9 犠牲


「――そこまで読まれたか」

 麻硝ましょうは面白そうに笑いながら脚を組みなおした。

「俺も驚いた。思考の反射は悪くないとは思ってたが、まさかここまで頭が回るとは……」

「引き入れてくれて良かった。これは敵には回したくない。現状でこれでは、どこまで化けるか予想もつかないな」

 向かえの天幕の中の一つで、麻硝ましょう寝棲ねすみ八咫やあたについてそう語っていた。

 当の本人は別の天幕で眠っている。なんだかんだとまだ十三になったばかりの子供である。岩の雪山を自身の脚で踏破しただけでも十分に称賛に値すると言ってよかったろう。

 その場には、彼等の他にもう一人いた。

 麻硝の傍らに立つ、側近であるばいらんである。無言のまま、流したままにしていた麻硝の髪を器用に細かく編み込んでいく。それは最終的に後ろで一本の三つ編みにまとめられた。白い紐で括ったひもの端をはさみでぷちんと切ると、梅蘭は仕上げに結び目をぽんと叩いた。手首の数珠は柘榴ざくろ石だ。

「できたよ」

「ありがとう。やはり梅蘭の髪結いでないとどうにもしっくりこなくてね」

「――だから、あたしを傍に置いておくの」

「それも理由の一つだよ」

 鋏を腰の物入れに仕舞いながら溜息交じりに笑う梅蘭に、麻硝も薄く微笑みかけた。

 麻硝程ではないが、彼女も六尺を優に超える長身で、彼の隣に並んで見劣りする事のない筋肉質な体躯を持つ。

 今回、たい輿跡地から書籍を奪還する実働部隊の指揮を執ったのが彼女だった。仙山の中でも屈指の指揮官である。当然、麻硝からの信も厚い。

 梅蘭の方へ振り向いた拍子に肩からこぼれた三つ編みを背中に流しながら、麻硝は寝棲の方へ向き直る。梅蘭も空いている椅子に無言で腰掛けた。その様子は――矢張りやや暗い。それは、常の彼女の在り様とは異なる。寝棲は微かに彼女の方を気にしたが、麻硝に「寝棲」と名を呼ばれ、視線を彼の方へと戻した。

 麻硝の表情は硬い。

「彼は――八俣やまたの子なんだね」

「ああ」

「本当に、八俣は亡くなったんだね」

 寝棲は眉を顰めて首肯する。

「――頭を殴られていたそうだ」

「じゃあ頭蓋は」

「陥没していたらしい。――脳が散っていたそうだから」

「そうか。ならもうそれは使えないな。それで、彼はそれを実際に見たのか」

「ああ」

「――むごいな」

 麻硝は小さく嘆息した。

「寝棲。君は彼を見て気付かなかったのかい。あれは――仙鸞そのものじゃないか」

「確かに面影は見たが、初対面の時に俺は――いや、言い訳だな。怪我は理由にならない。俺の手落ちです」

 麻硝は暫時ざんじ沈黙してから、「いや。無理もないかも知れんな」と零した。

「当時の君はまだ幼かった。記憶が繋がらなくとも無理はない」

「いや……」

 麻硝は椅子に深く背を預けながら、自身の口元を覆った。

「彼は、父親をうしなってなお、そこで折れず即座に踏み出したという事だ。あの若さで並みの胆力じゃあない。それだけ強い目的があるという事だろうね。報せでは、彼の妹が次の器の筆頭に上がっているのを阻止したいと言うのが動機だとあったが、どうもそれ以上のものを彼は見ている気がするよ」

「そうだな。妹一人がというより、邑全体を視野に入れてはいたようだし――何よりもあの二人、八咫と食国おすくには、結び付きがとても強かった」

「道中で少し聞いたが、あの話は間違いないのかい?」

「――ああ。食国本人から聞いた事だ」

 声を小さくした寝棲に、麻硝も小さく溜息を零した。

「天の配剤は、中々どうしてこくな物だね」

「なあ麻硝。俺は自分で自分が信じられないんだよ。八咫が仙鸞なのに気付いていれば『色変わり』の可能性についてももっと警戒したろうに、なんでこんな簡単な事を見落としたのか……。確かに、命に係わる事なんだから、それを思えば、あの二人は引き離して正解だったのかも知れない。だがなぁ、心情的にはとてもそうとは割り切れなくて……」

仙鸞せんらんの名をはじめから名乗っていたなら、状況は違ったかも知れないけれどね。しかし過ぎた事を言っても仕方ない。問題は、白浪はくろうがその事実に行き当たった時に、どう動くか、だね」

「そこに関しては、彼等にしたら問題はないんじゃない?」

 梅蘭の言に麻硝が視線を送る。

「うん? そうかな」

 梅蘭は未だ俯いたまま、視線を天幕の隅に逸らしている。

「話から察するに、白の遺児は完全雌性しせいじゃないんでしょ? 白浪が血縁権威譲渡を大義名分に切り替えていくなら、産める三交を用意すればいいだけの話じゃない」

「まあ、それは確かにそうだろうね」

「もっと言うなら、最悪後継はその子自身である必要すらないはずよ」

 梅蘭の言に、寝棲と麻硝がはっと顔を上げる。二人の様子に梅蘭は小さく吐息を落してから立ち上がり、部屋の片隅に置かれていた卓子の上の陶器壺を手に取った。古酒である。杯に注ぎ入れて夫々に配り、自身の椅子に再び腰を落とした。

「あのねぇ、赤玉を一交に持つ母親の方も、一緒に白浪にいる訳でしょう? 五百年前に懐妊に成功しているなら、間もなく次の子が懐妊されるはずだわ。奴等にとっちゃ成長するまでの数百年なんて瞬く間じゃない。次の子が育つまでの間、その食国という子が間を継いでてくれれば話は丸く収まるのよ。どうせそれにも万だのいう途方もない年数が掛かるんだから」

 ぐい、と古酒を干してから、据えた眼差しで梅蘭は男二人を睨みつける。

「白浪が最も警戒すべきは、白皇より強い雄性ゆうせいを持つ者にその側室が凌辱される事でしょうが。白皇の種より強い種に『受け皿』が置き換えられたら、それこそ取り返しがつかなくなるってもんでしょうに」

 手酌で次の一献を自分の杯に注ごうとした梅蘭の手から、麻硝が酒を取り上げる。

「梅蘭、そこまでだ」

「ちょっと、まだそんなに吞んでないわよ」

「全く、お前は……男が言葉を濁す処を平気で口にするな」

「何言ってんの? あたし達は何時だって誰かの謀略の為にこの命と体を暴力に晒されているのよ? 当事者以外の誰が事実を指摘できるっていうの?」

 麻硝から取り返した酒を、梅蘭は手酌で注いでいく。

「あんたたちが言い難いなら、もう一つ付け足してあげましょうか? この先側室から次の子がどんどん産まれ続けたら、後継者候補が重複していって、この先何百万年と誰が後継に相応しいのかって、そういう血族間での争いになる訳よ。忘れちゃだめよ、あいつら長命種なんだから。白浪はよくてまだ混血世代から次世代が生まれてない時期じゃない。そのあたり考えてるのかしらって、ほんと聞いてみたいわ。そうなったら白皇の子種を止めるために、誰かしらより雄性が強いのと無理矢理交合させられるのが関の山じゃない。赤玉の『受け皿』は絶対に入れ替わらないんだから」

「梅蘭」

 今度こそ麻硝は古酒を取り上げ、梅蘭を自身の膝に抱え上げた。自分の肩に頭を置かせて、ぽんぽんとなだめる。やがて――すすり泣きが始まった。

「済まないな、寝棲」

 さすがの醜態に寝棲も困惑を隠せない。梅蘭は確かに深酒するきらいがあるが、ここまで絡むような飲み方はしないはずだ。

「何か、あったのか?」

 麻硝は小さく笑って、しかし答えはしなかった。梅蘭も麻硝の肩に腕を回して大人しくなった。

「ところで寝棲、君はいくつになった?」

 唐突な麻硝の問いに一瞬面食らう。

「――は? あ、俺の歳か? 今年で三十二だが」

「そうか。大分長く待たせてしまったね」

「あの?」

「君が、というより、梨雪りせつだよ」

「っ、」

 思わず寝棲は膝の上で拳を固く握りしめた。

巌雅がんがは先に彼女の所へ飛ばしている。今回の事に君が志願をしたのは、彼女の事が大きかったろう。本営に帰投し次第、迎えてやりなさい。君達はそれを認められて然るべきだ。君はそれだけの働きをした」

 寝棲は、握りしめた手を自身の心臓の上に置く。

「――はい。ありがとうございます」

蓬莱ほうらいには僕から報せを送ろう。さい氏も喜ぶ」

 蔡氏、というのは蓬莱の長である。梨雪はその妹だが、黄師にその出生は知られていない。父親である先代の長が生まれた時にせきえんを焚かず、その出生を隠して仙山せんざんに移したのだ。

 各邑に秘めたはかりごとがある例に漏れず、蓬莱もそうして朝廷に存在を隠した者が、この五百年の間に、すでに何世代にも渡って増えていた。隠れ住んでいた者達が員嶠いんきょうの残党を受け入れ、後に麻硝の指揮によってこの氷の大地に本拠地を移す事になったのである。

 麻硝がいなければ、今頃器の候補には梨雪が筆頭とされていたかも知れない。

 寝棲は、静かに麻硝へ頭を垂れた。


 分かっている。自分の安堵は、別の人間の犠牲の上に成り立つのだという事を。


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