43 消息 ー経緯ー



 困窮は多く市井の民に襲い掛かるのが常だ。その不遇の原因を赤玉の不在と捉える者が多く出たのは、不思議でもなんでもない。殿上人に近い禁軍や貴族の中には浸透しなかったが、逆に民草の人口には瞬く間に膾炙かいしゃした。


 おおやけに軍は三種ある。

 禁軍、黄師こうし廂軍しょうぐんだ。


 禁軍は皇帝の為の軍。宮廷の黄師もまた如艶じょえんの白玉前提体制を維持するためのもの。つまり三軍の内二軍は、ほぼ月如艶の為の物といって差し障りない。

 が、廂軍しょうぐんは違う。これはより民に近い軍だ。

 臨赤の詩を詠んだ詩家は、元を辿たどればこの廂軍しょうぐんの出身であったとされる。文武両道の臣は、その翻意ほんいを疑われた段階で申し開く事もなく宮廷から出奔したそうだ。つまり、逆意は誤解ではなかったという事である。矢張り廂軍とは、そういう気質をあわせ持つものなのだろう。

 廂軍の主な役務は、治水や土木である。兵の内訳の九割五分は市井からの登用で成り立っている。黄師も一部民間から兵を募る事はあれど、廂軍しょうぐんの比ではない。つまり、儀傅ぎふはこの例外にあたる。

 この廂軍しょうぐんの中に、臨赤りんしゃくはその存在を着々と増やし浸透させている。赤玉帰還をたくらむその信仰は、やがて一向に好転せぬ世情に対して不満を募らせた。やがてその中に廂軍しょうぐんという権を背景として、武器武力がたくわえられていったとしても不思議はあるまい。果たして、それはそれなりの規模の反乱分子として成立しようとしていた。

 しかし、これも未だに一枚岩ではない。廂軍しょうぐんの中だけではなく、儀傅のように黄師の中に散っている者もある。市井に紛れている者もいる。あらゆる場所に、臨赤を自負する者共がいる。しかし、その集りは極めて分断的で、主幹と標榜する要素もまちまちだ。信仰重視の衆があれば、武力をもって現状打破をたくらむ衆もある。それぞれの場に、それぞれが思う形の臨赤として点在するばかりで、全体が一つの集団としてまとまり、機能するには至っていない。


 つまり旗印はたじるしがないのである。

 取りまとめて動かすという機構が働いていないのだ。


 梶火に言わせれば呑気な事極まりないが、長命種であるという余裕が彼等を日和見にさせ、そのあらゆる初動を遅らせている事は間違いないだろう。なんだかんだと死屍しし散華さんげに害されない限り、彼等は死なないのだ。生存に対する危機意識が五邑ごゆうとはまるで違う。

 とまれかくまれ、降り積もった不満と、かつての信仰穏やかな時代への回帰願望が彼等の勢力を拡大させているのは間違いないらしかった。

「まあ、瓊高臼にこううすからすれば、臨赤は頭が痛い問題だろうな。何せ赤玉への信仰はあれど、反月如げつじょえん 体制と言う訳だ。そもそも月自身が赤玉の最側近だった。これに敵対を表している臨赤の肩は、持とうにも持てない。信仰が広がるのは望ましい事だが、彼等にしたら前提がまずいという事だ」

「その高臼こううすってのは?」

 梶火の問いに、儀傅は「赤玉信仰の総本山だ」と答えた。

「そんなもんがあったのか」

「ああ。信者は皆、一度は瓊高臼へ参拝する事を祈念している。じょう州の更に西、州の南に位置する。一州と同等程度の土地を有し、全体がなだらかな山となっている。その全体を瓊高臼山と呼び、山のいただきを聖地とする」

 聞き慣れぬたくさんの言葉や地名に、梶火は顔をしかめる。本当に己は、あらゆる事を知らずに生きてきたのだ。そう痛感せざるを得ない。知らない事の数だけ、世界の見通しは曇る。無知の事実は梶火の背筋をぐっと強く伸ばさせた。

 過信と悟れば即座に己を正し学ぶ努力をおこたらない。何を置いても真っ先に反省する。それが南方みなかたの教えだった。梶火の血肉には、その教えが染み付いている。

 儀傅が再び軽い咳払いをした。

「基本的に、臨赤は大きく世に対して動かず、その望みを示さないできた。だからというか、結果的に未だに為政側からは大きな敵対勢力としては扱われていない。ただ赤玉に帰ってきてほしいと祈っているだけだからな」

「それじゃあ、何時までっても状況は変わらねぇじゃねぇか。今どこにいるんかも判然としねぇのに、帰ってきてくれって祈るしかねぇんじゃ話にならんだろうが」

「そうだ。今臨赤は変わりつつある。だからこそお前に声を掛けたんだ」

 そう言う事か、と梶火は合点がいった。

 自分達が変わり動こうとしているのと同じく、この臨赤もまた変わろうとしている。その瞬間に並び合ったが故のこの状況、という事なのだろう。

 動いたからこそ見えたもの、掴めた機会。つまり、行動なくば何もなしえないという事だ。

「なあ儀傅」

「うん」

「俺、あんたにちゃんと礼を言ってなかった。色々手筈を整えてくれてありがとう。俺一人じゃなんもできんかった」

 梶火の言葉に、儀傅はふっと笑う。

「なんもできんかった、か」

「ん? なんだ?」

「いや、知人が同じ言い回しをしていたのを思い出してな」

「知人?」

「そういえば、あいつも五邑だったな。出身は聞かなかったが」

「そいつ、名前は?」

 ふと、大した思いもなく発した問いかけだった。ちら、と儀傅は梶火に視線をやると、遠い記憶を見るように行く手の果てへ目を向けた。



仙鸞せんらんだ。仙鸞せんらん八咫やあた



 がたん、と思わず梶火は腰を浮かしかけた。

「こら下がれ。見られるだろうが!」

 小声で怒鳴る儀傅に、梶火は愕然として目を向けていた。儀傅もそれに気付く。

「どうした? 梶火」

「――八咫だと」

「あ? ああ。八咫だ」

「そいつは何者だ? 今何処にいる? まさか臨赤にいるのか? ていうか、いつから?」

 矢継ぎ早に問いながら、しかしややあって梶火は眉間に深い皺を寄せながら口元を手で覆うと俯いた。

「あ、いやでもあいつの姓はあまてらすだから、名前が同じってだけか……」

「なんだ? 知り合いか?」

「いや違うとは思うんだが――」

「仙鸞と俺が顔を見知ったのは、もう一年と半年は前の事だな。縁あって臨赤が手を貸す事になったが、結果的にはうまくいかなかった。――未だに悔やまれるよ」

 儀傅は難しい顔をしながら、ついと彼も自身の口元を襟巻で覆い直した。少しゆるみかけていたのだろう。確かに、万一にも口元を見られて梶火がいる事に気付かれてはならない。

「そいつ、どんな顔してる? 年嵩は?」

「見た目はお前とあまり変わらない頃かな。身長はお前よりも高い。六尺近かった」

「ああ、じゃあ違うか」

「肌は五邑にしては珍しく赤銅しゃくどう色に焼けていたな。髪も眼も底が見通せない程に深い漆黒だ。仙山せんざんだから左手首には数珠を巻いていた」

「ちょっと待て、それは――」

「心当たりあるのか?」

「仙山なんだよな? そいつ、連れはいなかったか?」

 儀傅の眉間に皺が寄る。

「――もし、俺が言っている仙鸞と、お前の言っている八咫が同じ人物なんだとしたら、仙鸞は、その連れを取り戻そうとしていたんだ」

「……その連れの名前は」

はく食国おすくに。――白浪はくろうさらわれたと聞いている」

 梶火は胴震いした。


 いた。

 見つけた。

 生きていた。

 その頬に、安堵と喜色が浮かぶ。全身に粟が立つ。


「大当たりだぜこん畜生ちくしょう。八咫の野郎、あいつちゃんと仙山に行き着いてやがった。……てか、食国の奴、白浪に連れて行かれたのか」

 そこで、梶火の声が沈む。

「――なあ、さっき、結局上手くいかなかったって言ってたな」

「ああ」

「どうなったんだ」

 儀傅は間をおいてから、ばちりと馬に鞭を一つ打った。気付けば一行からやや遅れが生じていた。

「ちょうどいい。こうなったら、騎久瑠きくるに直接経緯を聞いた方がいい。俺も又聞きの事がほとんどなんだ」

 そこから儀傅は口を閉ざすと、馭者としての役務に専念しだした。

 梶火は、思いがけず聞いた旧知の消息に胸が騒いでいた。

 今すぐ、そこにいる熊掌にこの事を聞かせてやりたかった。


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