46 黄泉比良坂 ー経緯ー
そこから彼等の本拠地への移動に要した時間は七日だった。
その道中、
まつろわぬ民は
しかしそれも地域によって異なる。
国土の中心にある
「この
騎久瑠が厭そうに――極めて厭そうに言った。
馬車は順調に先へと進んでいる。揺られながら恐らく騎久瑠自身も体を前後に揺らしていた。明らかに
「というと?」
「へらへらのらりくらりと柳の物腰で周りの忠告に耳を貸さない。何を考えているのか分からんが知らぬ間にこれが望んだ通りに周りは動かされている。気付いた時には後の祭りで、そんなつもりではなかったのに、結果的に
「策士か」
「そんな良いようなもんじゃない」
騎久瑠は心から不機嫌そうに頭を
「こいつに婿を取らされるところだったから逃げ出したんだ」
「は?」
「だから、こいつが私の父なんだ」
「――え、は?」
「だから、父なんだよ。
「待て、あんた母親は妣國の、ええと」
「
「え、城にいるのか?」
「いる」
「本妻で?」
「いや、本妻というか、三交ってのは、そういうものじゃないから」
「あ」
すっかり忘れていた。そうだ。姮娥の民は一夫一妻で番うものではないのだ。ならば婚姻の形態も異なるに違いない。
「実際の繁殖が二交であっても、そんなもん法的には認められないからな。形式上どうしても三交が必要になる。もう一交は、元貴族の婆さんだ。名前だけ残して
「成程なぁ」
「隋空は、あれで元々
「どんな奴だよ……」
「最終的には切られずに済むよう振舞っているという事だ。余程月の言う事を聞きたくなかったらしい。あの男は、好き勝手はしたいが
親指で指し示した。
「はーい、雇われでーす」
「ようは
その言葉を言い切るが早いか、騎久瑠が紅炎の背中を思い切り殴った。車体が揺れ、紅炎が
梶火は言葉を失った。
多少の事は確かに
世界は、民は、思う以上に混じり込んでいるものなのだ。それが人である以上、完全なる分断などあり得ない。命の境界は淡く、じんわりと互いに浸透し合う。水面下で、密やかに、しかし確実に。それがよく分かった。
「――八咫に協力する事になった経緯だったな」
突然、騎久瑠が話題を変えた。
事前に問うていた事にようやく答えて貰えそうなので、梶火は胡坐をかいて騎久瑠に向き合った。
「ああ。一体どうやって知り合った?」
「――そもそも、
騎久瑠の目がじっと梶火のそれを見据える。
「――誰か、
「死屍散華が?」
思いも寄らなかったその騎久瑠の言葉に、梶火は微か眉間に皺を寄せた。
「我々のようなまつろわぬ少数は連携を重視する。互いに干渉はなるべくしないが、不利益は大抵一蓮托生だから、その辺りは協力して安全を計る様にできている。だからそういった話が回ってきた。先の仙山の作戦の折には密かに連絡をもらい、安全策を取らせてもらっていた。かといって父も大っぴらに仙山に協力はできんからな。
だから
「ちなみにこの裏工作を知る人間は仙山の中でもほぼいない。吹聴しないでくれるか」
「わかった」
「これが今から凡そ二年前だったな。――この辺りから、多くの仲間達が狂い出した」
「狂った?」
「目覚めが起きたんだ――そう母は言っていた」
「目覚め」
騎久瑠は難しい顔で腕を組んだ。
「一言で言えば、本性と本能の暴走、と
「暴走、か」
「
梶火の表情が強張る。共食い、ないし食人。これは、今まで自分の周囲では遭遇した事のない事変だ。この二年の内に、各地でそういう事が頻発しているのだという。
「八咫が
「その、目覚めってのは、具体的にはどういうもんなんだ?」
騎久瑠は、難しい顔をして前髪を掻き揚げた。
「ここから先は、妣國の領域の話になる」
「わかった」
「妣國は女王
「うん」
「我々の本性は、本来青星らと同じく人と大差はない。しかし、あの神達は別だ。その本性が『
『神域』、という初めて聞く言葉を、梶火はゆっくりと噛み締める。
神話が生きている國。神々の統治する国土。大き星の見えない裏側。理屈の通らない強大なもの。それはまるで、白玉だ。手に余る脅威などからは、誰であっても逃げ出したいに違いない。
「――よっぽどその神さんの暴れ方がきつかったんだな」
「ああ。母もそう言っていた」
騎久瑠は更に難しい顔をした。
「この素戔嗚には最愛の姉がある。これの名を
「あま……」
ちら、と騎久瑠は視線を寄越した。
「
口を挟んだのは
「ああ、そうだ」
紅炎の言葉を騎久瑠が受け継ぐ。
「素戔嗚は積年に渡り、この姉との再会を激しく祈念している。しかし、この為に必要なものがあるんだ」
「必要な物」
「天照と素戔嗚の間には、
「また五なのか……」
五邑といい、五寶といい、この数字をよく見かける気がする。
「どうした」
「いやいい。次にいってくれ」
「ああ。――しかし、妣國と彼等の國は、行き来が出来ないんだ。この二つを結ぶ
梶火の中に、ふと
「素戔嗚がこの天孫を手に入れるためには、隔たれた二つの世を黄泉比良坂という道で繋げねばならない。道を繋げるには、条件がある」
「というと」
「曰く、――天照が黄泉比良坂に対し、その
「姉の命令が拒絶されている限り、道は繋がらない、という事か」
「そういう理解で妣國では通ってきた。――そして」
騎久瑠は、ぐっと中空を睨んだ。
「この許可が通った時に、目覚めが発生すると妣國では言い伝えられてきた」
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