24 冥途の土産



 保食うけもちは、ぶるりと胴震どうぶるいした。

 酔いもある。無論、気温の低さもあったろう。しかしそんなものとは比較にならないくらい、この少年の内に蜷局とぐろを巻いた闇の濃さにはじめて触れ、その重さに怖気おぞけがしたのだ。

 すいどろが、「うん」と小声で頷く。

「ぼくも、ここしばらく君と関わってわかったけど、八咫やあたは自分が納得できるまでは人の言う事を聞かない。寝棲ねすみの言ってた通りだ。君は仙山せんざんに来てから自分以外にも死屍しし散華さんげの力を失くした人を探して歩いたんだよね。そして見つけられなかった。だけど、その最中に、何かあったんだね」

「――俺は、多分聞く耳がないんだよ」

「うん。そうだね」

「寝棲には、妣國ははのくにに系譜を持つ奴等は危険だからあんまり関わっちゃだめだって言われてた」

「うん。そうだね」

「――みんな、良い奴だったんだ」

 ばちん、と激しい音がした。焚火の中でまきぜたのだ。

「友達をさらわれたから取り返したいって言ったら、助けるって言ってくれた。たくさんの奴等が、俺についてきてくれた。見返りなんか、誰も何も求めちゃいなかった。ただ、食べられる種類がそれぞれ限られるから大変だとか、姮娥こうが側にくるとちょっと体調が悪くなるとか、そんな話をたくさんしてくれたから、大変なんだなって、そう言って、ちょっと血とかを分けたりしてやっただけなのに、皆、俺を助けてくれた」

「良い人達だったんだね」

 はなすすり上げながら、八咫は言葉を続ける。

麻硝ましょうに言ったんだ。水源汚染をやったのは白浪はくろうだって事にすれば仙山せんざんに向けられる危険は減らせるし、警戒態勢も少しゆるめられる。だから、帝壼宮ていこんきゅうや各州城に文を飛ばせって。白浪からの宣戦布告に見せかけて、あいつ、頭領って言ってた琅邪ろうやおうらいの名前と本拠地の所在を一緒に書いとけば、黄師こうしと禁軍が白浪に向かうだろって」

「――あれ、あんたの発案だったの……」

 絶句した保食の言葉が届いたのか否か、八咫は更に言葉を続ける。

「その間に姮娥こうがの民を装って各地の州城から金になるものをこっそり集める。それをこの辺の集落の皆に分ける。姮娥こうがの困ってる奴等には仙山が奪った不死石しなずのいしを分けてやればいい。そうすれば、げっちょうの体制は揺るがされるし、民も苦しまないで済む。そうやって騒ぎを起こしている内に、協力してくれる奴等と俺で白浪に忍び込もうって」

 八咫は背中を丸めながら「――あんなに事が早く動くとは思わなかったんだ」とうめいた。

姮娥こうがの民も、それも特に囲いや守りが行き届いてない地域の奴等は自分達の土地に住めなくなった。水が駄目になったから作物も育てられない。飢えて行き場をなくして、みんなが北東に向かった。俺達が、そこで不死石を配ってたからだ。――その量があまりに多くて、州城で物を盗み出す事で遠ざけたはずだった黄師こうし達がこっちに来ちまったんだ。俺達は白浪に近付けないまま、立ち往生するしかなくなった」

 夜は更けた。刻限的に、そろそろ年が変わる頃だった。



「――そんな頃だった。仲間達の様子がおかしくなっていったのは」



「――目覚め、かい」

 八咫はこくりと頷いた。

「あの頃は、そんな事知らなかった。ただ、急におかしくなった奴等が共食いを始めた。それを止めようとしていた奴等もだんだんおかしくなっていった。誰がいつおかしくなるか分からない。今日は大丈夫でも明日はだめかも知れない。――あいつらからしたら、自分がいつ豹変して仲間を殺すか分からないんだ。どれだけ怖かったろう」

 ぎり、と八咫は拳をにぎると、壺を取り上げ酒をあおった。

「その内、仙山が民衆の乱を装っていたのに先導されちまったのか、本当に仙山以外の、本当の姮娥こうがの民衆が乱を起こしだした。もうそうなったら、どこにどの軍が動いているのか分からなくなっちまって……、仲間も、誰もいなくなって、バラバラになって、俺がたった一人で白浪はくろうに辿り着いた時には、もう完全に爆破されてて、痕跡もなかった」

 ごとり、と壺を地面に置く。無意識なのか、自身の左下腹部を撫でる。

「――寝棲が助けに来てくれなかったら、俺はほう州の涯で死んでたと思う」

 ふふっと、自嘲の笑みを漏らし、八咫は頭を掻いた。そして真顔で二人を見た。

「なあ、それでも俺はおすくにを諦められねぇ。馬鹿だと思うが、どうしても諦められねぇんだ。もしかしたら俺のあの考えなしで馬鹿な作戦のせいで巻き添え食らって、もうとっくの昔に食国は……っ」

 歯軋りして震える八咫に、保食は胸が締め付けられる思いがした。

「八咫」

「確かめなきゃいけないんだ。どんだけ怖くても、ちゃんと、俺が自分の眼と手で確認しなきゃいけない。自分がやらかした事の責任をとらなきゃいけねぇんだ。あいつのいない明日は、俺の生きる場所じゃない。だけど、それ以上に、白玉はくぎょくを取り戻すっていう約束だけは、絶対に反故ほごにしちゃいけねぇんだ。もう、俺達の間には約束しか繋がれるものがねぇんだよ」

 保食は、少しうつむいた。肩から零れ落ちた髪を掻き揚げてから、眉間に深い皺を寄せる。

「―――あんたさ、そこまで思う相手がいて、なんでにえになんかなろうと思えんのよ」

「それこそ、俺にしかできない事がそれだからじゃねぇか」

 八咫は真っすぐな眼で水泥を見上げる。

「水泥兄さんなら、わかるだろ? 俺がならなきゃ別の誰かが犠牲になるだけだ」

「うん。そうだね」

 水泥も、八咫を真っすぐに見つめる。

「大切な人の未来につながるならって、ぼくもそうおもうから」

 ふ、と笑いあう二人に、保食は盛大な溜息を吐いて頭を抱えた。

「何なの二人ともほんっとに……そんな死にたいわけ?」

「いや、そりゃお前、俺だって死にたかねぇよ? 他に方法がないかは探るがさ、いざって時はそう動くって事は決めとかなきゃならんだろうが」

 保食は、はあと再び溜息を吐きながら頭をふる。その呆れかえった仕草に八咫は「ああ?」と眉間に皺を寄せた。

「お前、そんな溜息ばっか吐くんじゃねぇよ。身を棄てて大役を仰せつかった仲間に対してあまりにも情がなさすぎるだろうが」

「うるっさいよ! この馬鹿餓鬼が!」

 言うが早いか、保食は八咫の壺を奪い取ると一息に古酒を煽った。

「あっ、おい!」

「ちょっと保食、だめだよ。飲みすぎだよ」

「あたしはぁ」

 すん、と鼻を鳴らしながら、保食は口元をぬぐう。

「あたしは、器になる事は覚悟して生きてきたよ? そのへんあんたらの考えも気持ちもわかる。――だけどさ、思いあう相手がいるってのに死に向かうその感覚はっ、どうっしても理解できない! なんでなんだよ⁉ なんで残して行こうなんて発想が出てくんのさ⁉」

「いや、俺等は別に思いあうとかそういうんじゃ」

「ぼくも、そうだと思うけど……」

「うっさい! あたしは寝棲の話をしてんの‼」

 保食の怒声に、八咫と水泥は「ああ」と顔を見合わせた。

「――それは、まぁな」

「確かにね」

「でもなぁ」

「ね」

 ぶつり、と保食の中で何かの糸が切れる。



「男二人でわかったような顔してんじゃないわよ‼ なんでこう、男共はこうなの⁉ 優しい言葉と態度と誠意だけ遺していけばいいとでも思ってんの⁉ 梨雪の気持ちはどうなんの! 置いてかれる女の身にもなりなさいよ‼」



 そこまで叫んで、保食ははた、と正気に返った。

 男二人がじっと自分の顔を見ている。その視線に含まれる意味など明白だ。これは完全に自分が口を滑らせている。しくじったでは済まない酔いの醜態に、保食は頭を抱えて縮こまった。

「――なあ、お前さ」

「いい、何も言うな」

「いや、言うだろさすがに」

「頼むから、黙れ」

「保食、さすがにそれは無理な注文だとおもうよ」

水麒すいきも黙れ」

「いやいや。……いやまあ、俺には言われたくねぇかも知れんが、お前こそ惚れた男がいるんと違うか?」

「――――知らない」

「いや、そりゃないだろ」

「だってしょうがないじゃんか⁉ 私なんか何とも思われてないんだもん!」

「もんって……もんって」

 半笑いになる八咫と、苦笑する水泥の顔を、腕の隙間から見る。顔が赤いのは、当然古酒の所為ばかりではない。

「なぁ保食。冥途めいどの土産に、それ、誰か聞いてもいいか?」

「いいと思うんか⁉」

「いや、ここまでお互いさらけ出した仲ならむしろいいだろ」

「そうだね。誰かな? 保食」

 保食は、顔を上げ、うつむけ、また上げて、ついには抱えた膝に赤らめた顔を埋めてから、小さく答えた。

「――無理」



 五ヵ月の内に、保食も簡単な文のやり取りが可能なくらいになった。結局、気が急く八咫の心情を理解していた水泥が麻硝と話をつけ、蓬莱に残されていた文献は長である蔡が筆写したものを仙山に送り届けるという形で八咫の手に渡り、その脳に刻まれた。蓬莱の文献は布に刺されるような事もなく、またろくに人目に触れる事もなく、巻子かんすの形で宝物蔵の隅に積まれていたらしい。


「――やっぱり、あれは瀛洲だけのやり方やったんやな」


 そう、ぼそりと遠い目でつぶやいた八咫の胸に去来していた思いが、一体何に起因する物だったのか、保食は聞きそびれ、そしてそのままになった。

 睦月むつきの半ば。次の蓬莱ほうらい滞在に向けて荷をまとめている時に八咫から手渡されたのは、字引の複写本だった。八咫が手ずから書いたものだった。その膨大な労力と几帳面で細かい文字に保食は感嘆し、素直に感謝した。



 八咫が仙山大本営を離れたのは、保食が蓬莱へ向かった直後の事だったと、保食は後に麻硝から聞かされた。

 方丈の図版を手に入れるには、宮城に入るしかない。

 その為には黄師に潜り込むのが確実だったのである。



 八咫がえいしゅうを発ってから、実に一年と半年が経過していた。


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