50 独り言 ー経緯ー


          *


 かじ臨赤りんしゃく――と言っても、この時点ではまだ騎久瑠きくる達のしゅうに限られていたが――この二者間での協力と参入の約定やくじょうは、こうして成立した。

 梶火は、今回の任に着くにあたり、熊掌ゆうひから全権をゆだねられている。それはえいしゅうの命運という責任をわされたと同義だ。これまでのように、自分の胸一つで感情のままに行動する事はもうゆるされない。そしてまかり間違っても熊掌のしんを裏切るような真似まねはできなかった。確実な成果を持ち帰りたかった。


 しかし――だからと言って、焦りがあった訳ではない。

 

 梶火は数の上から軽率に臨赤と手を結ぶ事を決断した訳ではなかった。己の両肩りょうけんにはえいしゅうの命運がかかっている。下手を打って邑を沈める訳にはいかない。

 無論、瀛洲にまともな兵力がないのはまごかたき事実だ。そもそも人間の数のけたが違う。これを解消するには、数と兵力が見込めるしゅうを取り込むのが最も効率がいい事もまた事実。

 それは、瀛洲でも散々話し合った事だった。

 梶火が耳をほじくりながらほうけた顔で「はああ」と溜息をき、「だったら禁軍を味方に付けられりゃ、一番手っ取り早いのにな」とつぶやいたのに対し、長鳴が心底厭な顔をしたのがつい先日の話だ。

 無論、口にした梶火もそんな絵空事を本気で考えた訳ではない。これこそ本当にただの数の上の話だ。

 が、臨赤の数の話には現実を付加する事ができる。

 死屍しし散華さんげの解毒薬の話を出してでも、騎久瑠きくるとは手を結ぶ価値があると判断した。

 

 それほど、危坐きざの州長の娘という価値は大きい。


 解毒薬の開発は、実は火災以降から長鳴ながなきと二人で進めていた。当初は熊掌にもその事実を伝えていなかった。死屍散華を無効化する薬の開発など、明らかに朝に対する反逆行為である。瀛洲全体を巻き込み滅ぼす危険性をはらんだ事案だ。計画に一枚ませてこれ以上の危険に熊掌を巻き込み負担をいる事は二人とも避けたかった。


 実は、最初に解毒薬の可能性について口にしたのは八重やえである。


 あの娘は参拝を一手に引き受けるようになり、それなりに疲弊ひへいしていたのだ。有体ありていに言えば――面倒になったのだろう。ある日、机の上に行儀悪くもあごを乗せてこうひとちた。


「いつまでこんなだるい事せなあかんのー。自分で言うたことやけど毎日はやっぱりキツイってー。死屍散華がなくなったらうちら用済みになってまうけど、なくなってほしいー。あー、でもあれか、白玉はくぎょくに死屍散華ずっとずるずる出し続けてもろてさぁ、月人つきびとの皆さんの体にまってきて体調悪なってきたらしゅっと直せるような薬うちらが開発して裏でさばけたら一山ひとやま当たるんちゃうん? そっちのほうがよくない?」


 ――と。

 なおす薬、という発想は、流石さすが薬師くすしの娘である。しかし、言う事ががめついにも程があるだろうと梶火はあきれた。

 しかし、それまで梶火と長鳴は、死屍散華を怪異かいい神威しんいたぐいとは認識すれども、やまいの一種として捉えた事がなかった。これは想像だにしない啓示けいじだった。

 そこからの長鳴の没頭振りは凄まじかった。無論、邑長代理としての役割も、南辰なんしんと分担して熟しながら、開発研究を進めに進めた。

 長鳴自身も、変容したむらと激変した自身を取り巻く環境に対する心理的負荷にさいなまれていた。その苛立いらだちのけ口として、得意の調合に無我夢中となれる時間を求めたのだろう。

 後に熊掌が帰邑きゆうし、この解毒薬の開発計画が彼にも明かされ、事態は一気に動く事になった。

 かつて、邑長ゆうちょう一族周辺のみに秘匿ひとくされていた白玉はくぎょくの真実については、今や全ての邑人が知る事となった。そして今は、この解毒薬の存在が、新たな邑の秘事ひじとなった。


 恐らく、この世において、明かされない秘事の存在しない事は、決してないのだろう。


 熊掌が帝壼宮ていこんきゅうめ置かれている期間、その不在を理由にして計画進行を遅らせるわけには行かなかった。彼等二人と南辰で、どういった毒を作るかの算段をまとめた。完成時期の目安はすでに長鳴から聞いていた。これを取引材料として使用してよいという許可も、事前に長鳴から取れている。それ程確定要素が高いという事だ。確証もなしに完成時期まで明言するほどいい加減な男ではないのだ、長鳴は。

 解毒薬の話に関しては、流石さすがに五百の集を束ねるだけの事はある。騎久瑠きくる紅炎こうえんも慎重をしたいと言った。しかし期待が大きいのも事実。今後、一年後を目安とした解毒薬の完成を待ちつつ、その進行状況の連絡を入れる事になった。使役しえきの使い方を教わったのである。梶火はまだ字の読み書きが十分に出来る訳ではないので、えいしゅうで代読代筆する者を用意する事を了解させた。梶火が送る書簡を眼にして良いのは、騎久瑠と紅炎にとどめる事になった。


          *


 かこいの外では夜は明けない。しかし民の生活はある。

 夜が明けない生活に梶火が慣れ、州境しゅうざかいでの滞在が一月ひとつきを過ぎた頃、ふいにいちに連れ出された。

 生鮮食品をおもに取り扱う日常的な朝市は日々のものであるが、大きな市は月に一度立つだけだ。今日連れ出されたのはその大市の方だった。

 せきぎょく廟をくだった谷間の一部にわずかな平地がある。木々がそこかしこに点在しているため、大型の荷馬車が行き交える程の幅すら確保できない。そんなささやかな間隙かんげきの傾斜部分にも乗り上げながら、百近い店がひしめき合っていた。

 明らかに荷の運搬に邪魔であろう木々を伐採しないのは、朝廷側にこの場所が見つかった時に使える道だと判断されてはまずいからだ。下手に整地をして荷馬車が通れる幅でも作ってしまおうものなら関所せきしょにされかねない。そんな事にでもなれば彼等のように隠れて生きる者の居場所が更にせばまってしまう。故に市を立ててもその痕跡は一切残さない、残させない。手抜かりがあれば一年の出入りが禁止される決まりだそうだ。

 無論梶火が連れてこられたのはただの物見ものみ遊山ゆさんではない。市であきないをしている者の大半は騎久瑠きくるしゅうの者だ。正式に臨赤に加わったと表明する前に、少しずつめんを通していくという事らしい。やはり騎久瑠の手には、そういった細やかな配慮がある。気にしがちなのだと騎久瑠本人は自嘲気味に言うが、梶火には十分に美点と思われた。

 先の水源汚染以降、数の減った不死石しなずのいしは貴重品となった。しかしこれも長年の習慣で、民達にもそれなりにたくわえがある。騎久瑠の管理が上手いのか、この辺りの民は随分うまく立ち回っていたらしい。他の地域よりも多く慎重に不死石を貯め込み節約して使っていたようで、この集の民は先の八咫やあた達の不死石ばら撒きのおりも北東に向かわずに済んだそうだ。現在も貯め込んだものを上手く使い、水や食料の確保はなんとかなっているという。

 治める者の器量で、やはり大きく違う。この短期間の間だけでも、騎久瑠が自らを卑下しがちである事は梶火にも十分に伝わったが、あまりに過小評価に過ぎると思われた。彼女には、十二分に優れた統治者の素質があると言っていいだろう。



「これ! これがいいの!」



 ふいと耳に届いたその声に、梶火は視線を向けた。


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