3 猊下
そうと言われなければ、本殿か何かと間違えるところだった。見上げた
「――流石に、そのままの
璋璞の言い分は尤もだ。今の熊掌が
――なのだが、それは
これは……着替えさせられる。ヘタをすれば風呂にも放り込まれる。拙い。それだけは絶対にあってはならない。知られてはならない事が知られてしまう。血の気を引かせながら、しかし逃げると言う訳にもいかず、どうすればいいのか決められずにぐるぐると逡巡していると、そのまま璋璞は兵舎群を通り抜けてしまった。
呆気に取られていると、目の前に堀が現れた。その上には石造りの橋が渡されている。その橋を渡り切ると、その先には赤い大門が待ち構えていた。門は白壁に囲われている。
赤門を潜り抜けると、内には質実剛健を旨としたような
成程そうか。自分は『色変わり』しない
出産の気だけで血相を変えて全軍が撤退するほどである。
これならば、力尽くで衣を剥がされる事もあるまい。
そう思い、
思わぬ事に救われるものだと、そう思った。
が、当然そうは問屋が卸さない。
通された先で湯殿と
「
まあ、その辺りが限界だろう。よく勝ち取れた方だ。
案内された浴場は、璋璞一人の為の物とは思えぬ広さと豪奢さを誇っていた。本人の口からも、
「
という言葉が出ている。
妻、ではなく交、しかも一交というその表現に、本当に己等とは異なる生物なのだという事を痛感する。
真っ直ぐにそう語る璋璞の目に、熊掌は
自邸の大広間程の大きさもある湯殿の内に誰もいない事を確認すると、肌襦袢だけは着けたまま、熊掌は湯に身体を落した。
頭から湯船に沈むと、全身に襦袢が絡みついた。纏わりつく布の感触が、肌に触れた手を、その胸に引き寄せた腕を思い起こさせる。歯を食いしばり、両の腕で自身の身体をきつく抱き締めた。気を抜けば、ふいと何処かから自身の肉体が溶け出してしまいそうだ。それ程、今の己という存在はあまりに軽く、形を保つ事すら
どうしようもなく囚われ、どうしようもなく一人だった。
戻せるものならば、時を戻して止めてしまいたかった。
あの温もりが、心と心が吸い付くようだった
用意されていた
身支度を済まされた後、長い回廊を渡り連れて行かれたのは、正殿などの他の宮に比べれば余程簡素な平屋の殿舎だった。
璋璞が先んじて中に入る。それに続くと、そこは予想に反して明るい場所だった。それも極彩色に室内を染め上げている。見上げれば天窓には彩色玻璃の明り取りが
璋璞が音もなくその段差の手前で膝を折り叩頭した。
「沙璋璞、
璋璞の声を受け、臥牀の上の人物が、ゆっくりとこちらへ向けて体を起こしつつ顔を向けた。
その唇は厚く、目鼻立ちの彫は深く、全体の造作は大振りだった。一見して男性的な外観ではあるが、その
見ればその手には一冊の書籍がある。その人物は
「――
「いえ。御猶予を
紅の人は、猫のように目元を細めながら面白そうに熊掌を見る。そして大きく一息吸い込むと、「ほぅ」と感心したようにその眼を見開いた。
「聞きしに
熊掌が困惑したまま棒立ちしていると、璋璞が頭を上げて
「蘇熊掌殿。
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