14 保食



 男の――隴欣ろうきんの眼が零れ落ちんばかりに開かれた。

「五万? だった? そんなに長く連れ添って、ようやく、なんだっけ?」

「うそ、だ」

 少女の微笑みは、あでやかに隴欣ろうきんの視界を覆う。



「ねぇ、月人の懐妊って、一体どうなってるのかしらね? 懐胎していても、出生までに『受け皿』の種が置き換えられたら、その種の子が生まれてくるなんて、あたし達にはにわかに信じがたい構造なんだけれど」



 隴欣ろうきんの絶叫が辺りにこだました。

「止めてくれ‼ 紅江を放してくれ‼ 頼むっ、た、頼むから‼」

「どうしたの? 何を頼むの?」

 少女は不思議そうに小首を傾げる。隴欣ろうきんの忍耐はその時限界を超えた。

にえだ‼ たから一つにつき一体! 繋いでいる『かん』の数だけ『色変わり』しない邑の男を生贄にして『環』を外すんだ!」

 少女の瞳に、きらり、と光がよぎった。

「そう、そうなの。贄がいるのね」

「そうだ! 知りたい事があるなら俺が言うから! だからっ」

「うん。でもそれはね、もう――」

 少女は男の左眼球の下に流れる血を指先で掬い取り、べろりと見せつけるように自身の舌で舐めとった。

「奥の牢に繋いである紅江も、ちゃんと話してくれたんだ」

 男の両肩が、がくりと下がる。がたがたと手足が震え出した。

 少女は内心で「よし」と首肯した。

 彼の心が折れた事を、漸く把握できた。これであとは――麾下に任せられる。

「――この地下ねぇ、この更に下に、五十くらい独立した独房があるんだ。ここみたいに外に面してるとこって、他にはないのよ。その独房を常に一杯にしてあるの」

「どく、ぼう」

「ほら、だって貴方達、えさを与えなくても、とりあえず死なないじゃない? 絶望して吐くまで放置しておけるの。すごく効率がいいのよ。人質としても、何かをしゃべらせるにしても。それにね、複数から同じ証言が取れないと、あたしとしても上に報告がし辛いのよね。一人の言葉だけじゃ信憑性に欠けるって、うちの親玉からとっても五月蠅うるさしつけられたから。――だからね、お仲間達を助けたいなら、とっとと色々吐いて」

 少女はゆっくりと立ち上がった。隴欣の眼に宿るのが恐怖と絶望である事を見て取ると、今度こそ本当に、元の投げやりな無表情に戻った。

「貴方達って本当にお気の毒よね。邑人にやられたら最悪塵芥ちりあくたって事がよぉく分かってるから、行方不明になっても仲間に探してもらえないの。だって、人質にされてるのか死んでるのかなんて判断がつかないんだもの。だから、簡単に見捨てられちゃう」

「――お前は……お前達は、一体何者なんだ」

 少女は呆れたように肩をすくめた。

「そんなの、教えるわけなくない?」

 と、少女の背後から足音が近付いてきた。

大姉だいし

 少女を背後から男の声が呼ばわる。影から姿を現したのは一人の偉丈夫だった。手を上げて少女を呼ばわるその手首には鷹目たかめ石の数珠が巻かれていた。こちらは明らかに成人を超えて幾ばくかは経過している。それが大姉と呼ぶならば、それは立場の問題なのだろう。

「今行く」

 少女は視線も向けずに男に応えると、隴欣に向けてにっこりと微笑んだ。

「紅江は、今のところ生きてるわよ。お腹の子もね。ちゃんと聞きたい事に応えてくれるなら、種の置き換えなんて酷い事もしないつもり。生まれてくるまで、あと大体二月? 三月未満かな? それまでの間によーく考えてみてね。――つまり、まだ君は殺す予定じゃないって事」

 外に控えていた見張りの一人に、隴欣を地下独房の一室へ移すよう少女は指示を出した。

 少女と偉丈夫の二人は、地上に這い出るとしばらく無言で歩いた。そして、地下からある程度の距離が出来てから、彼女を大姉と呼んだ偉丈夫――くぐいようやく口を開いた。

「『環』外しの贄に使えるのは、『色変わり』しない男に限られる、か」

 少女は歩きながら鵠の方へ視線を向け、苦々しげに口の中のものを土の上に吐き出した。唾には血液が混じる。

「ほんともう、冗談じゃないわ。よりによってその条件でしばる? すぐにでも麻硝ましょうに鳥を飛ばさないといかんわ。文と鳥の用意を……って、もしかして、まだ帰ってきてない?」

「その麻硝からたった今伝令がきた。じょ寝棲しんせいさい梨雪りせつの婚礼の日取りが決まったから、式にお前も来るようにとの事だ。二月後だから、間に合うように出立しろとよ」

「ああそう、そういう事ね」

 少女はつまらなさそうに髪を掻き揚げた。

「わかった。鳥はすいどろのとこよね? 報告と了解の旨書いてもらって来るわ。――にしても、生きて帰れるとは思わなかったのにな、あの直情馬鹿が」

 その言葉を受け、鵠が言い難そうに口を開く。

「なあ、保食うけもち

「なに」

「……虎欣こきんは」

 少女――保食うけもちくぐいの問いに無言で返す。それが――答えだった。

 帰還できた者がいれば、そうでない者も当然いる。生死を分けた境は明白で残酷だ。二人の間に重い空気が垂れ込めた。

 仙山が先の一連のたい輿侵入作戦を実行してから、既に一年近い時が流れていた。陽動隊の一つであった保食うけもちと、えいしゅうに潜入して白玉合祀の実際を確認する隊であった寝棲ねすみは、各自本流ではなく傍流の働きをした部隊になる。両者が生きて再会できる気はしなかったし、互いに顔を合わせるのは出立の時が最後になりそうだなと語り合って別れた。しかしその意味合いは真逆だった。

 保食は絶対にその身を危険には晒されない役どころだった。そして寝棲は生還を絶望視される任務だった。寝棲等に求められていた役割は、合祀の結果を「確実に大本営へ報せる事」だった。帰還自体はそもそも絶望しされていた。その為にがんが貸与されたのである。結果的にこの巌雅の働きによって寝棲一人は生き延びたわけだが、他の者はそうはいかなかったと言う事だ。

 とまれかくまれ、予想に反して保食寝棲の双方が無事に生還した訳だが、未だ再会は果たしていない。保食はあの時以来、氷珀ひょうはくに帰投できていなかった。

「――お前は、これでいいのか?」

「何が」

「これでせつ麻硝ましょうの切り札から外される。お前の立ち位置も、より動かせなくなる。――いや、寧ろ早晩麻硝の手の内に囲い込まれる事になるかも知れんな」

「そんな事はどうでもいいんだよ。はじめから分かってた事だ。そもそも、あたしは梨雪に器をやらせる気はない」

 白玉はくぎょくまつりがはじまって五百年が経過したこの時代、『色変わり』のない女が本当にいなくなっていた。

 黄師こうしが確認している限り、現在の器より五歳年長の女が一人いるが、これは方丈に『妻問い』されて収まっている。年齢的な部分は元より、内密とされている条件から見てもこれが器にされる事は絶対にない。それをのぞけば、次代に継承できる人間は二人しかいないと言われていた。


 一人はえいしゅうにいる十一歳の女児で、名を天照之あまてらすの八重やえおうという。

 そしてもう一人が、蓬莱ほうらいで病にせっているとされている、来月十九になる娘、藤之ふじの保食うけもち

 それこそが、この少女だった。


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