18 白玉とは何か



 三騎が仙山せんざんへ到着したのは、それから八日後の夜の事だった。予定されていた寝棲ねすみの式の前日である。

 馬から降りて城門をくぐった三人の下へ、衛士えじの一人が駆け寄った。歩を止めぬ保食うけもち達に、衛士は連れ立ってついてきた。

八咫やあた。無事に戻って何よりだが、ばいらん大姉がぶち切れてる。早く釈明に行った方がいいぞ」

 八咫は心底厭そうに口元を歪めた。下唇だけ「いい」と下方に引き下げるやり方が、彼独特の癖だった。

「わかってるよ。一応麻硝ましょうには断ったんだけどな」

「ところで、なんで保食うけもち大姉だいしと一緒なんだ?」

「道中行き会った」

「お互いよく身内だと判断できたな」

「見りゃ分かったよ。数珠もしてるし、噂の超美人だからな」

「――大姉とすいどろさんも、帰投が予定より遅いと、当主が案じておられましたよ」

「ありがとう。馬を厩舎に預けたら行かせてもらうわ。先触れを頼める?」

「承知しました」

「え。俺のは?」

「お前は自分で行け。大人しく殴られてこい」

「梅蘭にはなぁ……投げられるかな」

「だろうな」

 男はそこで道を分かつと砦の内へと駆けて行った。保食達が厩舎番に馬を預け、八咫が石板を馬から外して小脇に抱えていると、先の男が再び姿を現し駆け寄ってきた。

「おい、どうした?」

「皆様、広間に集まって見える。お前達の到着を待っていたらしい」

「げ。こんな時刻にか? なんでだ?」

「知るかよ、とにかく急げ。あ、水泥さんも一緒に来て下さいと」

「え?」

 保食は思わず顔を上げたが、誰より驚いたのは当の水泥だった。

「いや、ぼくは、そんな、当主に会えるような立場じゃないよ」

 八咫が「いや」と声を上げた。

「水泥兄さんもだ。一緒にきてくれ」

「だけど」

「いいから」

 有無を言わさぬ口調に、水泥は「ううん」とうなりながらも黙った。

 砦の内郭は巨大な石造りだ。それだけでも威圧感は計り知れない。してやそれが当主や首脳部が集う場で、そこに初めて足を踏み入れるというのだから委縮しても仕方がない。

 そんな水泥の葛藤など八咫は気にも留めずに先へと進んだ。保食にも促され、腹を括ると水泥もその後を追った。

 階段を上りきった先の大広間に三人は足を踏み入れた。部屋の中央に巨大な卓子があるのと、山のような書籍が積み上げられているのは変わり映えもないが、今はそこに麻硝ましょうばいらんちゅうたつ寝棲ねすみの姿もあった。

 書籍の山の隙間を縫うようにして三人は顔ぶれの前に進み出る。麻硝が変わらぬ美貌を微笑ませる。

「おかえり、八咫」

「おう」

「その様子だと、あったんだね」

「ああ。持ち帰れなかった分は覚えてきた」

「そう。それは良かった。――保食も、水泥も、無事に到着してくれてよかった」

 保食は麻硝の前で片膝を突き拱手した。水泥も、その斜め後ろで同様にする。八咫一人だけが一切の頓着とんちゃくなしに卓子の上にごとりと石板を下ろした。

 腰に手をやっていた梅蘭が、大きく溜息を吐く。

「――無事に帰れたからよかったようなものの」

「すまねぇ。稽古さぼった」

「そういう事じゃないんだよ!」

 梅蘭がつかつかと八咫に歩み寄る。と、がつん、と拳が八咫の頭に振り降ろされた。重く響く強烈な音だったが、八咫は黙ってそれを受け入れた。八咫は固く握りしめていた拳を解き、自身を殴った梅蘭の手にそっと触れた。

「ごめんな梅蘭。でも、どうしても自分の眼でたい輿醜穢涯しゅうわいがいを確認しておきたかった」

 梅蘭は、八咫に触れられた手を取り返すようにして離すと、固く握りしめて自身のみぞおちに引き寄せた。



「あれは、俺は五邑の罪だと思うから」



「――式の後で倍はしごくからね」

「ありがとう」

 話が済んだのか、梅蘭は部屋を出て行った。

 それを見送ると、中達師傅しふねぐらにしている臥牀がしょうから「よっこいせ」と立ち上がり、扉を閉める。保食と水泥の緊張は弥増いやました。この場に残ったのは、麻硝、中達師傅、八咫と寝棲に自分達二人、つまり、これから行われるのは思う以上に内密の話なのだ。

 麻硝が全員の顔を見まわしてから「皆、適当な場に掛けてくれ」と声を掛けた。八咫は即座にそのままいしどこへ腰を落とし胡坐をかいた。腹をくくったのか、水泥もそれに倣う。保食は――しばらくためらってから、卓子の椅子を少し動かして全員の顔が見える場にえると、ようやくそこに腰を落ち着けた。

「まず、三人とも、よく無事に戻ったね」

「……ありがとうございます」

 保食が複雑な思いで礼を言うと、麻硝はふわりと笑った。

「麾下達には、会えたかい」

「っ……」

 ざわり、と背中に粟が立った。

 知られていた。何もかも見透かされていた。膝の上で拳を握り、こくりと項垂れる。

「麾下の一人が、じきけつの血を引いていました。他の者達は血を吸われ、皆息絶えていました」

「やはりそうか」

「やはり、なのですか?」

「うん。そうだね――この一年の間に、各地でそういう事が頻発ひんぱつしている。集落だけじゃなく、仙山せんざんの中でもだ。異常を発した者は全体で百を超えた。それにともなう犠牲者は千近い」

「そんな、まさか……」

「ここからは君達にも、少し聞かせる意味を理解して受け取ってほしい。八咫も、聞かせていいね?」

「ああ。そのつもりでここに呼んでる」

 床の上で背筋を正すと、八咫は「俺はえいしゅうの出だ」とさらりと口にした。

 保食は難しい顔をして八咫を見る。

「――寝棲が連れ帰った奴がいるとは聞いてたけど、それがあんたなの」

「ああ。俺の本姓は仙鸞せんらんじゃないんだが、えいしゅうから来た事を伏せる為に親父の姓を名乗ってる。――俺がえいしゅうを出たのも一年前だ。おかしな事が増えだしたのは、丁度その頃らしい」

「というと」



「今回みたいなやつだ。妣國ははのくにの出身や血を引く者の中に、異常な異変が多発するようになった」



 腕組みしていた寝棲が、苦い顔をする。

「一年前の作戦終了時、作戦自体は成功させたのに帰投できなかった者がかなりの数に上った。その内の半数がその異変に該当したと判明した」

「――まってよ、それの発端がえいしゅうだっていうの?」

「それを確かめる為にも、俺はこれを持ち帰ったんだよ」

 八咫は卓子の脚をこん、と叩いた。そのすぐ上にはたい輿の石板がある。



「結論から言うが、白玉はくぎょくとは何か、の検討がついた」


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