16 目覚め
*
果たして
寝棲が
馬を走らせながら、保食はちらりと自身の右隣に視線を向けた。同じく馬を走らせている
何故か今回の帰投に限り、水泥も共につけるようにとの但し書きがあった。故にこうして彼も同行している。
これに関しては、文を読んだ水泥本人が最も困惑していた。同行の指示はあったが、肝心の理由が記されていなかったからである。
半年に七日は
年に二度、必須となっている
この双方は、保食の他に代えが利かない役務だった。
実のところ、保食は長く戦場から離されていた。更には、識字者ではないため、伝達の為に文を書くにも一々水泥に頼らねばならない。そう、保食は文字を習い得ない立場だったのだ。
有体に言えば、役に立っている実感が長く得られていない。
活かされたい、具体的に実力を発揮したい、役に立っている実感が欲しい。そんな、極めて人間らしい渇望が叶わない。
自然、自分自身に対する信は損なわれていった。
一兵卒である以上、力の誇示など
――氷珀から物理的に離れていればいる程に、保食の執着ばかりが
「保食?」
馬で並走する水泥が、名を呼びながら
水泥は、蓬莱先々代邑長の外孫にあたる。姓は長と同じく
保食が
だからこうして、ずっと共に走っている。
恐らくは、これからもずっと。
そう、名状しがたい確信が保食にはあった。
露涯は
先年の旧
華州の州城は
その地理的特徴により、山に留まる黄師本隊の玲雨城に対する護りは鉄壁に等しかった。
結論から言えば、水源近くに潜伏させていた麾下は保食の下へ帰投できなかった。
その事を知ったのは、落ち合う手筈となっていた地点に彼等が姿を見せなかったからである。そこでようやく保食は気付いた。
南から、
不快感を覚えたそこには、遠く古くに朽ちたと思しき集落があったのだ。
屋根も壁も落ち、響くのは捨て置かれた
あの特徴的な音には覚えがあった。
保食は、それが確かにそうであったのかを確認したかったのだ。遅きに失しているだろう事は承知の上で、一縷の望みに賭けたかった。
馬を走らせる事一刻半。囲いの内である為この辺りにも日没がある。薄暗くなりかけた中、目的の朽ちた集落に辿り着くと、二人は馬から降りた。崩れた壁の内に馬を繋ぎ辺りを見回す。
果たして、その家内の
全身からからに乾き、骨と皮の例えに相応しく痩せ細っていた。その
水泥が一体の
「保食」
名を呼びながら水泥は保食に数珠を手渡した。透き通った緑。
「ああ。
数珠の主である麾下の名を口にすると、保食は目を固く瞑って数珠を額につけた。他の者達も、まだ辛うじて顔の見分けがつく。水泥は黙って他の者の手首に巻かれた数珠を集めていった。家族に返してやるためだ。水泥自身の左手首にも、内に虹の煌めきを湛えた水晶の数珠が巻かれている。
「やはり――
遺体の様子を見て保食はそう断じた。
それは
そして、保食の行方知れずとなった麾下は全員で六人。
「まさか、
保食が重い溜息と共に、その場にない顔を思い起こした。
「まだ、そうとは決まらない。周りを見てみる?」
「――いや、いい。あまりここにも長居はできない。麻硝に不審に思われる。ここにも黙ってきたから、早く戻らないと」
「じゃあ、数珠は内緒で家族に返すの?」
「うん」
苦渋の決断である事は水泥にも承知の事だったので、彼はそれ以上言葉を重ねなかった。二人は皆の手を胸の上で重ね合わせ、合掌をすると戸口を潜った、
――時だった。
保食も水泥も反射的に戸外へ飛び
眼から血の涙を流す男の姿は正しく幽鬼。その手に握るのは二人と同じく――仙山で打たれた散華刀であった。
「――大姉」
男は
「
「大姉こそ、どうして今更戻った」
「――お前達の身を案じたからに決まってるだろう!」
「こんなっ、こんな姿、見せたくはなかったっ」
「一体、どうしてしまったんだ。仙山にいたころは、こんな事なかったじゃないか」
水泥の問いかけに、藻巣夫は頭をふる。
「頭が、頭が
「目覚め……?」
「うむっ……!」
「
名を呼んだ次の瞬間、水泥の身体が右後方に吹き飛ばされる。
「なっ」
容貌は
左右から同時に切りかかられ、一方を刀の峰、一方を籠手で受けるが、どしりと重い衝撃で両の上肢がびりびりと
――ああ、これは駄目だ。
保食が覚悟をした刹那だった。
「しゃがめ‼」
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