12 天渟中原瀛真人天皇
「『環』か!」
中達は、はあと盛大な息を漏らしながら「それならば、ありうるか」とその口元を手で
「そうじゃねぇんなら、どっかに
「ううむ、場合によっては、白玉の本体は本来の
「そゆこと。ただ、そうなってくると、赤玉もその線で考え直す必要が出てくる」
「ほう?」
「なんせ事は神の置換だからな。こんな重大な事象が等価の交換でないはずがない。片方の神は引き渡しておいて、もう片方の神は自国に留めたまま力だけ送り込んでやるとか言われても納得はできんだろ?」
「ああ、それもそうか……」
「俺から言い出しておいてなんだが、この説はまあ捨て置いていいと思う。これが成立するなら逆もまた然りって事だからな。そうなると
「大元――ああ、どちらの神も実は国から動かされていないという可能性か」
「そう。もし赤玉が本当は月朝に
「ううむ――そうじゃな」
八咫は両手を組んで首の後ろに回し、胡坐をかきなおした。
「俺が現時点で全く分からないのは、赤玉の方だよ」
「以前言うておった、
「そう。これで赤玉には「識」がなかったとかなら、正直、
「白玉の死屍散華に匹敵する神の力か――それが人為制御の
「まあ、現状俺が理解できた内容からじゃあ、ここまでの推測を立てるのが限界だな。正直に言って、文献が足りん」
「八咫よ、お主、
中達の確認に、八咫は厭そうに顔を顰めた。唇を歪ませたまま頷く。
「ああ、一応な。頭には入れてあるが、あと三冊ほど理解が完璧じゃねぇのはある。……異地の歴史はちと飲み込みにくいんだわ。大陸の方はともかく、
ふうむと
「ところで、例の読み解きはどうなっておる」
八咫は欠伸を噛み殺してから「あ? ――ああ」とその問いに理解を得た。
「かぐや姫の物語の事か?」
「そうじゃ。
「そう。つまり異星の物語だよ。青い大き星の事は一切書かれてなかった」
八咫は瞼を閉じた。己の頭の中にはっきりと刻まれた文面を眼裏に呼び覚ます。
「翁が光る竹の中から得た娘を育てた。かぐやと名付けられたそれは美しく成長し、高貴な五人の男に求婚される。しかし姫はそれに対して難題を出した。
八咫と中達は、互いの顔を重苦しい思いで見合った。
「――八咫よ。これは、出来過ぎと見るべきか、それとも、これをもって出典とすべきか――いずれだと思う?」
「わからねぇよ。麻硝には軽く触れておくべきだとは思うが、俺自身まだ考えがまとまらねぇし、さっきも言ったが判断下すには材料がなさすぎる。が、少なくとも、五百年前に俺達に何らかの事をこの物語で伝えようと意図した誰かがいるって事だけは、多分間違いねぇ」
かつて寝棲から聞いた、
「
八咫は、やおら腰を上げると卓子の上に置いてあった筆を手に取った。つらつらと五邑の名を書き付けてゆく。達も立ち上がり、八咫の隣に立つ。
「かぐやは、この五人の貴公子からの求婚を、こうやって無理難題を言う事で回避したわけだが、後に、時の帝にも求婚される事になる。そして、これも当初は拒絶した。ただ、他の五人と違ったのは、厭だったから、じゃねぇんだよな」
「帝の求婚は受けても良いような素振りがあったのか」
「ああ、どうも憎からず思ってたみたいだぜ。で、それでも駄目だと言った理由こそが、自分は「
「うむ。成程のう。国が違い、帰還の期日が迫っているならば、それは求婚も受け入れられはすまいな」
「これが実際にあった事なのか何かの比喩なのかは分からんが、一つだけ俺が確かだと思うのは――この物語に書かれている帝というのは、恐らく異地の帝の事なんだろうなって事だ」
「うむ。そう読み解くのが自然だろうの」
「勿論、このかぐやに求婚した帝が、神の置換をした帝本人を模したものなのかまでは分からねぇ。でもこの帝の祖か子孫か、その何れかがそうなんだとは思う。で、先の五人の貴公子の内、皇子以外の三人は史実に名が出ている。そいつらがいた時代に該当しそうな皇子として、あっちで見た本に書いてあったんだが、
「それが、石作と庫持に比定されると考えるか?」
「恐らくな。兄のほうの葛城が崩御した後、大海人は乱を起こし、葛城の息子である
「その兄弟のうちどちらかが、白玉に大きくかかわっている、お前はそう考えているんじゃな?」
八咫はしばらく沈黙してから「これを見てくれ」と、紙に文字を書き付けた。
「
中達はゆっくりと息を吸い込んでから、吐息の様に「おきの、まひと」と呟いた。
「
かたり、と筆をおき、八咫はそっと瞼を閉じる。
「俺は、この大海人皇子――後に天武天皇と漢風諡号されたこの帝が、全ての鍵を握っているんじゃねぇかと、そう思っている」
八咫は、窓の外を見た。青い大き星をじっと見つめる。
「なあ、
「うん?」
「こっからは、本当にただの妄想に近いから、軽く聞き流してほしいんだ。
「うむ。わかった。なんじゃ」
八咫は窓の端により空を見上げた。
「――異地って、大き星の事なんじゃねぇかな、って」
中達は表情を険しくしながら、八咫の傍に立った。
「あの、巨星が我等の祖国の地だというのか?」
八咫は、真っすぐな目で、青い輪郭を持つ巨星を見詰める。
「あそこがかぐや姫の物語の舞台なら、今俺達がいるこの場所こそ、「
八咫の説に中達は「ううむ」と黙り込んだ。それはあまりにも突拍子なく聞こえたが、しかしこれ以上はない程の説得力を持ってもいる。考え込む達を後目に、八咫は別の事を思っていた。
そうだ。八咫にとってもう
だがしかし。だ。
それは逆説的に「絶対的に理解出来ない理屈で動く強大なもの」があった場合、それは回避できない恐怖であるという事になる。
それは大多数の人類とは思考が乖離している事を意味する。
果たして、それは脅威なのか。
孤独なのか。
それとも、圧倒的な自由なのか。
自由で、孤独で、誰にも理解できない理屈で先へと進む。それが、彼以外の全てを虐げる結果に繋がろうと。
そんなものは、果たして存在し得るのだろうか?
青い大き星は、やはり変わらずそこにあり続けている。
「なんにせよ、俺はもう止まる気はねえ」
八咫の言葉に、中達は更に表情を険しくした。
「本気でやる気か」
「ああ」
「麻硝との交渉は、容易くはないぞ」
「分かってる。無理を通すためにはこちらも無茶を吞まなきゃならん。――寝棲もそうやって女を手に入れたんだろうが。だったら俺もそうするまでだ」
「八咫」
「だから俺はこの
八咫の眼差しに宿る決意は固い。中達にもそれは分かっていた。止められるものではない。
老いて渇き、割れた唇から溜息が落ちた。
「……生きて帰れよ」
「わかってるさ」
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参考文献 『竹取物語(全)ビギナーズ・クラシックス日本の古典』 角川書店編 角川ソフィア文庫
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