48 赤玉廟 ー経緯ー


          *


 騎久瑠きくる達の本拠地に到着したのは、合流から七日目の真夜中だった。

 それは危坐きざ州ではなく、てい州とほう州の境にある、とある山中にあった。

「危坐で親父さんの庇護下にいたほうが安全なんじゃないか?」

 何の気なしに梶火がそう言った途端、騎久瑠きくるは鼻の頭に皺を寄せて心から厭そうな顔をした。余程父親の近くにいるのが厭なのだろう。

 山中と言っても、荷馬車が乗り入れられる程度に道は舗装されている。木々が鬱蒼うっそうと茂る丘の合間を、慎重に擦り抜けてゆくと、やがてそれはゆるい斜面を登り出し、終に到着した道の最奥にあったのは、存外開けた場所だった。

 馬車が停まったのを確認し、ほろからちらりと顔を出す。瞬きをした梶火がその目にとらえたのは、一つの廟だった。

「これ、なんのびょうだ?」

せきぎょくびょうだ。そもそも、この辺りの赤玉信仰の拠点になっていた」

 答えつつ、梶火の隣から騎久瑠が飛び降りる。全体に華奢な体格なので、着地にも物音を立てない。それから無論、その筋肉量がものを言っているのは明らかだった。鍛え上げられた肉体は、その振る舞いから騒々しさを消し去れるものだ。また、馬車の中でも薄々気付いていたが、騎久瑠は動作の一々が流麗でしなやかなのだ。これぞ正に育ちの賜物たまものだろう。如何いかに粗雑に振舞おうとしても、生まれ育ちの良さは端々はしばしに現れるものだ。

 そんな梶火の感想を見抜いたか、馭者ぎょしゃだいの方から降りてきた紅炎こうえんが、にやりと笑って肩をすくめた。

 手招きされたので、溜息を吐きつつ二人の後に続いて馬車を降りた。


 通された廟の内側は、存外小ぢんまりとしていた。


 薄闇の中なのに姿が浮かび上がって見えるのは、恐らくその色彩の為だろう。廟は、円筒が段差をつけて五段重ねられた形状をしている。白銀の屋根に白銀の柱。赤玉なのに白銀なのか――と、少しだけ不思議に思った。

 中に入ると、内側も建具はほぼ白銀に染められていた。廟の中心に安置されたせきぎょくを模したと思しき大きな丸玉だけが、赤い。しかしその前に下げられたたますだれは、やはり白かった。

 騎久瑠きくる紅炎こうえんの二人はとうみょうともした後、香を焚き参拝をして香炉に刺した。そしてかじの方へと振り返り、その両手で特殊ないんらしきものを結んで頭を垂れた。

 印は、左手の薬指に、右手の人差し指と親指を絡ませ、あとはそのまま指先で両手同士を包み込む、という構造になっていた。



「改めて。この辺りの臨赤りんしゃくを束ねている、食人精気じきにんしょうきの騎久瑠だ。姮娥こうがの名ではしょうりゅうきんという。儀傅ぎふから紹介の話を持ち掛けられた時には半信半疑だったが、八咫やあたの知己なら信頼できると判断した」



 その言葉に、梶火は面映おもはゆいような、居たたまれないような心地がした。

 自分達は決して良好な関係などではなかった。別れの間際にはそれも解消できたような気がしてはいるが、積年に渡り揉めた事は間違いない。

 否、八咫と直接どうこう、というのはなかったか。

 揉めていたのは梶火とおすくにの二人だけだ。

 梶火も最初は穏便に事を進めるべく、参拝の参加を促そうと話し合いから始めたのだ。しかし食国は骨の髄から縮み上がりそうな冷酷な一瞥を向けた挙句、「かえれ、げろう」と吐き捨てた。

 その「げろう」が「下郎」だと分かった瞬間に梶火の頭に血が上った。拳を振り上げたが難なくかわされた挙句に、あごに膝蹴りを喰らって気絶した。そうだと知ったのは随分と後の事である。気を失った梶火を抱えて必死に「西の端」から脱出した長鳴ながなきが、半泣きになりながら教えてくれた。以来、事あるごとに梶火は「西」に入り込み、二人の間では手段を選ばぬ激しい喧嘩が繰り広げられた。


 ――今思い出しても腹が立つ。あの貧弱野郎は、どう考えても八咫の前では、一方的にやられるばかりの弱者を装っていた。そんなわけがあるか。今でもあの蹴りには一切勝てる気がしないというのに。


 しかし、今ここで過去の経緯いきさつを説いても仕方がないし意味がない。思いがけない恩恵として、適宜てきぎ良好りょうこうだったという事にさせてもらう事にした。

 騎久瑠いわく――げつの統治下となって以降、赤玉信仰は大きくひかえられる事となったらしい。白玉はくぎょくとの交換で異地いちに出された神を大々的に信仰しまつるというのは、月如げつじょえんに対する叛意はんいありと見なされる可能性があったからである。無論信仰自体を止められる訳ではないが、待望論ととらえられぬように細心の注意が必要だった。


 しこうして、参拝客や日々の信仰は弱体化した。致し方ない。


 そうしてさびれかけたこの赤玉廟に、彼等臨赤りんしゃくはひっそりと身を隠しながら集うようになった。

 臨赤については既に儀傅から話を聞かされている通り、主に下々の間で密やかに広げられている、赤玉信仰とその帰還待望を祈念する集の事だ。

「ここには臨赤のいちれんに乗る者を最初に連れてくる。お前がどうするかはゆっくり考えてくれて構わない。あまり大っぴらに活動して目を付けられる訳には行かないから、全員でここに集まる事はないが、私のまとめているしゅうで大体五百の数がある」

「五百か」

 「つまりだな」と紅炎が廟の隅から椅子を引きずってきて騎久瑠と梶火に渡した、座れと示される。礼を言って受け取り座した。

「この周囲の州外にいる民の大半は、騎久瑠の管理下にあるって事だ」

「――そうなのか」

「赤玉の信仰には寄進を求められないが、統治側からは税を求められる。それに応じきれなくなった貧困者が州の統治下から逃れ出て、なんとか糊口をしのいでいるというのが、州外に棲む者の実態だ。相互互助がなければ生き延びられん。日々の支えとして、赤玉に救いを求めるというのは、まあ人間の心理として真っ当だわな」

 紅炎は自分の分の椅子を運び、どっこいしょとそこに座した。

「前にも言ったが、臨赤はそれぞれのしゅうの規模は小さいが、横の繋がりは強い。各州各県ごとに、一つはここと同程度の集がある。廂軍しょうぐんの中にいる連中の集があるからな。あとは、統治下にない地区のものならば、七集程と連絡を取り合っている。ここ十年は集の数を増やしていない。が、減りはしていない」

「集毎の中身が維持傾向、ないし増加傾向にあるってことか?」

「正解だ」

 紅炎がぐしゃりと風防ごと梶火の頭を撫でる。四十男は満足げに、にやり、と笑んで見せる。

 騎久瑠は行儀が悪いのか器用なのか、小さな椅子の上で胡坐をかいた。

「私に言われるのは奴等も厭かもしれんが、廂軍しょうぐんの中の連中は中々に好戦的でな。あまり褒められない事をよく企むんだ。過激な集では打倒月朝を標榜して軍備を整えているところもある。しかし無論そういった風潮もなく、ただ穏やかな日々の再来を望むだけの集もある。過激派が事を起こして臨赤一丸と討伐とうばつされるのは困るんだ。だからこそ細かく集別にしたままにしかしておけない。結束を作る事ができない」

「私に言われるのはって、お前何やったんだ?」

 ふっと騎久瑠が片頬をゆがめて嗤った。

「私達一行が氷珀ひょうはくへ向かっている最中に、氷珀のほうから変わった五邑ごゆうの餓鬼が、死屍散華の体内消失者はいないかと調べ歩いていると話が伝わってきた」

 つまり八咫の事か。

「聞けば仙山せんざんに属し、白臣の残党に奪われた友人を取り返すべく、そのための仲間も募っているという。この友人というのがはくの遺児だというじゃないか。――俄然がぜん興味を持った」

 無意識なのか、意識的なのか、もしくは手持無沙汰なのか。騎久瑠の手がまた印を結ぶ。



「これを使えば白臣にまで辿り着けるんじゃないかと――そう思った」

 


 梶火の胃のがすっと冷えた。

「――つまり、八咫の計画に乗ったフリをして、その実お前は、打倒月朝を目論む白浪の方とつながりを持とうとしたんだな?」

 騎久瑠はまぶたを伏せて嗤った。

「私は善人じゃないからな」

 紅炎が静かに溜息を吐いた。梶火が視線を向けると、それに気付き、黙ったまま首を横に振った。

 騎久瑠は胡坐を解くと半跏はんかの姿勢に体勢を変えた。

「氷珀の連中は馬鹿だが、言い方を工夫すれば純真だとも言える。友達をさらわれたから取り返したいという八咫の言葉を素直に受けて手を貸していた。相当な人数だ」

「そいつらは善人だったんだな」

 揶揄やゆを含ませて言ったが、騎久瑠は「そうだ」と笑った。

「私ではあれだけの短期間であれ程の人間を動かせない。人望の問題だ。――そんな目で見るなよ。己の分ぐらいちゃんと客観的に判断できる。私は八咫の知己なら信頼できると言った。それは、あいつが私を上回る残忍さと手段を選ばない冷徹さを持っているのに、それに対して無自覚で、周りにもそれを悟らせない、人心操作の天賦てんぷの才があると確信したからだ」

「はっ、それを見込んだってなら、俺の事もまとめてめてねぇな」

「何を言う。これ以上ない称賛だよ」

 騎久瑠はからからと笑ってから髪を掻き揚げた。赤褐色がさらさらと揺れる。


「世を動かせる人間というのは、つまりは人を動かせる人間の事だ。綺麗事はいらん。私は、手に入るならその才を与えられて生まれたかった」


 騎久瑠はずっと厭がっているように言うが、恐らく相当父親に拘泥こうでいしている。それが嫉妬なのか憧れなのかまでは分からないが、一目置き、ああなりたいと考えているのだ。認めている事を認めたくない。気持ちは分かるが難儀な事だと、梶火は内心呆れた。

「八咫は仙山で頭領に、先だって奴等が行った水源汚染作戦を白浪がやった事にしろと進言したそうだ。そして頭領はそれを通した」

 さすがの梶火も目を見張る。

「あれ、あいつが言い出した事だったのか」

「そうだ。軍が首謀者を白浪と判断してそちらへ討伐に向かえば、仙山としても大きな利がある。そもそも仙山はその存在をして世に名乗り出る気がないからな。戦績として示す必要がなかった。だから、帝壼宮ていこんきゅうや各州城に文を飛ばした。白浪からの宣戦布告と見せかけるように。仙山は白浪に対して既に追跡をかけていて、その本拠地を掴んでいた。結果的に策は功を奏して、黄師こうしと禁軍が白浪に向かった」

「八咫の野郎が出した案もめちゃくちゃだが、それを聞き入れる仙山も仙山だ。外にはめちゃくちゃな奴しかいねぇのか?」

「仙山が破天荒なのは否定しないが、そこに私らまで混ぜるなよ」

 騎久瑠は言葉を続ける。

「軍師が進軍している間に、あいつらは姮娥こうがの民をよそおって各地の州城から金品を収集し、氷珀にばらまいた」

「強奪じゃねぇか」

「まあ強奪だな。問題が起これば軍はそちらに労力を割かざるを得ない。ようは兵力分散が目的だった。姮娥こうがの民には先に収集しておいた不死石しなずのいしを分け与える。金品は氷珀にばらまく。騒ぎは激しくなるが、民の労苦は緩和される。その隙に、八咫と先鋭部隊で白浪へ向かおうとした」

 騎久瑠の眼が微かに伏せられた。

「――だから、あんな早急に事が動いたのは、八咫達にとっても想定外だったんだろう。この辺りみたいに統治の届かない場に生きる姮娥は、水が確保できずにどうしようもなくなっていた。風の噂で不死石が手に入ると聞けば移動するに決まっている。皆こぞって北東に向かった。奴等がそこで不死石を配っていたからだ。求めて移動してきた民の量は万や二万では収まらない。それだけの規模の民が動いていて看過されるはずもなかった。金品強奪で一旦は遠ざけた黄師達がその北東に流れた。――結局八咫は白浪に近付けないまま、げん州の北部で立ち往生するしかなくなった」

 じじ、と音がした。とうみょうに飛び込んだが焦がされて、ぼとりと床に落ちた。


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