46 黄泉比良坂 ー経緯ー


 そこから彼等の本拠地への移動に要した時間は七日だった。

 その道中、かじは二人から様々な話を聞いた。

 まつろわぬ民は妣國ははのくにとの国境沿いに多く点在していると聞いていた。だからこれから北上するのかと思っていたのだが、違った。荷馬車はてい州を南下し、通り抜けるとほう州との州境しゅうざかいに入った。

 騎久瑠きくる紅炎こうえんは名乗った通り、妣國と姮娥こうがとの混血だ。存在しないわけではないので黙認されてはいるが、本来扱いとして優遇されるはずもない存在だ。

 しかしそれも地域によって異なる。

 国土の中心にあるじょう州や、南方の帝壼宮ていこんきゅう周辺は相当に保守的で排他的な気質があるが、えいしゅうがある危坐きざ州などは国土の最東端にあたる為、この辺りの感覚が相当ゆるやかな部類に入るそうだ。州城である難海なんかい城があるのは波海はかい県だが、これは州の最東端に位置している。まさしく国の最東端だ。



「この危坐きざ州の州長で難海城の城主が大いに曲者くせものでな」



 騎久瑠が厭そうに――極めて厭そうに言った。

 馬車は順調に先へと進んでいる。揺られながら恐らく騎久瑠自身も体を前後に揺らしていた。明らかに苛々いらいらしている。余程その州長が嫌いなのだろう。語るのも厭な程に。

「というと?」

「へらへらのらりくらりと柳の物腰で周りの忠告に耳を貸さない。何を考えているのか分からんが知らぬ間にこれが望んだ通りに周りは動かされている。気付いた時には後の祭りで、そんなつもりではなかったのに、結果的にこまの如く配置されて奴に動かされていたという人間が多発する。一事が万事そんな調子で、人によっては気付いた時には既に盤上から退場していたりする。ヤツの腹一つで、立場も役職も家庭もあっという間に崩壊だ」

「策士か」

「そんな良いようなもんじゃない」

 騎久瑠は心から不機嫌そうに頭をいた。

「こいつに婿を取らされるところだったから逃げ出したんだ」

「は?」

「だから、こいつが私の父なんだ」

「――え、は?」

「だから、父なんだよ。しょう隋空ずいくうという」

「待て、あんた母親は妣國の、ええと」

食人精気じきにんしょうき

「え、城にいるのか?」

「いる」

「本妻で?」

「いや、本妻というか、三交ってのは、そういうものじゃないから」

「あ」

 すっかり忘れていた。そうだ。姮娥の民は一夫一妻で番うものではないのだ。ならば婚姻の形態も異なるに違いない。

「実際の繁殖が二交であっても、そんなもん法的には認められないからな。形式上どうしても三交が必要になる。もう一交は、元貴族の婆さんだ。名前だけ残して凋落ちょうらくして難儀していたところを、三交と言う役職としてやとい入れた。要は母を三交として置いておくために詭弁きべんろうしたんだな。婆さん自身は帝壼宮ていこんきゅうの城下の邸にいる」

「成程なぁ」

「隋空は、あれで元々はくの時代には宮中にいた官人だ。その前はそもそも氷珀ひょうはく胥吏しょりをやっていた。その頃に戦火に巻き込まれて瀕死だった母を拾ってかこった。後に有能過ぎて抜擢され宮中に召し上げられたが、げつに代わった後、のらくらしていて危坐きざに飛ばされた」

「どんな奴だよ……」

「最終的には切られずに済むよう振舞っているという事だ。余程月の言う事を聞きたくなかったらしい。あの男は、好き勝手はしたいが放逐ほうちくされたい訳ではないんだよな。やりたいようにしながら自陣は守り切れるというギリギリのところを攻めたがる。だからこそ余計たちが悪い。私も逃げ出したが監視はついている。それがこいつら兄弟だ」

 親指で指し示した。

「はーい、雇われでーす」

 紅炎こうえんはけらけらと笑いながら馭者ぎょしゃだいの上で片手を挙げてひらひらと振って見せた。

「ようは爸爸パーパてのひらの上でおどらされているということだな」

 その言葉を言い切るが早いか、騎久瑠が紅炎の背中を思い切り殴った。車体が揺れ、紅炎がせる。

 梶火は言葉を失った。

 多少の事は確かに儀傅ぎふ熊掌ゆうひからも聞き及んでいた。妣國ははのくにを脱したまつろわぬ民が境界を超えることはままある。しかしここまで内部に入り込んでいるものだとは思っていなかった。

 世界は、民は、思う以上に混じり込んでいるものなのだ。それが人である以上、完全なる分断などあり得ない。命の境界は淡く、じんわりと互いに浸透し合う。水面下で、密やかに、しかし確実に。それがよく分かった。

「――八咫に協力する事になった経緯だったな」

 突然、騎久瑠が話題を変えた。

 事前に問うていた事にようやく答えて貰えそうなので、梶火は胡坐をかいて騎久瑠に向き合った。

「ああ。一体どうやって知り合った?」

「――そもそも、仙山せんざんは辺境とゆかりが深い。あそこの頭領が辺境出身なんだ。生粋の五邑ではなかったはずだが、どういう混血かは聞き及んでいない。その辺りで妙な事を聞きこんでいる餓鬼がきがいると風の噂で聞いた」

 騎久瑠の目がじっと梶火のそれを見据える。



「――誰か、死屍しし散華さんげが体から抜けていっている奴はいないか? と」



「死屍散華が?」

 思いも寄らなかったその騎久瑠の言葉に、梶火は微か眉間に皺を寄せた。

「我々のようなまつろわぬ少数は連携を重視する。互いに干渉はなるべくしないが、不利益は大抵一蓮托生だから、その辺りは協力して安全を計る様にできている。だからそういった話が回ってきた。先の仙山の作戦の折には密かに連絡をもらい、安全策を取らせてもらっていた。かといって父も大っぴらに仙山に協力はできんからな。黄師こうしや禁軍に干渉する事はできない。その代わり仙山がえいしゅうに潜入したいという申し出をしてきた時には多少手心を加えた」

 だから寝棲ねすみ達は最低限の少数で瀛洲近くへ来られたのかと、今更に合点がてんが行った。

「ちなみにこの裏工作を知る人間は仙山の中でもほぼいない。吹聴しないでくれるか」

「わかった」

「これが今から凡そ二年前だったな。――この辺りから、多くの仲間達が狂い出した」

「狂った?」

「目覚めが起きたんだ――そう母は言っていた」

「目覚め」

 騎久瑠は難しい顔で腕を組んだ。

「一言で言えば、本性と本能の暴走、ととらえてくれて構わない」

「暴走、か」

妣國ははのくにの出身や血を引く者の中に、多数の異常変異が出た。多くは凶暴化してせいせいを食い荒らしたり襲うようになった。仙山や集落の中でも千近くの人間がそれで死んだ」

 梶火の表情が強張る。共食い、ないし食人。これは、今まで自分の周囲では遭遇した事のない事変だ。この二年の内に、各地でそういう事が頻発しているのだという。

「八咫がえいしゅうを出奔した時期。目覚めが発生した時期。そして――八咫の中から死屍散華が霧散し始めた時期。この全てが合致しているんだ」

「その、目覚めってのは、具体的にはどういうもんなんだ?」

 騎久瑠は、難しい顔をして前髪を掻き揚げた。

「ここから先は、妣國の領域の話になる」

「わかった」

「妣國は女王伊弉冉いざなみおさめる国土だ。その息子素戔嗚すさのおが、父君伊弉諾いざなぎの治める生者の國からははに会いたいと言って移り来た死者の國と言われている。これが妣國の大まかな神話だ。住まう民は多岐に渡る。我々薜茘へいれいはその一部だ」

「うん」

「我々の本性は、本来青星らと同じく人と大差はない。しかし、あの神達は別だ。その本性が『神域しんいき』の者だから、人間の理屈が通らん。我々が妣國を後にしたのは、その支配の脅威と霊威から逃れるためだ」


 『神域』、という初めて聞く言葉を、梶火はゆっくりと噛み締める。


 神話が生きている國。神々の統治する国土。大き星の見えない裏側。理屈の通らない強大なもの。それはまるで、白玉だ。手に余る脅威などからは、誰であっても逃げ出したいに違いない。

「――よっぽどその神さんの暴れ方がきつかったんだな」

「ああ。母もそう言っていた」

 騎久瑠は更に難しい顔をした。

「この素戔嗚には最愛の姉がある。これの名をあまてらすという」

「あま……」

 ちら、と騎久瑠は視線を寄越した。

八咫やあた本姓ほんせいと同じなんだよな」

 口を挟んだのは紅炎こうえんだ。

「ああ、そうだ」

 紅炎の言葉を騎久瑠が受け継ぐ。

「素戔嗚は積年に渡り、この姉との再会を激しく祈念している。しかし、この為に必要なものがあるんだ」

「必要な物」

「天照と素戔嗚の間には、誓約うけいの下に生まれた五皇子がある。これの一柱を天忍穗あめのおしほみみのみことという。更にその血を引いた息子――つまり天照の天孫てんそんがいる。この天孫をかすがいにすれば、素戔嗚は姉の下へ再びおもむけるのだという」

「また五なのか……」

 五邑といい、五寶といい、この数字をよく見かける気がする。

「どうした」

「いやいい。次にいってくれ」

「ああ。――しかし、妣國と彼等の國は、行き来が出来ないんだ。この二つを結ぶ黄泉比良坂よもつひらさかは、父君伊弉諾いざなぎが大岩でへだててしまっている」

 梶火の中に、ふと悟堂ごどうの顔が浮かぶ。伝え聞いたその本姓の四方津よもつと音が重なった。

「素戔嗚がこの天孫を手に入れるためには、隔たれた二つの世を黄泉比良坂という道で繋げねばならない。道を繋げるには、条件がある」

「というと」



「曰く、――天照が黄泉比良坂に対し、そのいのちに触れる事を命じ、黄泉比良坂がそれを許諾する必要がある――のだそうだ」



「姉の命令が拒絶されている限り、道は繋がらない、という事か」

「そういう理解で妣國では通ってきた。――そして」

 騎久瑠は、ぐっと中空を睨んだ。

「この許可が通った時に、目覚めが発生すると妣國では言い伝えられてきた」



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