知らんが、五邑は雄と雌がはっきり分かれているのが定石なんだろう? 雄と雄では子は成らんし、雌と雌では子はならんと聞いたが?」



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