21 黄泉返りと『環』の贄


 ひやりとするような口調の八咫に、さすがの中達が苦言を呈した。

「八咫、お主は当主に対してもう少し口の利き方をなんとかできんのか?」

 中達が呆れたように言うのに、八咫はけろりとした顔で頭を巡らせた。

「何でだ? 俺は思った事を隠さず言ってるだけだ。それが俺の仕事で、麻硝は自分の配下って道具を使いこなすのが仕事だろうが? その肝心の道具が持ってる材料出し惜しみしてどうすんだよ。てめぇの頭領をたばかれって事か? ありったけ知恵出した後に、そこから何を選ぶかは麻硝の自由だし、その判断に従うのが俺達じゃねぇのか?」

「いや、まあその通りなんじゃが……ううん」

「いいか? こいつが蓬莱に戻ってる間、おれは水泥兄さんと武器造りについて話をめる。どうしても完成させてほしい物があるんだ。で、保食が帰ってきたら、文字を教えながら俺の頭にしか入ってない文書を紙に起こす。で、同時に俺は梅蘭に稽古を仕上げてもらう。その五ヵ月の間水泥兄さんの武器の完成を待つ。そんだけ時間があれば、兄さんなら間違いなく完成できる。――ここにいる間に、どうしても見届けたい」

 保食が、はた、と止まった。

「ここにいる間に、って、あんた、どっか行くの?」

 八咫は前髪を掻き揚げながら、横目でにやりと笑った。

「決まってる。はくこう遺児と白玉はくぎょく、両者の奪還に向けて、動く」

「な、」

 麻硝もまた「さっきも言ったが、聞かせた、という意味を理解してほしいんだ」と言葉を重ねた。

「保食。お前が二月前に知らせてくれた事で状況が変わったんだよ」

「え」

 二か月前というと、露涯で隴欣ろうきんに吐かせたあれしかない。



 ――『環』に使えるのは、『色変わり』しない男に限られる。



 たから一つにつき一体にえがいる。繋いでいる『かん』の数だけ『色変わり』しない邑の男を生贄にして『環』を外す。

「ま、麻硝?」

「なあ、保食」

 名を呼んだのは寝棲だった。

「麻硝と梅蘭の他に言った事はなかったが、俺は、員嶠いんきょうで『かん』を解くところに遭遇している」

「え」

「当時まだ十かそこらだったが、はっきり覚えている。当時の長の継嗣に黄師が言っていたのを盗み聞きしたんだ。贄に出来るのは、完全に『色変わり』しない、生きた男でなければならない。何故なら、白玉をとらえている『環』の肉体がそうだったからだ、と」

 保食は吐き気がした。喉の奥に胃液がせり上がり、口の中に苦い物が広がる。



「『環』を解くには、『環』に新たな肉体を与えなければならない。『環』は、連結した頭蓋骨と脊椎で出来ている。贄の肉体からこれを取り除き、それ以外の肉体を『環』に与えるんだ。そうすれば、『環』は新たな肉体を得て、人として黄泉返る。だから『環』が解除されるんだ」



「――は?」

 八咫が耳をほじくりながら「つまり」と続ける。

「分かりやすく言えば、五百年前に『環』になった奴等が黄泉よみがえるんだよ。贄ってのは白玉の為のもんじゃないんだ。あれは『環』の為に用意しなきゃいけないものだったんだ」

 卓子の上に乗せられていた紙束の中から、八咫が一枚を引っ張り出した。それを無造作に寝棲に手渡す。寝棲はそれを保食の膝の上に乗せた。読めない文字の羅列を、保食はただ眺めるしかできない。

「保食。員嶠いんきょうで八咫の伯父を贄として黄泉返った『環』は黄師にこう呼ばれていた。――阿部御主人あべのみうし様、ってな」

 差し出された紙にはこう書かれていた。それを寝棲が読み上げる。


 はち方丈ほうじょう、『真名まな』の『環』は大海人おおあまの皇子みこ

 玉枝ぎょくし蓬莱ほうらい、『かんばせ』の『環』は葛城かつらぎの皇子みこ

 かわごろも員嶠いんきょう、『御髪みぐし』の『環』は阿部御主人あべのみうし

 龍玉りゅうぎょくえいしゅう、『玉体ぎょくたい』の『環』大伴御行おおとものみゆき

 かいたい輿、『子宮しきゅう』の『環』は石上麻呂足いそのかみのまろたり


「こいつらは、不死を拒絶した帝とは違う。だから、「かぐや姫の物語」では姫から拒絶されたと描写されている。あの物語は、『環』の正体がこの五人だと知らせる為のものだったんだ」

 保食は、じっと紙面に書き連ねられた文字を見つめ続ける。読めずとも、その形を心に留めんとばかりに。

「恐らくだが、この『環』を作れる者、解除できる者は月朝げっちょうに二人しか存在しない。俺が見た時の奴は、げつとう様、と呼ばれていた」

 はた、と保食が顔を上げる。「月桃……どこかで聞いた事が」と、そこまで口に出して、はっとした。

「黄師大師長の名だ。璋璞しょうはくから聞いた事がある。器の継承時に白玉の切り分けをする、不死石しなずのいし寶刀ほうとうを扱える唯一の者」

 中達が重い溜息を吐き「――そう。げつ如艶じょえんだい璞蘭ぼくらん、赤玉の三者を親に持つ、げつの子じゃ」と肯定した。

「信仰の象徴、赤玉の頂である瓊高臼にこううす山には、その月桃とほうとうと共に、黄泉返りし石上麻呂足いそのかみのまろたり阿部御主人あべのみうしがいる」

「待ってください、師傅。寶刀は帝壼宮ていこんきゅうの内宮に納められているのでは」

「それは如艶じょえんの刀の方じゃ」

「――二振りあったのですか?」

「正しくは三振りじゃな。そのうち、本物の寶刀を持っているのが月桃じゃ。本物にしか器の切り分けは出来ぬ。残りの二振りに出来るのは『環』の生成と、贄の切除と『環』の黄泉返りだけじゃ。その一振りが内宮にある如艶じょえんの刀。最後の一振りは先帝が手にしていたはずじゃが、今は行方が知れぬ。――十中八九、白浪はくろうが手にしているじゃろうな」

 八咫の手が保食の手元に伸びた。渡された紙を引き取ると、今度はそれを麻硝に渡した。麻硝はゆっくりとそれに眼を落し、ふ、と笑った。

「うん。恐らく、異地の帝の本懐は、この五人の死者を不死者として復活させる事なんだろうね」

「不死者って……」

「そうできるのだろうと読むべきだ。でなければこの五百年の間に時間差を許して『環』の解除をしているわけがない。一人だけを先に解除して寿命で死んでは元も子もないだろう? 白玉制御の為に五体の骨で『環』を作って繋いだというのは、恐らく建前に過ぎないんだ。白玉に『環』として繋ぎ、死屍散華を送り込んだ遺骨は、贄を介して黄泉返らせる事ができる。八咫のこの推測が正しければ、なるほど、異地の帝というのは随分と狡猾だ。赤玉を手に入れただけでなく、こちらでも死者の復活という目的を果たさせようとしている」

「一挙両得を狙った異地の帝に、まんまとめられた訳じゃな、月朝は」

 眉間を顰めた中達に、八咫も「ああ」と首肯した。

「それを可能にしたのが不死石の寶刀ってこった。で、五体が黄泉返れば、そいつら自らで黄泉比良坂よもつひらさかを通って異地に帰還するんだろう。――言い換えれば、この五体が黄泉返らない限り、月朝は異地の帝から赤玉を返してもらえない。と同時に、赤玉を取り戻したいのは山々だが、白浪や反乱軍がある以上、武力としての白玉を手放す事もできない状態にある、と」

「見事な四面楚歌じゃわい。とどのつまり、白玉の解放と、黄泉比良坂を繋いで開く事と、二つの神を元に戻す事は、切っても切れない流れの上にある、という事なんじゃな」

「そうだ」

 八咫は自身の掌に拳をばちんと叩きつけた。


「俺は――『真名』の『環』を解く贄の任を引き受けた」


 次いで寝棲が、すっと挙手し、に、と笑った。


「で、俺がやるのはえいしゅうの三寶合祀だ」


「おい⁉」

 思わず保食は叫んで立ち上がった。膝の上から本が滑り落ちる。

「寝棲⁉ お前馬鹿だろ⁉ 明日挙式するって奴が何言ってんだ⁉」

「だからだよ」

 寝棲の表情は幾分青褪めていたが、無理ににやりと笑んで見せた。

「麻硝は、約束通り梨雪りせつに自由をくれた。俺は、それに報いなきゃならん。梨雪を自由に出来たという事は、つまりお前の犠牲か――えいしゅうの天照の娘の犠牲を伴うって事だ。俺等だけ一抜けたはできねぇんだよ。――それに何より」

 寝棲は言葉を区切ると、しばらく肩を落としてから、全員に背を向けた。

「俺は、八咫を巻き込み犠牲を強いた。えいしゅう出奔の間際に、俺はこいつから失わせてはならないものを手放させてしまった。こいつ一人に贄の重荷を背負わせる訳には行かないんだ」

「おい寝棲。俺は別に犠牲だとは思ってねぇ。邑からは自分の意志で出て来たんだし、食国おすくにの事も諦めた事はねぇぞ? 白浪に罪をなすり付けてでも食国を取り返すと決めたのは俺自身だ。――麻硝はそれを受け入れて実行を許可してくれた。しくじったのは俺のヘマで俺に責任がある。その分のツケくらいは自分で払わないと話しにならねぇだろうが?」

 寝棲は、ふはっと気の抜けた笑いを零した。

「ああ、そうだな。お前は本当に手段を選ばないヤツだ」

「ちょっとあんた等! 男だけで仲良く完結してんじゃねぇわ! 梨雪はどうするんだよ! お前がいなくなるなら自由になっても意味ないだろうが!」

 そこで保食がはっと顔を上げた。

「そうだ。完全に『色変わり』しない生きた男ってんなら、方丈にいくらでもいるじゃんか! そいつら捕まえてくれば――」



「それは駄目なんだ」



 保食の言葉を寝棲が両断にする。

「贄は、当人が了承していないと成立しない。八尋やひろの――八咫の伯父の時にそう聞いた」

「――そんな」

 保食の肩から力が抜ける。

「なあ保食。何も今直ぐって訳じゃない。やらなきゃいけない事はまだまだ山積してるんだ。こいつが作戦通りに『真名』に近付けるような立場になれるまでは、まあ俺の寿命にも猶予があるって訳だからさ」

「もういや聞きたくない!」

 がん! と保食が石床を踏む。

「……そんな、そんな話聞きたくなかったっ……!」

 ずるずると後退あとずさった保食は、とすん、と椅子にへたり込むと頭を抱えた。その傍らに、麻硝が歩み寄る。保食が落とした本を拾い上げてから、静かに彼女を見下ろした。

「――保食」

「……。」

「僕達が、君に対して思う事も、同じなんだよ」

「だって……それはっ」

 そこで漸く気付いた保食は、大きく眼を見張った。顔を上げ、全員の顔を見渡してから、再び俯き、拳を固く握りしめた。

 ――今ここにある常とは違う状況。梅蘭ですら広間から出す程の機密事項。その話を聞かせているのが――自分だけではないという事。

「――もう一人の、候補は」

 麻硝と八咫は、ちらと目配せしあった後、保食の方へ体を正面に向けた。

「保食。それが、ここへ君達二人を招いた理由だ」

「――麻硝、やめてよ、うそでしょ」

「水泥君。――君の本名は」

 水泥は……ゆっくりと瞬いてから、小さな声で答えた。

「蔡――さい水麒すいきです」

水麒すいき君。君も『色変わり』が全くないね」

 水泥は、石床の上で、ゆっくりと顔を表に上げた。


「保食の傍付きの君が、蓬莱の『かんばせ』に最も近い」


巫山戯ふざけるな麻硝‼ そんな話あたしは聞いてない‼」

「ああ。今初めて打診している。それにこれはお前に聞いているんじゃないよ。彼に聞いているんだ」

 麻硝の冷酷な視線と声音に、保食はびくりと身を竦めた。と、その隣で水泥が「――あの」と声を発する。

「……もし、おれが、それを引き受けたら」

「うん」

「保食は、自由になれますか?」

「水麒やめて‼」

「ああ、約束する」

「麻硝‼」

 保食は椅子から転げ落ちるように飛び上がると、麻硝の胸倉を掴んだ。ぎりぎりと爪が欠けてしまいそうな程に込められた力に、麻硝はただ黙って視線を向ける。と、その保食の手に水泥がそっと手を掛けた。悲痛に青褪めた保食の顔を見詰め、水泥はゆっくりと首を横に振った。そして、麻硝へと眼を向ける。

「――なら、やります」

「いやだ! 水麒やめて‼」

 麻硝から離れ、今度は水泥の襟元を掴んで懇願する保食に、水泥はわずかに震えながら微笑みかけた。

「おれはね、保食にほんとうの自由をあげたかったんだ。ずっと」

 静かだが、強い言葉だった。ずるり、と保食の手から力が抜け、石床の上にへたり込む。

「保食」

 くずおれた少女の上から、静かに麻硝は名を呼んだ。

「水麒君は、自分の命と体の使い道を自分で選べるんだよ。そしてお前にも、自分で選んでほしいんだ」

「――何をだよ」


「何者として生きるか、だよ」


 俯いたまま、保食は麻硝の言葉を反芻した。

 何者として生きるか。――そんな事、今まで真っ向から考えた事がない。自分は、ただ『色変わり』なき器の娘として生かされてきた。そのささやかな見返りとして仙山に加わる事を許された。ただそれだけの人生だ。

 それ以外の何があるっていうんだ。

「そんなの――わからないわよ」

「だから、考えて、選んでほしいんだ。君の命も体も、かけがえのないものなんだよ、皆にとってね」

 その横から八咫が「それと」と口を挟んだ。

「俺に協力するかどうかも考えてくれ」

 保食が顔を上げると、八咫は眼前に片膝を突いていた。

「五百年前に黄泉比良坂を渡ってきた白玉と五邑の祖。その白玉と入れ替わりで異地に渡った赤玉。これを元に戻す為には黄泉よもつ比良坂ひらさかを再現するしかねぇ。それが具体的にどうしなきゃならんのか、俺は掴まなきゃならん。その為にも、まずは他の二邑にゆうの図版を手に入れなきゃならん」

「――二邑って、それ、方丈ほうじょう蓬莱ほうらいの事?」

「他にねぇだろ? 図版が確認できてねぇ邑は」

 八咫の眼が、保食の眼を射て離さない。

「俺も蓬莱の中にまでは入り込めない。不用意な侵入で蓬莱を危険にさらす事も避けたい。だから、俺の代わりにお前に読んできてほしい。俺がお前に文字を教えるから。それができたら――次は俺が方丈に入る」

 底知れない漆黒の闇の双眸が保食の眼を捉える。眼の前にあるその闇の奥底に、ただ一つ。たぎるような灼熱が瞬いたのを、見た気がした。



「頼めるのは――保食、水泥、お前達だけなんだ」



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