26 梅蘭



 留紺とまりこんの空に、麻硝の三つ編みが靡いた。

 八咫は、一瞬躊躇してから、溜息と共に口を開いた。

「――俺はずっと、お前は為政者のいただきに立とうとしているんだと思ってた」

「うん。皆からは、そう見えただろうね」

「違ったんだな?」

「僕の星周りは違うだろう。率直に言ってくれ。君から見ても、そうじゃないのかい?」

 八咫は一瞬言葉を探しあぐねてから、小さく頸を縦に振った。


「お前が仙山せんざんにやらせてきたのは、新たな為政のための積み重ねとかじゃない。単なる報復だ」


 ばさりと、外套がはためくほど強い一陣の風が、二人の間を通り抜けた。

「お前がたい輿の文献回収に目を着けたのは、りょ家の千鶴ちづるのための報復だ。不死石しなずのいしの収奪も、五邑ごゆうが浴び続けてきた犠牲と不利益と同等程度の返礼に過ぎないと思ってるだろ。――これはな、はっきり言っちまえば「やられた分をそっくりそのまま返す」って事だろが。だからその報復対象に、俺等を姮娥こうがへ送り込んだ異地の帝を含んでたんだろうが」

 八咫の言葉を、麻硝は薄く微笑みながら面白そうに聞いていた。

「ふむ。成程」

 そう事も無げに言う麻硝に、八咫は溜息を零した。

「お前はさ――世界を均一にしようとしてるんだ。俺達兵隊を使って、世界の強弱を力尽くでそろえさせて、利益と不利益を相殺しようとした。全ての人間を同じ地点から同時に歩き始めさせるべく、不条理な不平等を刷新しようとしている。それこそ、寿命の違いも条件も何も考えなしにだ――いずれまた、新たな強弱が生まれるのは必至なのに」

「君はそれを愚かしいと思うのかい?」

「考えなしだとは思う。それこそ、この五百年を懸命に生きた人間に対する冒瀆だ」

 八咫の目が、じっと麻硝を見据える。


「お前にとって重要だったのは、理不尽に奪われた過去の報復と、復讐心の浄化だったんだろう」


 麻硝と八咫は、互いの眼を見据えていた。

「でもな、俺に言われるまでもなく、お前はきっとはじめから分かってたんだよ。何もかもなかった事にしたかったけど、そんな事はできっこないってな」

 八咫の暗く黒い眼差しが、また大き星に向けられる。

「俺達に見えているのは、まだ世界の全てじゃない。だからこそ俺達は前へ進んできたが、そのたびに、途方もなく大きな別天地に圧倒されてきた。新しい風にさらされる度に、お前は、また更に広範囲でのれいの地点を作る事を目指した。痛めつけられた連中を見る度に、世界の全てを刷新さっしんしたくなる。お前は破壊を止められない。どこまでもいつまでも、お前がやらずにはいられないのは破壊なんだ。――それは、為政者がやる事じゃない」

「そう。……そうだね。君の言う通りだ」

 ふっと瞼を伏せて一瞬微笑んでから、麻硝は晴れやかな顔をして眼を開いた。

「君が仙山にきてくれて本当によかった。これで僕は、やっとこの椅子から降りられる」

 これを麻硝に言わせたなら、自分はその責任を負わねばならない。八咫は十二分にその事を理解していた。それでも自分にしかそれは出来なかったろう。全ての苦楽を共にしてきた寝棲や梅蘭には、決して出来なかった。言えなかったろう。

 仙山に統治権を握る力はない。よしんば月朝を倒す事は出来ても、その後の勃興は成らずに崩れ落ちるだろう。ならば、均した国土を差し出すべき国主が必要だ。

 八咫の外套がはためき、そっと瞼が伏せられる。その眼は遠く懐かしい少年の姿を瞼の裏に宿していた。――何時如何なる時も、常に。

「俺は、食国おすくにが玉座に着くのを疑った事は一度もない」

「うん。知っていたよ」

「俺の命が贄になり、これからあいつが作る国を支える事に繋がるなら本望だ。あいつなら、八重やえの事も邑の事も必ず何とかしてくれる。麻硝、頼む。俺は見届けられないから、代わりに見届けてくれんか。食国に、このそらの下の国を預けてくれ」

「――ああ。その言葉、確かに受け取った」

 真っ直ぐに向け合わせる視線。

 それは確かに、信頼という言葉で結びつけられたものだった。

「なあ麻硝。最後にもうひとつだけ聞いておきたい」

「なんだい?」



「――お前、自分には梅蘭を使う権利があると本気でちがえてねぇか?」



 予想だにしなかった言葉に、麻硝は息を吞んだ。

「……そう、見えるかい」

「見えている。実際お前の行動はそうなってる。俺はそれが赦せねぇ」

 強い口調の八咫に、麻硝は視線を僅かに泳がせた。ややあって、それを土の上に落ち着かせる。

「君は、僕と梅蘭の事については」

「本人から聞いてる。というか、見ればわかる。さすがにな」

「――そうか」

「麻硝」

「――……。」



「俺は、これに関してはお前を裏切るかもしれねぇぞ」



 ぎり、と凄まじい眼光が一瞬八咫を睨んだ。――が、それもわずかな間の事。麻硝は諦めたように微笑んだ。

「――奪う気かい、僕からあれを」

「力付くではしねぇ。本人次第だ。本人に決めさせて然るべきだろう。お前は保食うけもちにも何者として生きるかは自分で選べと言った。なら、梅蘭にもそうさせてやれよ。じゃなきゃ道理が通らねぇ。俺は――」

 「すぅ」、と八咫の胸に息が深く吸い込まれる。



「――梅蘭が欲しい。俺にはあいつが必要だ」



「――どうしてもか」

「ああ。どうしてもだ。お前も分かってたから、俺の見送りに付けるのは梅蘭一人にしたんだろうが?」

 はっきりとした八咫の断言に、麻硝は笑った。

「――そうだね。君達が自ら決めて動くものを、僕に止めようはないからな」

 にやりと八咫は笑った。

「おまえ、言ったな」

 麻硝も笑った。

「ああ、言った」

「あいつが決めた事なら妨害しないって意味だと受け取るぞ?」

「ああ。それで構わないよ」

 男二人、確信に満ちた笑みを交わし合う。

「――しっかし、こんな事勝手に話し合ってたってバレたら、俺絶対梅蘭にぶん投げられるわ」

「心配しなくても僕もそうだよ」

「何? お前も梅蘭に投げられた事あんの?」

「そりゃあ、数えきれないくらいにね」

「そらまた激しい関係だ事で」

「――八咫」

「ああ」

「信じるぞ。あれを無駄に散らせたら幾らお前でも生かしてはおかんからな。贄にする前に俺の手でお前の始末をつける。そのくらいの覚悟だけは持って連れて行けよ」

「わかってる。命と体は売約済みだが、残りの半生くらいなら梅蘭にくれてやるさ」

 二人は、静かに互いの拳と拳を打ち合わせた。

「さすがに、そろそろ時間だな」

「ああ」

 麻硝がばさりと外套をひるがえした。新しい朝に向かい、長靴の裏を鳴らして歩き出す。


「さあ、行こうか。最初の破壊の幕を下ろしに」


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