白玉の昊 破章 ②

珠邑ミト

破章

序文

序文 親子-1


 急な山の斜面を、息を切らしながら少年と中年の男が二人連れだって登ってゆく。


 少年の背には、粗末な布にくるまれ、頭陀ずだ袋を被せられた大きなものが背負われている。決して取り落とす事がないように、薄緑色の女ものの帯で少年の身体にきつくくくりつけられていた。

 彼の世帯に女はいない。これは近所で焼け残ったものを借りたのだ。本来の帯の主は――今頃砂浜に横たえられているはずだ。およそ百体近い同胞の亡骸なきがらと共に。

 少年の後に続く中年の男が手にしているのは、くわが一本切りだ。道々男が幾度となく交代を申し出るが、少年はがんとして首を縦に振らなかった。少年のぎらりと鋭いまなこが向かう先をにらみ、額からしたたる汗がその目に染みる。それでも、彼は決してまばたこうとはしなかった。

 少年の高く結い上げた髪には艶と癖があり、それはゆったりとうねりながら肩甲骨の辺りにまで伸びている。切れ長の一重の目元は彫りが深く、眉との距離がごく狭い。形のいい額に一筋二筋だけ前髪がこぼれ落ちている。負けん気の強さが、わずかにへの字に曲がったその口元に特によく現れていた。


 少年が背負うのは――遺体だ。


 本来ならば、いくらえいしゅうであろうと死者をこんな風に乱雑に扱ったりはしない。しかし、如何いかんせん今は状況が――違う。

 

 この事変で死んだ者の数があまりに多過ぎる。

 ――それこそ、老若男女の別もない。

 

 嵐の過ぎ去った後の真夏の空気は、どんよりと重く、また湿気しけっている。徐々に雲は切れ、上空高くに青空と太陽が姿をのぞかせはじめてはいたが、その分差す日差しは切るように熱い。少年らの道行みちゆき難渋なんじゅうさせるのは降り注ぐものに留まらない。先程までしつこく降っていた雨が、その足元を泥濘ぬかるませている。一瞬でも気を抜けば、草履がずるりといくのは明白だ。

 二人が登っているのは、むらの東の河から上がる獣道だ。邑の者でも滅多に使う事がない。ほとんど――この袋の中身の主だけで占有していた気がする。

 その道を、今は少年に負ぶわれて登っているのだ。

 十年前とは逆だな。そう思って、少年は皮肉な笑みを荒い呼気と共に口元に浮かべた。当時既に六歳。そんな年ともなればこんな山を登るなど造作もない事だったが、あの時の己は――わざと甘えたのだ。広くて熱い背中にかじりついて見た視界は高く、何か、自分が偉いものになれたような、そんな気がした事を覚えている。

 目指す先はそう遠くない。

 やがて――木々の間に横渡しに張られた綱が見えた。


 境界である。


 これより先へは行ってはならない。そう決められていた。馬鹿馬鹿しいその決まりを、馬鹿のように生真面目に守ってきた。今はもう、その理由や意味を知っている。ここまでがむらの領域で、そこから先は――月人つきびとの領域なのだ。

 綱の一歩手前に、古い松の木と巨石が寄り添うようにしてたたずんでいる場所がある。その傍に立つと、少年はしゅるしゅると帯を解いた。なるべく静かに、しかしどうしようもなくどさりと遺体を下ろす。

 ようやく――額の汗をぬぐえる。

 見れば、左肩に黒い染みが付いていた。恐らく背中にもその染みは広がっているのだろう。生臭く重いその痕跡に、もう溜息も出ない。

 一つきりの竹の水筒の中身を分け合いながら、中年の男が少年を気の毒そうに見下ろす。

「――なぁかじ。本当にこれで良かったんか? 皆と同じに、墓地に爺さんめてやらんで」

「……良いんだ。これがじじいの遺言なんだよ」



 ――いいか。俺が死んだら棺桶はいらねぇから、袋に入れて適当に穴掘って、この辺に埋めてくれ。



 南方みなかたは、何度となく梶火に向かってそう繰り返し言い聞かせてきた。それこそ耳にタコが出来る程に。

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