9 犠牲
「――そこまで読まれたか」
「俺も驚いた。思考の反射は悪くないとは思ってたが、まさかここまで頭が回るとは……」
「引き入れてくれて良かった。これは敵には回したくない。現状でこれでは、どこまで化けるか予想もつかないな」
向かえの天幕の中の一つで、
当の本人は別の天幕で眠っている。なんだかんだとまだ十三になったばかりの子供である。岩の雪山を自身の脚で踏破しただけでも十分に称賛に値すると言ってよかったろう。
その場には、彼等の他にもう一人いた。
麻硝の傍らに立つ、側近である
「できたよ」
「ありがとう。やはり梅蘭の髪結いでないとどうにもしっくりこなくてね」
「――だから、あたしを傍に置いておくの」
「それも理由の一つだよ」
鋏を腰の物入れに仕舞いながら溜息交じりに笑う梅蘭に、麻硝も薄く微笑みかけた。
麻硝程ではないが、彼女も六尺を優に超える長身で、彼の隣に並んで見劣りする事のない筋肉質な体躯を持つ。
今回、
梅蘭の方へ振り向いた拍子に肩からこぼれた三つ編みを背中に流しながら、麻硝は寝棲の方へ向き直る。梅蘭も空いている椅子に無言で腰掛けた。その様子は――矢張りやや暗い。それは、常の彼女の在り様とは異なる。寝棲は微かに彼女の方を気にしたが、麻硝に「寝棲」と名を呼ばれ、視線を彼の方へと戻した。
麻硝の表情は硬い。
「彼は――
「ああ」
「本当に、八俣は亡くなったんだね」
寝棲は眉を顰めて首肯する。
「――頭を殴られていたそうだ」
「じゃあ頭蓋は」
「陥没していたらしい。――脳が散っていたそうだから」
「そうか。ならもうそれは使えないな。それで、彼はそれを実際に見たのか」
「ああ」
「――
麻硝は小さく嘆息した。
「寝棲。君は彼を見て気付かなかったのかい。あれは――仙鸞そのものじゃないか」
「確かに面影は見たが、初対面の時に俺は――いや、言い訳だな。怪我は理由にならない。俺の手落ちです」
麻硝は
「当時の君はまだ幼かった。記憶が繋がらなくとも無理はない」
「いや……」
麻硝は椅子に深く背を預けながら、自身の口元を覆った。
「彼は、父親を
「そうだな。妹一人がというより、邑全体を視野に入れてはいたようだし――何よりもあの二人、八咫と
「道中で少し聞いたが、あの話は間違いないのかい?」
「――ああ。食国本人から聞いた事だ」
声を小さくした寝棲に、麻硝も小さく溜息を零した。
「天の配剤は、中々どうして
「なあ麻硝。俺は自分で自分が信じられないんだよ。八咫が仙鸞なのに気付いていれば『色変わり』の可能性についてももっと警戒したろうに、なんでこんな簡単な事を見落としたのか……。確かに、命に係わる事なんだから、それを思えば、あの二人は引き離して正解だったのかも知れない。だがなぁ、心情的にはとてもそうとは割り切れなくて……」
「
「そこに関しては、彼等にしたら問題はないんじゃない?」
梅蘭の言に麻硝が視線を送る。
「うん? そうかな」
梅蘭は未だ俯いたまま、視線を天幕の隅に逸らしている。
「話から察するに、白の遺児は完全
「まあ、それは確かにそうだろうね」
「もっと言うなら、最悪後継はその子自身である必要すらないはずよ」
梅蘭の言に、寝棲と麻硝がはっと顔を上げる。二人の様子に梅蘭は小さく吐息を落してから立ち上がり、部屋の片隅に置かれていた卓子の上の陶器壺を手に取った。古酒である。杯に注ぎ入れて夫々に配り、自身の椅子に再び腰を落とした。
「あのねぇ、赤玉を一交に持つ母親の方も、一緒に白浪にいる訳でしょう? 五百年前に懐妊に成功しているなら、間もなく次の子が懐妊されるはずだわ。奴等にとっちゃ成長するまでの数百年なんて瞬く間じゃない。次の子が育つまでの間、その食国という子が間を継いでてくれれば話は丸く収まるのよ。どうせそれにも万だのいう途方もない年数が掛かるんだから」
ぐい、と古酒を干してから、据えた眼差しで梅蘭は男二人を睨みつける。
「白浪が最も警戒すべきは、白皇より強い
手酌で次の一献を自分の杯に注ごうとした梅蘭の手から、麻硝が酒を取り上げる。
「梅蘭、そこまでだ」
「ちょっと、まだそんなに吞んでないわよ」
「全く、お前は……男が言葉を濁す処を平気で口にするな」
「何言ってんの? あたし達は何時だって誰かの謀略の為にこの命と体を暴力に晒されているのよ? 当事者以外の誰が事実を指摘できるっていうの?」
麻硝から取り返した酒を、梅蘭は手酌で注いでいく。
「あんたたちが言い難いなら、もう一つ付け足してあげましょうか? この先側室から次の子がどんどん産まれ続けたら、後継者候補が重複していって、この先何百万年と誰が後継に相応しいのかって、そういう血族間での争いになる訳よ。忘れちゃだめよ、あいつら長命種なんだから。白浪はよくてまだ混血世代から次世代が生まれてない時期じゃない。そのあたり考えてるのかしらって、ほんと聞いてみたいわ。そうなったら白皇の子種を止めるために、誰かしらより雄性が強いのと無理矢理交合させられるのが関の山じゃない。赤玉の『受け皿』は絶対に入れ替わらないんだから」
「梅蘭」
今度こそ麻硝は古酒を取り上げ、梅蘭を自身の膝に抱え上げた。自分の肩に頭を置かせて、ぽんぽんと
「済まないな、寝棲」
さすがの醜態に寝棲も困惑を隠せない。梅蘭は確かに深酒するきらいがあるが、ここまで絡むような飲み方はしないはずだ。
「何か、あったのか?」
麻硝は小さく笑って、しかし答えはしなかった。梅蘭も麻硝の肩に腕を回して大人しくなった。
「ところで寝棲、君はいくつになった?」
唐突な麻硝の問いに一瞬面食らう。
「――は? あ、俺の歳か? 今年で三十二だが」
「そうか。大分長く待たせてしまったね」
「あの?」
「君が、というより、
「っ、」
思わず寝棲は膝の上で拳を固く握りしめた。
「
寝棲は、握りしめた手を自身の心臓の上に置く。
「――はい。ありがとうございます」
「
蔡氏、というのは蓬莱の長である。梨雪はその妹だが、黄師にその出生は知られていない。父親である先代の長が生まれた時に
各邑に秘めた
麻硝がいなければ、今頃器の候補には梨雪が筆頭とされていたかも知れない。
寝棲は、静かに麻硝へ頭を垂れた。
分かっている。自分の安堵は、別の人間の犠牲の上に成り立つのだという事を。
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