13 醜穢涯の少女 ※残酷描写あり。



 仙山せんざん大本営より馬で西に十日離れた地点に、氷珀ひょうはくと同じく棄てられたとりでがある。


 その砦は氷珀とは異なり、その大方が既に朽ちて崩れていた。

 城そのものは、ぎりぎりのところで倒壊をまぬがれてはいるが、そこかしこの壁が崩れており、地下は水浸しとなっている。周囲を取り囲む塹壕ざんごうには大小様々な穴が開いている。唯一まともに機能しているように見えるのは、城の脇に建つ三階建ての管理棟のみだ。


 この地は露涯ろがいと呼ばれる。州に近接してはいるが、現在この地に統治の手は及ばない。そして――住む者はない。


 かつてたい輿が乱を起こした折に、りょしんがんは筆舌に尽くし難い犠牲をともなって、この地に住まう月の民を二度とここに在住できぬようにした。故に、露涯の名よりも醜穢涯しゅうわいがいの方が月人つきびとの間では通りが早い。

 無論、その醜穢しゅうわいという言葉に厭悪えんおの念を含め向けているのは、土地そのものに対してというより、事を起こしたたい輿の民、および五邑ごゆうの民に対してである。四百年を経てなお、その憎悪が薄れる事はない。当然か。


 月人にとっては、過去の事ではないのだから。


 砦の地下は、暗い。骨の芯まで凍て付かせそうな氷水が、ひたり、ひたりとその石床をしとどに濡らしている。暗いが真の真暗闇ではない。統治の手は引かれても、囲いが張られたままになっているからだ。じょえんの技が華州全域に及んでいた為、損なわれずに済んだのである。故に、わずかばかりにその恩恵が届くこの地では、昼間にはねり色の空が望めた。この壁が崩れ外観が覗く地下室もその例外に値しない。


 その内で、かすかな空咳が響いた。


 いしどこの上に投げ出されるようにして座らされた男は、ぎちぎちと重くきしる瞼を必死に開いた。左の眼球は潰されたばかりだったが、右眼はようやく光を取り戻していた。恐らく三日ぶりである。明らかにその回復速度が落ちていた。それは男の体力と生命力の限界が近い事を示す。


 薄く開いた瞼の先に、崩れた壁と、練色の空を背負った女の姿が映る。


 女は、椅子の背を抱えるようにしてまたしている。背の上で両腕を組み、そこにあごうずめ、じっと此方こちらを見ている。襟には青い風防付の肩掛けを巻き、左の手首には藤色をした翡翠の数珠がめられていた。

「――まあ、黄師こうしのあんたがこの醜穢涯しゅうわいがいの由来を知らないはずないか。教えて差し上げようなんて烏滸おこがましかったわね。失礼したわ」

 女の眼には何の感情も伺えなかった。そこに光が差さないのだ。未だ少女と称して差し支えない程にいとけない顔立ちであるのに、そこからは表情というものがごっそりと抜け落ちていた。それが美しければ美しい程、仮面の様にたいらな心象を与える。暗がりに浮き上がる程青白い肌、柳眉に切れ長のまなじり、すっと通った鼻梁の下には、艶めかしく赤い唇がれていた。

「あんたたちからしたら、露涯ろがいの怨みは深いだろうね。月史の中でも最大の犠牲を出した地だ。たい輿の――あれはなんて作戦だったっけ? 懐妊してる女、できる女を役所の戸籍帳から調べ上げて根こそぎ凌辱したってやつ」

 男の指先がぴくりと動いた。わずかばかりに顔色が変わる。少女はそれを見逃さなかった。

「びっくりするよね。不死石しなずのいしを仕込まないと子が出来ないのが分かったからそれを五邑ごゆうに与えたら、この次々死ぬ汚いごみかすみたいな奴等の方が雄性ゆうせい強くてさ、生き残った雌性しせいは全員『受け皿』両方異地人の種に置き換わっちゃったんだって?」

「ぐっ……」

 男は少女の顔を射殺すような眼で睨んだ。その唇の端から血が垂れる。噛み締めた歯が、ぎりりと音を立てて、欠けた。

蛮行ばんこうだよね。知性ある人間がやる事じゃないよね」

 少女は、ゆったりと立ち上がると、男の傍へと歩み寄ってきた。そして、床の上に投げ出された脹脛ふくらはぎに、ざくり、と短刀の刃を突き立てた。



「――ねえ、女の命を白玉はくぎょくに食い散らかさせるあんた等と、女の命を子種に食い散らかさせる私等五邑と――一体どっちがマシだと思う?」



 男の口から絶叫がほとばしる。少女はつまらなさそうに刃を引き抜くと、男の襟元で血をぬぐった。刃を引き抜いたあとからは、脈に合わせて血が湧きでた。

「君、本当に辛抱強いよね。あたしが今までこうやってお話させてもらった中でも、一、二を争うくらいに口が堅いわ。月人ってのも、そう考えたらかわいそうだよね。殺してもらえない限り拷問が終わらないんだもん」

 少女は男の前でしゃがみこんだまま小首を傾げた。表情は変わらない。至近距離であるのに、これほど彼女が無防備に近付けるのは、男の両手首が夫々それぞれ石床の上に短刀で突き刺されているからだ。身動ぎをすれば掌が裂けるのは明白。

「そう言えば、君達の隊はこれに対応しなかったのかな? 『この一年の間に各地で起きた水源汚染騒動と不死石しなずのいし収奪は、我々、、白浪はくろうが画策した事です』って君達の飼い主に送り付けられた便りに」

「な、に……?」

「そう。半年くらい前かな。文が出回ったはずでしょ? 白浪がやりましたってやつ」

 血を拭ったばかりの刃の背を、少女は男の頬にひたり、と押し当てた。

「さっきの極悪極まりない所業を働いたたい輿と、はくちょうの遺臣が子孫をこしらえました。これを白浪といいます。そいつらがまたとっても酷い事をしでかしましたって筋書のさ、素敵なお便り」

 男の腕が震えた。怒りか。それとも恐怖か。

 少女は愛らしくおとがいを上げながら流し目を見せて笑う。

「怒ったでしょうね。赦せないわよね。無理ないと思う。だって、追い詰めて怒らせるためにやったんだもの」

 くすり、と笑ってから、少女は声色と眼の色を暗く凍らせた。

「――白浪の頭領がさ、うちの親玉にご丁寧に名乗ってくれたみたいなんだよね。折角だから、ありがたく利用させてもらったそうよ。げっちょう黄師こうし矛先ほこさきは見事白浪に向いた。おかげで私達はその間に、ゆっくりと次の仕込みをさせていただけた」

 あ、と少女は赤く艶めかしい唇を、ぽかん、と開いた。

「ねぇそう言えば、君をとらえたのって、てい州だったよね。せいかいじょうがある直ぐ近くの、ほら、あれ、ばく県」

 男は眉間に皺を寄せた。

「それが、どう――」

 少女は、薄く目を細めた。微笑んでいた、のかも知れない。


「――君、紅江こうこうって名前知ってる?」


 男は眼を大きく見開いた。

「捕まえたのは半年くらい前かなぁ? 紅江は廂軍しょうぐんの兵なんだよね。作戦部隊がばくの県城の中に侵入するためにどうしても邪魔でさ、橋を落させてもらったんだけど、その時に巻き添えで落っこちて来たんだよね。で、助けたのよ、彼女の事」

「貴様……きさまら、紅江に何をした……」

「色々お話聞いたら、びっくりじゃない。本当は黄師こうしに所属していたんですって? しかも宮中じゃなくて瓊高臼にこううすの方、しかもかなり中枢の。――貴方達の中にも、相互に間諜を飛ばし合うくらいの不信はあるのね」

 声音だけが楽し気に響く。しかし、変わらずその表情に色はない。男の唇が奮える。そこまでの事を、易々やすやすと紅江が口にする訳がない。その割れぬ口を割ったと言うならば、一体どれ程の責め苦をその身に受けたというのか……その先を聞く事を全身が拒絶していたが、耳を閉じる手がない。使えない。

「彼女には、白玉を捕まえているくさりが『かん』って言う事や、それが五百年前に五人の邑の男の肉体を変形させて作られたものだって事を教わったの。実はそれについてはこっちもとっくに知ってたんだけどね。でね、本当に知りたかったのは、この『環』から白玉を解放するには具体的にどうしたらいいのかって事だったんだけど、中々口を割ってくれなくてね、こまっちゃったのよ」

 少女の顔が、口付けられる程に近く男の顔に寄せられた。ふわりと、甘く脳髄がしびれるような香りが鼻先をくすぐった。

「――そう、君、彼女の三交の、隴欣ろうきん君なの」

 その瞬間、少女は明白に、花が開くように艶やかな笑みを浮かべた。



「おめでとう。親になるんだね」



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