8 不干渉地帯


 そこからの道中は更に難を極めた。不干渉地帯というのはつまり人がいない訳ではなく、国の管理外の無頼ぶらい跋扈ばっこする地だという事を意味する。徴税の掛からない暴利がまかり通る中、雪山を越える前に立ち寄った集落は、邑人むらびととも月人つきびととも白浪はくろうとも違う、見た事のない種の人間が徒党を組んでいた。いや、よくよく見れば、いずれとも違う、というのは正確ではない。あらゆる種がごった煮のように混在しているのだ。


 異なる命の人間達が、共にこの厳しい環境下でたくましく生きている。

 八咫やあたの目にはそう映った。


 ふと見ると、麻硝ましょう自らが彼等の中に進み入っていた。馬を渡して代わりに大ぶりな包みの塊を幾つか受け取り、懐から小袋を出してかしらと思しき男にそれを渡している。

寝棲ねすみ、あれは?」

不死石しなずのいしだ。ここの集落には統治下から逃れた元げっちょうの罪人の血を引く者もいるからな。そいつらが水を得るためにはあれがいる。俺達はここで馬を借りて、代わりに道中の荷をしちに預ける。その余分の礼として不死石を渡すんだ」

「月朝の罪人……」

「邑から出た者もいるし、妣國ははのくにから逃れた者もいる。どう統治が進もうが停戦が為されようが、その狭間に零れ落ちる人間はどうしても生まれるんだ。そう言った人間が、こうして肩を寄せ合って生きている」

 寝棲は、遥か遠い憧憬しょうけいを見る眼で、物品のやり取りをする男の大きな背中を見詰めていた。


「――麻硝はな、元々ここの出身だったんだ」


 集落に預けていたのは、どうやら旅の具だけではなかったらしい。布を開いて確認している物の中に、明らかに武器らしき物が含まれている。それが並々ならぬ信頼の上に成り立っている事だと言うのは、世事に疎い八咫ですら察しが付く。隊は引き渡された荷の状態をその場で確認すると、運んできたまだ年若い子供らに夫々それぞれ何かを渡していた。子供等の頬に笑顔が浮かぶ。八咫の頭に、寝棲の手がぽんと乗せられた。

「なんだよ」

「いいか。これ程好意的に関わってくれる集落はそう多くはない。妣國ははのくにから逃亡した者が多い集団程危険になる。決して油断だけはするなよ」

「――わかった」


 徒歩で雪の岩山を登るのは八咫には初めての経験であり、それだけで体は痛み、肺は凍て付いた。三日の行程を経て山を越えると、その先には平地が広がっていた。氷だけでなく緑も幾ばくかは見える。それも夏が過ぎれば一面白に覆われるらしい。

 平地を進む道々、八咫は寝棲からこの国について更に学んでいった。

「この国は国号を姮娥こうが。国姓をげつという。国号というのはつまり国の名であり、国姓とは王の姓を指す。治めるのはかつて最高位の神子みこを務めた簒奪の王、げつ如艶じょえん。その統治は五百を数える」

「つまり、ここ姮娥こうが国は、昔、はくこうってのが統治してた国の後釜にあたるわけだな?」

「そうだ」

「で、夜見国は当時妣國ははのくにってのと争っていて、その争いに勝つ為に白皇がげつ如艶じょえんをわざわざ神殿から引きずり下ろして自分の三交后さんこうごうにした。で、その利用したはずの如艶じょえんに帝位を簒奪されたと」

「うん」

「その簒奪の為に引き起こされたのが白玉はくぎょくせきぎょくっていう二つの神の取り換えで、げつは白玉を死なせない為に異地いちの人間を飼わなきゃならんくなった。そうして五邑ごゆうが出来上がったって訳だ」

「そういう事だな」

「で、げつが簒奪を働いた主な理由ははっきりしてないけど、少なくとも奴に加担した連中は、赤玉の祀りに関わる神子や黄師こうしに組みしてて――あ、そもそも黄師ってのは赤玉専属の軍だったんだよな?」

「そうだ」

「月が簒奪者なのに民衆から統治に当たる賛同を得られたのは、民衆も妣國ははのくにとの争いを終わらせたかったからで、当然戦が終わる事で利益が得られる連中もその陣営に加わっていた、と」

「どうした八咫、理解が早いぞ」


「もたもたしてられねぇんだよ、俺は。――一刻も早くあの野郎から食国おすくにを取り戻さなきゃならねぇんだから」


 黒く沈んだまなこで吐き捨てるように呟いた八咫に、寝棲は息を呑んだ。今、初めて、この少年が焼け付くようにそれを望んでいる事を理解した。

「――本当に、すまんかった」

 寝棲の声音が変わった事に気付いた八咫は、小さく溜息を吐いた。

「寝棲が悪い訳じゃねぇのは分かってるよ。ムカつくけどあいつの言う通りだ。俺が無力なのがいかんかったんだ。これから先、自分一人を食わせていけるのかどうかだって分かりゃしねぇ。仙山せんざんに入れて貰えた処で本当に役に立てるようになるかも分からんし、当然八重やえを器にされねぇようにできる算段が付けられるのか、邑の皆を助けられるのかも、全っ然見通しが立たねぇもんな。でもやるっきゃねぇんだよ。こうやって歩いてるのだって、俺がもっとでかくなるために必要な事のはずだ」

「――お前、強い奴だったんだな」

「強くなるしかねぇんだ。頭も、体も、心も。挑発されたままで済ませてたまるか。あの白浪の野郎、絶対死ぬほど後悔させてやる」

 白い息を吐き出しながら、八咫は遠く地平を睨んだ。


「――俺が今一番引っかかってんのは、その赤玉って神に仕えていたような連中が、よりにもよってその赤玉を、異地の帝と誓約して白玉と取り換えるような事を何故良しとしたか、なんだよ」


 寝棲がはっとした顔で瞬きをする。

妣國ははのくにとの停戦とか、そんなんは絶対後付けだ。それがあったから民意が得られたにしろ、それ以外の本意が絶対隠れてるはずだ。神の取り換えなんて、普通どう考えてもおかしいだろうが。それに、その結果として月人は不死石しなずのいしを使わなきゃ飲み水も用意できない状態になってんだろ? 赤玉がいないから、不死石の数はどんどん減る一方のはずだ。熊掌も言ってたが、そこに不満を抱いている民が増えてない訳がねぇ」

 無言で聞くしかない寝棲の傍らで、八咫は続ける。

「で、めでたく仙山せんざんが今回の作戦で、残り僅かな不死石の大量窃取に成功したわけだろ? その事実が国中に知れ渡れば、民衆の翻意や反乱の発生は簡単に予想できるし、多分もうそれは回避できねぇとこまで来てるはずだ」

「八咫、お前」


「月人だって、皇帝に味方する奴がいたならそれに反感もってる奴等だってたくさんいるはずなんだ。白浪はくろうじゃねぇぞ、姮娥こうがの国の枠内に留まった奴等だ。そういう分子が動き出したら――話は早いだろうな。更に上手くいけば、状況的に追い詰められた朝廷のほうから勝手に異地と交渉して赤玉と白玉を元に戻そうとするかも知れん」


 遠く地平の彼方に微かな影が浮かび上がる。よくよく目を凝らせば、それは十程の天幕だった。そこから馬影が何騎かこちらへ向かってくる。その場に待機していたのは二百。しかしそこは仙山の大本営ではない。極少数の、麻硝達の出迎えに過ぎなかった。

「前に寝棲が言ってた通りに、白浪との交渉を見越して不死石を確保したかったってのは当然あるんだろうけど、麻硝も本来はそっちの内部瓦解とか、朝廷自らが動くのを引き起こす事の方が狙いだったんじゃね? 知らんけど」

 麻硝達一団の者達が、馬影に向けて手を振る。

 じっと眼を地平に向けて先へと進む八咫は、すでに少年の顔を捨てていた。

 彼は今、正に子供時代を捨てて歩き出したのである。


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