20 石長と木花之佐久夜と瓊瓊杵


 保食うけもちすいどろの表情が固まった。

「え、ええと、え?」

「あんた、死屍しし散華さんげがって、そんなもの分かるものなの?」

 瞼を伏せながら、八咫やあたは溜息をこぼす。

「わかるんだから仕方ねぇよ……俺は、性格がこうだから参拝が出来なくて、代わりにガキの頃からずっと、布の洗濯や下がりの品の整理をやらされてた。結果少しずつだがそこから漏れ出た死屍散華を身体に取り込んでたんだ。邑から出る直前に、寝棲ねすみの代わりに合祀の確認の為、初めて白玉はくぎょくに触れた。その時、はじめて自分が『色変わり』しない人間なんだって知った。そして、あの時自分の中に流れ込んできた強烈なものが、今までも自分の中にあったものと同じものなんだと理解して、ああ、これが死屍散華の力なのかって実感したんだ。――なのに、えいしゅうから離れれば離れる程、時が過ぎる程、死屍散華の力が俺から零れ落ちていく」

 八咫は、胸の前でぐ、と拳を握った。

「今でも、じりじりと体から力が抜けていってるのが分かる。おかしな事を言ってるのは分かってる。俺だって死屍散華が体から抜けていくなんて聞いた事がねぇ」

 八咫はそっと自身の心臓の上に拳を打ち付ける。


「でも確かに、ここにあったものは失われた」


 信じがたい物を見る眼で八咫を見ている二人に、寝棲は「まあ、突然言われてもわかりはしないわな」と肩をすくめてから腕組みした。

「――八咫は自分が納得できるまでは人の言う事聞かねぇからな。ここにきてこの一年、仙山はおろかあちこち集落を訪ね歩いては確かめてきやがった。どこかに自分と同じ体感をしている奴はいないかって」

「――それで、どう、だったんですか?」

 恐る恐る発せられた水泥の問いに、寝棲は苦笑しながらくびを横に振った。

「いないよ。いる訳がない。だからこいつは、今起きてる事の切っ掛けを作ったのが自分なんじゃないかと、そう考えた訳だ」

「そんな馬鹿な……」

 保食が思わず零した呟きに、八咫はうつむきながら吐き捨てるように「はっ」と笑った。

「そうだ、馬鹿な事だよ。俺だって自分が馬鹿な事考えてるって分かってんだ。だがな、何が真実かはまだ分からねぇ。分からねぇからこそ、この眼で確かめなきゃならねぇ。少なくとも、俺のこれだって異変と数えておかしくはない程度には異常事態だ。時期的なものが一致する以上、関係性の有無を無視する方が不自然だ。違うか?」

「まあ、違わなくはない、わね」

 暫時ざんじ、頭をうつむけていた八咫は、一つ大きく息を吐くと、勢い着けて顔を表に上げた。

「これについては一旦後回しだ。俺だけの問題なのかも知れねぇし、全ては仮説に過ぎねぇからな。それよりも、折角持ち帰れたんだから、もっと全体に関わる話をする。ちょっと、ここ見てくれ」

 八咫は、卓子に向かい、石板の包みを解いた。麻硝ましょう、寝棲、ちゅうたつがそれに倣い覗き込む。

「――うん。他邑たゆうのものともよく似通った図案だね」

「ああ。異地の神話長ぇから要点以外は割愛するが、この石板に書かれてたのは、天孫てんそん降臨こうりん、っていう下りだった」

「ほう、初めて聞くな、それは」

 興味深げに中達があごを撫でさすりながら石板を覗き込む。

 石板を広げる三人の横で、八咫は何もないちゅうへ視線を向けた。不自然な視点は、恐らく暗記しているものを見ているのだろう。


素戔嗚すさのおの子孫が葦原あしはらの中国なかつくにを統治し、素戔嗚自身は母会いたさに妣國ははのくにへ渡った。後に、高天原たかまがはらにいた天照之あまてらすのみことが統治権を素戔嗚の子孫から譲り受けるべく、自身の孫にあたる男を地上に下ろした。これの名を瓊瓊杵尊ににぎのみことという」


 保食は眉間に皺を寄せた。

「ねえ、それって簒奪に当たるんじゃないの?」

「まあそうだよな。俺もそう思うわ。ただ事前の交渉役は別にいるし、瓊瓊杵は素戔嗚の孫にもあたるんだが、とりあえず色々条件を付けた上で国の統治権が譲られた。――で、こっからが今回たい輿で割れてた石板に書いてあった事だ」

 八咫の遠い眼差しが、さらに遠くを見据える。麻硝が、ゆっくりと自身の椅子に腰を下ろす。

「なんとあったんだい? 八咫」

「嗤うぞ。この瓊瓊杵尊ににぎのみことが地上に降りた時に、一人の美しい姫を見つけ求婚した。姫の父は喜んで娘を瓊瓊杵に差し出したが、その時にその姉も共に瓊瓊杵の妻に差し出されたんだ。――が、瓊瓊杵の野郎、姉は醜女しこめだからと突き返しやがった」

「醜女? どういう意味?」

 保食が問う。

 八咫の目が細められる。



「飛び抜けて強い女、って意味だ」



 その言葉に保食が眉をしかめる。

「――強い女だから突き返したっての? 随分と肝の小さい男なのね、その瓊瓊杵ってのは」

 吐き捨てるようにいう保食に、「まあ待て、肝はここからだ」と八咫は瞼を閉ざして続けた。

「これに際して父親はこう告げた。妹は瓊瓊杵の栄耀栄華を約するものだが、これは花の如く咲いて散るものだ。対して姉は瓊瓊杵に岩の如く固い天長地久の命を誓約するものだった。天長地久の命と栄耀栄華の対を為した姉妹を叩き切った瓊瓊杵尊は、その後世の子孫の寿命を人間と同等のものに縮めてしまったのだ、と」

 ふ、と八咫の唇から、感情と意図の読み取れぬ吐息が零れた。



「いいか、異地の――日本の帝は、不老不死を拒むんだ」



 寝棲が、引きったような笑いを漏らしながら「――どっかで聞いたような話だよな」とぼそりと呟く。

「ああ、本当にな。栄耀栄華を誇る短命の女神と、不老不死の長寿を約束する女神だ。妹の名は木花之このはな佐久さく姫。姉の名は石長いわなが姫と言う」

 閉ざしていた八咫の瞼の裏に映る者を、本来余人は知り得ない。しかしこの時、この場に臨んだものは恐らく同じものを見たろう。

白玉はくぎょくの力は栄え滅ぶ力だ。そして、せきぎょくの力は天長地久の力」

 ゆっくりと開かれた八咫の眼には、恐ろしく澄んだ光が差していた。



「――白玉あれは、木花之佐久夜姫このはなさくやひめだ」



 その場に、静かな沈黙が冷気のように広がった。保食は、思わずぶるりと胴震いして自身の肩を抱いた。

 最初に口を開いたのは、やはり麻硝だった。

「つまり、八咫は、赤玉と白玉を分断された姉妹だと考えるんだね。そして、白玉の本当の名は、木花之佐久夜姫だと」

「――ああ。少なくとも、死屍しし散華さんげを与えるあの神の名はそうだ。断言してもいい」

 麻硝と八咫は、互いの顔をじっと凝視した。

「辿り着いたね」

「ああ」

「これで、やはり君にたくす事ができる」

「ああ」

「……撤回する気は」

「ある訳がない」

 二人のやり取りを、厳しい眼差しで寝棲と中達が見守る。状況が分からないのは保食と水泥だ。誰に目を向ければよいのか分からずに困惑していると、八咫が「ふはっ」と気の抜けた笑いを漏らした。

「伝えなきゃいけなかった事は伝えられた。こっからは、ちょっと麻硝、お前に言いたい事がある」

 急な話の切り替えに、珍しく麻硝が眼を丸くした。

「言いたい事? なんだい?」

「まあ、一部文句とお願いと提案だな」

 ふっと、麻硝も笑う。

「色々と多そうだね。いいよ。構わない。言ってくれないか」

「――麻硝。お前は実は人の使い方下手だ」

 真顔で麻硝に向かってそう言い放った少年に、保食は面食らった。

「うん? そう思うかい?」

「お前、冷徹にしてるつもりで、まだやっぱり情に流されてるとこあるよ。作戦や戦略は基本的に間違ってないと思うんだけどさ、実行させる人材がたまにずれてる。――特に、こいつら」

 言いながら、八咫は保食と水泥に向けて親指を立てた。

「水泥兄さん、道中ちょっと話しただけだがよく分かった。武器の作り方がとんでもなく達者だ。ここの鍛冶師達と比べても頭抜けてる。お前知ってた? 兄さん、異種の鋼をちょっとずらして重ねて鍛造できるらしいぞ。意味わかるか? 刃と峰に分けるんじゃなくて、両側に刃付けるんだよ。両刃造もろはづくりにするんだ。片方には通常の鋼を、もう片側には散華刀の鋼を使うんだよ。そうすれば状況によって五邑にまつろう軍かどうかたばかれるだろうが。こんな逸材くさらしといてどうすんだよ」

 八咫の指摘に、麻硝は水泥へと眼を向けた。

「水泥、それは本当かい?」

「――あ、はい。両鋼の癒合部に不死石しなずのいしの粉末を混ぜるんです」

 思いも寄らない技法を出され、中達が「おお」と声を上げた。

「それは、他の者は知らんのか?」

「は、はい。その粉末を作るのに少々手間がかかるので」

 珍しく険しい顔をして顎に手をやっていた麻硝が、ついと顔を上げ水泥を見る。

「それは、是非とも周知させてほしい。力を貸してくれるかい?」

「は、はい……勿論」

「話まとまったな。じゃああとこいつだ」

 八咫がくい、と親指で保食を差す。

「絶対仙山で一番強いだろ」

 眼を見張る保食の前で、麻硝が溜息交じりに瞼を閉じた。

「――ああ。そうだな。今の仙山では保食が一番腕が立つ」

 保食の胸が震えた。麻硝が自分の事をそんな風に断ずる事など今まで一度たりともなかった。認められていた。それだけでこんなに体が震えるなど思いもしなかった。

 それ程、己は認められる事に飢えていたのだと初めて気付いた。

「じゃあ、なんでもっと使わない」

 麻硝はざん間をおいてから小さく溜息を吐いた。そして僅かに視線を保食に向ける。

「八咫、保食は黄師に存在を把握されている『色変わり』なき娘なんだ。病弱をよそお蓬莱ほうらいぼうやしきこもっている事になっている」

「それは聞いてる」

「いいかい? 蓬莱は特殊なんだ。あそこは禁軍直轄で管理されている」

「それも聞いてる。『かんばせ』の特色が特殊だからだろ」

 麻硝は溜息を零した。

「そうだ。――だから半年に一度、禁軍の右将軍が直々に保食を見舞うんだ。その時に、戦場に立たせた事が原因で体を損なわせている訳にはいかないんだよ」

 八咫は厭そうな顔で耳をほじくってから腕を組んだ。

「俺は戦場に立たせろとは言ってねぇ。こいつが誰より強いなら、他の奴の指導ができるだろうが」

 は、と麻硝が目を見開いた。

「やりようはいくらだってある。その教え方と手段を与えないお前等が悪い。――だから、俺がこいつに文字を教える。俺でも三月でモノになったんだ」

「まってくれ八咫。彼女は君の眼をもっている訳ではないんだよ」

「んな事ぁわかってら。それでも勝手にこいつの限界を決めんな。こいつは根性ある奴だ。顔見りゃわかる。俺が絶対に仕込んでやる。保食、あんた次蓬莱に帰るのはいつだ?」

 保食はぱちくりと瞬きしてから「あ、ええと、来月だけど」と半ば口籠りながら答える。

「だったら、それ終わってからここに戻ってこい。半年に一回蓬莱に無傷で返さなきゃならねぇってんなら、それ終わって帰ってきたらお前の五ヵ月を俺にくれよ」

 困惑した保食は麻硝に助けの手を求めて視線を送る。いくらなんでも――話が急すぎる。

「八咫、言っている事はわかったが、これ以上はお前自身が背負う負担があまりに大きすぎるよ」

 麻硝の言葉に、八咫は「はぁ」と溜息を零した。



「――麻硝。お前もいい加減腹くくれよ。負担がどうこう言ってるひまなんかねぇ。仙山せんざんがやった水源汚染のとがを白浪になすり付ける事を提案したのは俺だ。あの時点から、俺には正義も糞もないんだよ。――俺は、食国おすくにを取り返す為ならなんだってやる。今度こそ、絶対にしくじる訳にはいかねぇんだ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る