序文 親子-2
一体いつから
「なあおっちゃん、この事、
「わかってる言わねぇよ。若が帰ってきても言うなってんだろ」
「ああ。頼む」
「だがなぁ、何時までも隠しおおせるってもんじゃねぇぞ?」
男の言葉に梶火は黙った。
そんな事は重々承知していたが、それでも――報せたい事ではなかった。出来る限り
「ありがとうな、おっちゃん。後は俺一人でやるわ」
「本当に大丈夫か?」
「他の手伝いが出来ずに済まねぇって、班の皆に言っといてくれるか」
「そりゃ構わんが――本当に無理だけはするなよ」
梶火は男に背を向けたまま、こくりと頷いた。
『おいこらテメェ、何
がつん! と激しい音と共に、頭頂に鉄拳制裁を喰らって
あのガチガチに硬い筋肉を
『爺……テメェこそいきなり何しやがんだちっくしょう……』
『何しやがんだじゃねぇや恥かかせやがって』
『なんっでテメェまで無参拝野郎の肩もつんだよ⁉」
がちん! と再び拳が落ちる。「うおお」と
『――おい糞餓鬼。俺はテメェにそんな教育を
『っだよ! あいつらが無参拝なのは事実だろうが⁉』
『
『そりゃあんたはアガリの年だからだろうが!』
アガリ、というのは、参拝の役割を免除される取り決めの事だ。
『色変わり』する者が加齢により白髪化すれば、当然
こめかみに青筋浮き立たせた南方は、仁王のような形相で梶火を見降ろしている。
『統治における正論をテメェみてぇな青二才に語ってもらう程落ちぶれちゃいねぇから俺の前では口には出すなよ。――いいか糞餓鬼。共同体の維持ってのはなぁ、
南方は確かに豪快な筋肉で出来ていたが、その理屈っぽさも十二分に突出していた。手先も器用であらゆる技術に明るく、まあよく出来た男だったのである。――自然、梶火もその影響を受ける。
『は? 実際に参拝してるしてねぇぐらい見れば判るだろうが⁉』
「はんっ」と南方は呆れた鼻息で梶火を小馬鹿にした。
『――いいか? テメェ等はな、生まれてからちっとも役に立たねぇ数年を親に食わせてもらって生き方を叩き込んでもらって、やっとなんとかモノになんだ。そんでその内に年食ってまた役に立たなくなって、人の世話になって生きるんだよ。そういう風にできてんだ』
『だから! その短けぇ役に立てる期間に必死こいて働いて、動けねぇ期間に人の世話になる分がんばらなきゃならねぇって事じゃねぇか⁉』
『だからそれが間違ってんだよ』
『何が!』
南方の、白内の病にやられた両目が梶火の目を射抜く。
『――じゃあ何か? テメェの生まれついて与えられた肉体が奴等の身体だったらどうした?』
ぐっと一瞬梶火が詰まる。
『憶えたくても憶えられねぇ。鈴音を聞こうにも音が聞こえねぇ。そんでどうやって手順を守る? 守れるか? そうでなくとも手足に麻痺があって階段も登れねぇ身体だったら? それがテメェだったらどうだ?』
眉間に皺を刻みながら、しかし梶火はぎりっと負けん気の強い目で南方を睨み返す。
『――そんなもん! 這ってでもやるに決まってるだろうが!』
その言葉に、南方は溜息を零した。
『だからテメェは馬鹿だっつってんだ』
『何でだよ! 責務を果たすのは村の一員としての自覚があるからだろうが⁉』
『邑の邑のと言うならな、まず邑がそんな効率の悪い事を求めてるかどうかを見極めてから言いやがれ。そりゃ責任感じゃねぇ。ただの意地だ。そんなヤツに無駄に時間かけて参拝やらせるよか、家で飯炊きやらせた方がよっぽど効率がいいだろうがよ』
南方は、ぐいっと梶火の襟首を掴んで立たせた。南方の体格が良すぎる事もあるが、二人並ぶと梶火の小柄さが際立つ。
『いいか、勘違いすんじゃねぇぞ。こりゃな、人間の向き不向きの話ですらねぇんだ。役に立つ立たねぇで弱者を切り捨てて良しとしたら、その内、共同体にある、一つの価値観における一定数以下は切り捨てて良いって理屈が
梶火は悔し気に
正直なところ、南方が言っている事は、頭では理解できていた。でも気持ちの上で受け付けない。そう易々と――心は切り替えられない。
『――そりゃ、必死こいてる俺は独り相撲で無様で無意味って事かよ』
「はぁ」と南方は再び溜息を吐いた。
『そういう事じゃねぇ。……努力は必要だ。生きる事を舐めてたり、義務を面倒くさがって他人に投げて逃げるような
巨大な手が、梶火の頭をがしがしと撫でる。
『いいか? 本当はな、テメェが知らねぇところで、助けてるつもりの奴に助けられてるんだ。それが分かんねぇのは、他でもねぇ、テメェの経験が浅くて餓鬼で無知だからだ。だから、分かるようになるまで、その目ん玉かっぴらいて、邑中の連中をよく見て学べ。教わるんだ』
ざく、ざく、ざく、
絶え間ない音が、
一人で
この埋葬のために育ててやってんだ。きっちり恩返しぐらいはしやがれ。そう言っていた。
馬鹿野郎。恩返しなんざし切れる訳ねぇだろうが。
馬鹿野郎が。
保管小屋の延焼は、思いの他大きく広がっていた。梶火の班の人間の家もかなり焼けた。――火を放ったのが
皆が、逆上した。
梶火の家の隣の隣は蔓斑だ。これは、
結局、犯行に及んだ者等は全て黄師に切り殺されていた。
蔓斑の娘一人が生き残り、今は邑長邸で手当てを受けているが、助かるかどうかは五分だという。
「なあ爺。――俺、今度こそ本当に一人になっちまったよ」
申し訳程度に土饅頭の
「――俺、これから何のために生きりゃいいんだろうな」
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