17 仙鸞八咫と藤之保食



 頭上から雷轟らいごうの如く空気を震わせた怒声が落ち、思わず保食はその言葉に従った。

 鼠花火のように火花を散らしながら旋回する影が降り来たのを目にめるが早いか、それは保食の目の前で土埃つちぼこり蹴立けたてて着地し、両の上肢を左右に突き出した。両手とも逆手さかてに握る物は――松明たいまつだろうか? その燃える先端を食血じきけつ二人の口に突っ込んでいる。それが男達の口中で暴発し、思わず保食は悲鳴を上げ腕で目元を覆った。

 頭を吹き飛ばされた食血じきけつ二人が、爆発の勢いで後方に倒れる。どどおっ、というその音にはっとして、保食は顔を上げた。明らかに絶命している二人の頭部から、しゅうしゅうという音が立つ。そして、その場に静けさが戻る。

 眉間を顰めながら、保食はその破損した頭部を――いや、その頭部を破損させた物を見詰めた。よくよく見れば、どうにも松明とは少し違う。

 しかし、保食のその観察は、瞬時に為された物だった。その場は悠長な事を一切許さぬ切迫の状態にある。

 保食の推察の外、呆気にとられ硬直した巣夫すふの前で、旋回の主は自身の腰裏にいていた刀を抜いた。

 かんはつる隙はなかった。



 男は、一瞬で巣夫すふの頸を横薙ぎに切り払った。



 保食が眼を見張る内に、三人の肉体がその場から雲散霧消してゆく。

「――消えた」

「三人とも、姮娥こうがとの混血みたいだな」

 男が刀を一振りぐと、刀に着いていた血液もけぶる様に黒い粒子を散らして蒸散した。そして、男が保食の方へ見返る。

 その男は、未だ青年と少年の端境に留まる、危うい季節の容貌をしていた。

「お前、無事か」

 赤銅しゃくどうのように耀かがやく焼けた肌、無造作に襟元で一本に束ねられた、腰に至る長さの硬い髪質の黒髪、底が見通せない程に深い漆黒の双眸、全身は未だ薄い筋肉しか持たないのに、肩幅だけが矢鱈やたらと広く、そしてすらりと背が高い。恐らく六尺近くあるだろう。固く握りしめた左手の手首には、炎と星の煌めきを閉じ込めたべにこん色の玉――恐らく日長にっちょう石だろう――の数珠をめていた。一見しただけで成長途上の身だと分かる。恐らく、保食よりも年下だろう。

 保食は一度深く瞬きをしてから、少年の問いかけにこくりと頷いて見せた。

「――ああ。助かった。ありがとう」

 少年はその場で軽く合掌して頭を垂れてから、くい、と顔を上げた。

「あんたら、仙山せんざんの人間だな」

 単刀直入の問いに、保食は一瞬言葉と態度を誤ったかと身の内を固くしたが、少年は何の含みもなく「俺もだ」と己の身分を明かした。それで一気に――保食の気が抜ける。

「あんた、どうしてあたし達が仙山だと思ったの?」

「仙山が作る散華刀の中には、ちょっと癖が強いけど、とてつもなく強い武器がある。あんた達が持ってたのがそれだった」

 保食は、自身の手の内にある太刀を見て、ふっと笑った。

「あっちに倒れてるのが、それの製作者だよ」

「そうか」

 何の感慨もなさげにそう呟いてから、少年は保食に向けて手を差し伸べた。保食はにっと笑い、手を預ける。助け起こす力は存外に強かった。見れば、てのひらはおろか、体の随所に負傷の痕がある。保食にそれを見止められたのに気付いたか、特段何の感慨もなさそうに「多いだろ」と呟いた。

「俺、弱いからな。今急いできたえてもらってる」

「弱いって――さっきあんたが使った武器はなんなのさ? あんなとんでもないもの、仙山で見た事ないけど」

「俺が作った。先端に火薬が仕込んである」

「か、やく?」

「炭に、ゆわうとか、他にも色々混ぜて作る。湿気にさえ気を付ければ使い勝手がいい」

 二人は各々刀を鞘に納めると、水泥の下へ向かった。

「あんた、仙山のどこにいるの?」

「大本営だ。達爺たつじいんとこにいる」

師傅しふの?」

 少年は、そこでようやくにやりと笑った。

「これで間違いねぇな。あんたやっぱり仙山の人間だ」

「あんたもね。名前を聞いてもいい?」

「八咫だ。仙鸞せんらん八咫やあた

藤之ふじの保食うけもち。あっちはすいどろ

 保食は水泥の身を助け起こしながら、その口中にわずかな水を含ませる。衝撃でまだ幾分意識は朦朧としていたが、大きな怪我はないようだった。

「ねぇあんた。仙鸞ていう事は、員嶠いんきょうの出身なの?」

 保食の問いにちらと視線を向けたが、八咫はすぐに顔をそむけてしまった。

「――俺じゃない。親父がそうだった」

 ぼそりと、どうでもよさそうにそう呟く。

 詳しい事を語りたい様子ではなかったので、保食もそれ以上は追及する事をよした。しばらくすると水泥の意識もはっきりとしたので、三人は連れ立って各々の馬を率いて集まった。

「八咫。あんたなんで一人でこんな所にいた? 氷珀ひょうはくにいて中達師傅付きなら中核に近い立場だろうに。寝棲の式に出るように言われてないの?」

「言われてる。でもどうしても先に確かめたい事があってさ」

 八咫は馬の背にくくりつけていた包みを取り出した。ひもをほどいて中を見せる。そこには、薄い石板らしきものが数枚あった。

「なんだこれ」


たい輿に残されてた図版だ」


 保食はざわりと総毛立つのを抑えられなかった。

「お前まさか、単独でたい輿に入ったのか?」

「実際にこれがあるんかないんかわからんかったからな。俺の勝手で他の奴まで巻き込めんだろ」

 八咫は石板を包みなおし、再び厳重に馬の背に括りつけた。

ばいらんは、先の作戦で書籍しか持ち帰らんかった。割れた石板まで持ち帰る対象には出来んかった。当たり前だ。大半が割れてたからな。辛うじて無事だったのは、この五枚だけ」

「――それは、なんなんだ」


「異地の神話だ」


 保食と水泥は怪訝そうな顔で八咫を見た。

「異地の話なのかい?」

「ああ。月朝に読み取られねぇように、全てひらがなとカタカナで書かれてる」

「――で、それが何なんだ?」

「大有りだ。これで――ようやくわかった」

「分かったって、何が」

「どうして、今、こんな事になっているのか、がだ」

「たった五枚の内に、知りたかった全てが偶然にも残されていたっての?」

「いや、持ち帰れなかったものは、その場で組み合わせて見て覚えてきた。全部で三十五種残ってたな。完全に粉砕されちまったものがあったなら、もう分からんが」

「みて? 覚えてきた? 全部?」

「当然だろうっ、て――ああ」

 思い出したように八咫は苦笑して見せた。



「すまん、そうだったな。普通の人間ヤツは、一回見た程度じゃすぐに忘れるんだよな」



 その言葉の意味を保食が理解するのは、そう先の話ではなかった。


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