51 練香水 ー経緯ー
子供が父親らしき者の手を引いて、林檎の乾物を
――ああ、いいなぁ。
素直にそんな感想が出た。自身の頬が
正直に言って、昔は
本当はどうして腹が立つのか、許せないのか、考えたくなかったのだろう。温かい親子のやりとりという物が
「
名を呼ばれて「おう」と軽く騎久瑠の方へと
梶火の髪は放置していたので伸びた。今では五分刈り程度になっている。無論色は黒い。しかし、市の者は誰もそれについて口にしなかったし、態度にも出さなかった。それぞれの者が事情を抱えて現在の状況にある。明らかに訳有の
妣國の血を引くから。
人間というのは、そういうものではないのだ、という事を、梶火はこの滞在のお陰で強く理解する事ができた。そもそも彼等を
梶火個人がここで学び得ている物は、取引で得るだろうものより、
と、
「おう」
と、騎久瑠が手を上げる。仏頂面のまま男は微かな会釈をした。
「公主。
「そこで女
親指を立てて示された方を見れば、木陰で装飾品を
ちっと青炎が舌打ちする。「あの糞野郎が」と口はよろしくない。
「まともに護衛をする気がないなら任を下りろとあの馬鹿野郎に公主から引導を渡して下さい」
「まあ、あれはあれでやってくれているから」
騎久瑠は苦笑している。見た所、この几帳面に過ぎる似た者同士の二人が常に共にいるよりは、寧ろ紅炎のほうが騎久瑠とは相性がいいのだろうなと思われた。恐らくこの公主呼びも本来騎久瑠は厭がる類だろう。そしてこの青炎は融通が利かず頭が固いため訂正を求めたくとも聞き入れられないと見た。
あの騎久瑠が
梶火にはそれだけで十分おかしかった。
何という気もなく青炎の広げていた荷の前にしゃがみ込む。
と、その中でもとりわけ異彩を放つ品が目に飛び込んできた。蓋付きの白磁の容器だ。ころんと丸い。全体に赤い花が絵付けしてある。明らかに女性向けなのだが、なぜか気になってじっと見てしまった。理由はすぐに分かった。中から薄く
「これ」
「お、なんでこんな高級品がこんなとこに
横から顔と口を差し挟んできたのは紅炎である。
「口説くのはしまいか?」
梶火が問うと紅炎はにやりと笑ってから「まあな」と悪びれない。
「貴様に売ってやるものはないぞ糞野郎」
眉間に青筋を立てた青炎に紅炎は「はいはい」とにべもない。
「――そんなもん、あいつが送り付けてきたに決まってるだろ」
ぼそりと不快を隠さない声が上からした。見上げれば腕組みをした騎久瑠がそっぽを向いている。
「あいつって――ああ、親父さんか?」
騎久瑠はまた顔全体で嫌悪を表現して見せた。
「ああ。物は確認できたし、使わないから片付けておいてくれって青炎に預けたんだよ。――でも私は売り物にしろとは言ってないぞ」
「
こちらもこちらで悪びれない青炎に、騎久瑠は盛大な溜息を吐いた。
「だからって店には出すなよ」
「実際には売りませんから問題はないかと。ただの
しれっと続ける青炎に、「お前ら兄弟は本当に」と、騎久瑠は目を伏せ額に手を当てた。そんな横から梶火はついと手を上げた。
「なあ騎久瑠」
「ん?」
「ちょっと見てもいいか? それ」
「ああ――まあ、構わないけれど」
礼を言ってから、手に取り蓋を開ける。とたん、ふわりと懐かしく甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「これ……」
紅炎が梶火の手元に鼻を近づけて
「おいおい、こりゃ
「ほらみろ、こいつ程度でもヘタに
「御意」
「え、じゃあ俺が代わりに片付けておいて――」
「貴様には断固として預けんぞ紅炎」
「んだよケチー」
「貴様! 横流しする気満々じゃないか‼」
「もういいお前等
三人の会話が頭上で飛び交う中、梶火はじっとその練香水を見つめ続けていた。気付いた騎久瑠が「
「ああ――あれ黒木苺っていうんだな。知らなかった」
「
「うん。大兄がよくそれの乾物を食べてたんだ。姿が見えないと思って探したら、大抵一人で隠れて食ってた。したら、しいって人差し指口の前で立てながら、こっちの口ん中に放り込んでくるのな。黙ってろって」
思い出した。それはとても懐かしい記憶だ。思えば、ふと行き会う時の
――ああいった時、熊掌は何を見ていたのだろう。何を考えていたのだろうか。今思い出して、
「……これ欲しいな」
無意識の内に、ぼそりとそう口からこぼれ出ていた。聞き
「持っていきなよ」
「え、いや俺金ないから」
「やる」
「……いいのか?」
「ああ。私は使わないからな。使う奴が持てばいい」
騎久瑠が浮かべた微笑は、珍しくやわらかなものだった。
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