52 奇跡 ー経緯ー
「なあ
「あ? 欲しいもん?」
「ついでだから何かあるなら言ってくれていいぞ」
しばらく
「本当に欲しかったもんはもう手に入ってるから。俺、取り立てて何か欲しいとかは基本的にないんだよな」
「お前さんが本当に欲しかったものは、兵や勢力ですらなかった、と」
誘導された事に気付いて梶火は苦笑いした。自分も今日は相当浮かれていたらしい。随分と口が軽くなっている。また、返答しない事で肯定とした。隠す事でもなかったからだ。
「それがもう手の内にあるってのに、
紅炎がけらけらと笑うと、梶火は不思議そうに耳をほじくりながら片眉を持ち上げた。
「あんた何言ってんだ」
「うん?」
「手に入れたら終わりじゃねぇだろ。そっから維持すんのが大変なんじゃねぇか」
「ほう!」
感心したように紅炎は自身の顎を撫でさする。しょり、と
「まあ、そりゃ道理だな」
「失うのは本当に一瞬なんだよ。常に抱え込んでおけねぇなら、他に
「お、女か?」
梶火は視線だけを向けて答えなかった。
器と心の
だから、ただ一言。
「離れたら駄目なんだよ。どうしても」
とだけ返すに留めた。
「で? この市はどうだった?」
話を変えようとしてくれたのだろう。騎久瑠の問いに梶火は「うん」と
「活気があるし、客の顔色も良さそうだから、現時点ではここでは解毒薬の出番はなさそうだなって思う」
梶火のその答えに、騎久瑠と紅炎は顔を見合わせてから笑った。
「ほんっとに、油断も隙もないんだよなぁ、お前さんは」
「そうか?」
「ああ。
「それはそうだろう。大兄の期待を裏切る訳にはいかねぇからな」
と、騎久瑠がにやりと笑った。
「それ。練香水。その大兄ってやつへの土産にするんだろ」
「ん。ああ、そうするかも。あんまりそこまで考えとらんかったな。でも練香水よりも食えるもんを喜ぶだろうから、どうしようかな……」
「お前、その大兄ってのと関係があるだろ」
梶火は盛大に茶を吹いた。気管支の奥どころか鼻にまで入ったらしい。咳き込みと涙が止まらない。
「なんっ、なんで……!」
「見りゃ分かる。というか、話の前後で察しが付く。寧ろお前、隠してるつもりだったのか?」
「――まあ別に隠してるわけじゃねぇが」
ばつが悪い事に変わりはない。
「まあ、これ以上
「――そりゃどうも」
紅炎の手がぬっと伸びた。その掌で梶火の頭をざりざりと撫でる。
「人は突然死ぬし、突然変わるからな。眼を離した隙にもう手が届かないものになる。お前さんの言う通りだよ。離れちゃだめなんだよなぁ」
「やけに実感
「そりゃ、ずっと狙ってた奴が気付いたら『受け皿』埋まってるとか、泣いちゃうぞ?」
「なんだ。お前本気で
意外そうな目を騎久瑠に向けられ、紅炎はよよと腕で眼の前を覆って泣き真似をした。騎久瑠が視線を梶火に寄越し茶をすすり「さっきの装飾品売り」と
「ああ」
「
何の感慨もなく言う騎久瑠に、紅炎は「まあ仕方ねぇ」と笑った。
「ところで『受け皿』? ってなんだ?」
騎久瑠がぱちくりと
「ああ、そうか。お前には分からんか。
「それは分かる」
「三交が決まったら、まず母体担当になるやつ決めるだろ? それから
「ぶっ」
再び
「その種が貯蔵されるのが『受け皿』だ。で、当然これは二つあって――って、おい大丈夫か?」
その構造自体についてなら、梶火は既に知っていた。熊掌が
「これで子が出来るまで何百何千何万年と待つ」
「まつ」
「待つんだよ。
「――子が出来ない事もあるって事か」
「多くがそうだ。成就は二割に満たないだろうな」
思わず辺りを見回してしまった。さっきの親子連れの影を探した。あの林檎の乾物を
騎久瑠がことり、と土の上に茶碗を置いた。紅炎がそれを取り上げて自分の空になったものと重ねて引き取る。
「それぐらい難しいんだよ、姮娥が子を授かるというのは。だから相手の
聞き慣れぬ言葉と常識に梶火は暫時混乱したが、少しずつ騎久瑠に確認し
飲み込んで、疑問に思った。
「なあ、その雌性と雄性? の種類の数ってのは、雄の種が幾つで雌の種が幾つずつでそいつの体が構成されてるかって話なんだよな?」
「そうだ。ほぼ全ての民が両性だ。雌性ばかり三、雄性ばかり三、というのはまあない。例外として、先の
「それは、自分の体の配分を自分で理解しているってことなんだな?」
「ああ。わかる」
「――じゃあ、三交を決めるっていうのは、お互いに自分の配分はこうだと説明し合うって事か? じゃあ、万一子を授かるかどうかよりも、相手を交にしたいからって自分は雌性を二種持っていますとかって嘘を吐いてたらどうするんだ?」
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