21 黄泉返りと『環』の贄
ひやりとするような口調の八咫に、さすがの中達が苦言を呈した。
「八咫、お主は当主に対してもう少し口の利き方をなんとかできんのか?」
中達が呆れたように言うのに、八咫はけろりとした顔で頭を巡らせた。
「何でだ? 俺は思った事を隠さず言ってるだけだ。それが俺の仕事で、麻硝は自分の配下って道具を使い
「いや、まあその通りなんじゃが……ううん」
「いいか? こいつが蓬莱に戻ってる間、おれは水泥兄さんと武器造りについて話を
保食が、はた、と止まった。
「ここにいる間に、って、あんた、どっか行くの?」
八咫は前髪を掻き揚げながら、横目でにやりと笑った。
「決まってる。
「な、」
麻硝もまた「さっきも言ったが、聞かせた、という意味を理解してほしいんだ」と言葉を重ねた。
「保食。お前が二月前に知らせてくれた事で状況が変わったんだよ」
「え」
二か月前というと、露涯で
――『環』に使えるのは、『色変わり』しない男に限られる。
「ま、麻硝?」
「なあ、保食」
名を呼んだのは寝棲だった。
「麻硝と梅蘭の他に言った事はなかったが、俺は、
「え」
「当時まだ十かそこらだったが、はっきり覚えている。当時の長の継嗣に黄師が言っていたのを盗み聞きしたんだ。贄に出来るのは、完全に『色変わり』しない、生きた男でなければならない。何故なら、白玉を
保食は吐き気がした。喉の奥に胃液がせり上がり、口の中に苦い物が広がる。
「『環』を解くには、『環』に新たな肉体を与えなければならない。『環』は、連結した頭蓋骨と脊椎で出来ている。贄の肉体からこれを取り除き、それ以外の肉体を『環』に与えるんだ。そうすれば、『環』は新たな肉体を得て、人として黄泉返る。だから『環』が解除されるんだ」
「――は?」
八咫が耳をほじくりながら「つまり」と続ける。
「分かりやすく言えば、五百年前に『環』になった奴等が
卓子の上に乗せられていた紙束の中から、八咫が一枚を引っ張り出した。それを無造作に寝棲に手渡す。寝棲はそれを保食の膝の上に乗せた。読めない文字の羅列を、保食はただ眺めるしかできない。
「保食。
差し出された紙にはこう書かれていた。それを寝棲が読み上げる。
「こいつらは、不死を拒絶した帝とは違う。だから、「かぐや姫の物語」では姫から拒絶されたと描写されている。あの物語は、『環』の正体がこの五人だと知らせる為のものだったんだ」
保食は、じっと紙面に書き連ねられた文字を見つめ続ける。読めずとも、その形を心に留めんとばかりに。
「恐らくだが、この『環』を作れる者、解除できる者は
はた、と保食が顔を上げる。「月桃……どこかで聞いた事が」と、そこまで口に出して、はっとした。
「黄師大師長の名だ。
中達が重い溜息を吐き「――そう。
「信仰の象徴、赤玉の頂である
「待ってください、師傅。寶刀は
「それは
「――二振りあったのですか?」
「正しくは三振りじゃな。そのうち、本物の寶刀を持っているのが月桃じゃ。本物にしか器の切り分けは出来ぬ。残りの二振りに出来るのは『環』の生成と、贄の切除と『環』の黄泉返りだけじゃ。その一振りが内宮にある
八咫の手が保食の手元に伸びた。渡された紙を引き取ると、今度はそれを麻硝に渡した。麻硝はゆっくりとそれに眼を落し、ふ、と笑った。
「うん。恐らく、異地の帝の本懐は、この五人の死者を不死者として復活させる事なんだろうね」
「不死者って……」
「そうできるのだろうと読むべきだ。でなければこの五百年の間に時間差を許して『環』の解除をしているわけがない。一人だけを先に解除して寿命で死んでは元も子もないだろう? 白玉制御の為に五体の骨で『環』を作って繋いだというのは、恐らく建前に過ぎないんだ。白玉に『環』として繋ぎ、死屍散華を送り込んだ遺骨は、贄を介して黄泉返らせる事ができる。八咫のこの推測が正しければ、なるほど、異地の帝というのは随分と狡猾だ。赤玉を手に入れただけでなく、こちらでも死者の復活という目的を果たさせようとしている」
「一挙両得を狙った異地の帝に、まんまと
眉間を顰めた中達に、八咫も「ああ」と首肯した。
「それを可能にしたのが不死石の寶刀ってこった。で、五体が黄泉返れば、そいつら自らで
「見事な四面楚歌じゃわい。とどのつまり、白玉の解放と、黄泉比良坂を繋いで開く事と、二つの神を元に戻す事は、切っても切れない流れの上にある、という事なんじゃな」
「そうだ」
八咫は自身の掌に拳をばちんと叩きつけた。
「俺は――『真名』の『環』を解く贄の任を引き受けた」
次いで寝棲が、すっと挙手し、に、と笑った。
「で、俺がやるのは
「おい⁉」
思わず保食は叫んで立ち上がった。膝の上から本が滑り落ちる。
「寝棲⁉ お前馬鹿だろ⁉ 明日挙式するって奴が何言ってんだ⁉」
「だからだよ」
寝棲の表情は幾分青褪めていたが、無理ににやりと笑んで見せた。
「麻硝は、約束通り
寝棲は言葉を区切ると、しばらく肩を落としてから、全員に背を向けた。
「俺は、八咫を巻き込み犠牲を強いた。
「おい寝棲。俺は別に犠牲だとは思ってねぇ。邑からは自分の意志で出て来たんだし、
寝棲は、ふはっと気の抜けた笑いを零した。
「ああ、そうだな。お前は本当に手段を選ばないヤツだ」
「ちょっとあんた等! 男だけで仲良く完結してんじゃねぇわ! 梨雪はどうするんだよ! お前がいなくなるなら自由になっても意味ないだろうが!」
そこで保食がはっと顔を上げた。
「そうだ。完全に『色変わり』しない生きた男ってんなら、方丈にいくらでもいるじゃんか! そいつら捕まえてくれば――」
「それは駄目なんだ」
保食の言葉を寝棲が両断にする。
「贄は、当人が了承していないと成立しない。
「――そんな」
保食の肩から力が抜ける。
「なあ保食。何も今直ぐって訳じゃない。やらなきゃいけない事はまだまだ山積してるんだ。こいつが作戦通りに『真名』に近付けるような立場になれるまでは、まあ俺の寿命にも猶予があるって訳だからさ」
「もう
がん! と保食が石床を踏む。
「……そんな、そんな話聞きたくなかったっ……!」
ずるずると
「――保食」
「……。」
「僕達が、君に対して思う事も、同じなんだよ」
「だって……それはっ」
そこで漸く気付いた保食は、大きく眼を見張った。顔を上げ、全員の顔を見渡してから、再び俯き、拳を固く握りしめた。
――今ここにある常とは違う状況。梅蘭ですら広間から出す程の機密事項。その話を聞かせているのが――自分だけではないという事。
「――もう一人の、候補は」
麻硝と八咫は、ちらと目配せしあった後、保食の方へ体を正面に向けた。
「保食。それが、ここへ君達二人を招いた理由だ」
「――麻硝、やめてよ、うそでしょ」
「水泥君。――君の本名は」
水泥は……ゆっくりと瞬いてから、小さな声で答えた。
「蔡――
「
水泥は、石床の上で、ゆっくりと顔を表に上げた。
「保食の傍付きの君が、蓬莱の『
「
「ああ。今初めて打診している。それにこれはお前に聞いているんじゃないよ。彼に聞いているんだ」
麻硝の冷酷な視線と声音に、保食はびくりと身を竦めた。と、その隣で水泥が「――あの」と声を発する。
「……もし、おれが、それを引き受けたら」
「うん」
「保食は、自由になれますか?」
「水麒やめて‼」
「ああ、約束する」
「麻硝‼」
保食は椅子から転げ落ちるように飛び上がると、麻硝の胸倉を掴んだ。ぎりぎりと爪が欠けてしまいそうな程に込められた力に、麻硝はただ黙って視線を向ける。と、その保食の手に水泥がそっと手を掛けた。悲痛に青褪めた保食の顔を見詰め、水泥はゆっくりと首を横に振った。そして、麻硝へと眼を向ける。
「――なら、やります」
「いやだ! 水麒やめて‼」
麻硝から離れ、今度は水泥の襟元を掴んで懇願する保食に、水泥はわずかに震えながら微笑みかけた。
「おれはね、保食にほんとうの自由をあげたかったんだ。ずっと」
静かだが、強い言葉だった。ずるり、と保食の手から力が抜け、石床の上にへたり込む。
「保食」
「水麒君は、自分の命と体の使い道を自分で選べるんだよ。そしてお前にも、自分で選んでほしいんだ」
「――何をだよ」
「何者として生きるか、だよ」
俯いたまま、保食は麻硝の言葉を反芻した。
何者として生きるか。――そんな事、今まで真っ向から考えた事がない。自分は、ただ『色変わり』なき器の娘として生かされてきた。そのささやかな見返りとして仙山に加わる事を許された。ただそれだけの人生だ。
それ以外の何があるっていうんだ。
「そんなの――わからないわよ」
「だから、考えて、選んでほしいんだ。君の命も体も、かけがえのないものなんだよ、皆にとってね」
その横から八咫が「それと」と口を挟んだ。
「俺に協力するかどうかも考えてくれ」
保食が顔を上げると、八咫は眼前に片膝を突いていた。
「五百年前に黄泉比良坂を渡ってきた白玉と五邑の祖。その白玉と入れ替わりで異地に渡った赤玉。これを元に戻す為には
「――二邑って、それ、
「他にねぇだろ? 図版が確認できてねぇ邑は」
八咫の眼が、保食の眼を射て離さない。
「俺も蓬莱の中にまでは入り込めない。不用意な侵入で蓬莱を危険に
底知れない漆黒の闇の双眸が保食の眼を捉える。眼の前にあるその闇の奥底に、ただ一つ。
「頼めるのは――保食、水泥、お前達だけなんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます