第36話 そして、冬は終わる
――ヨーク橋からのダイブから、三日後のこと。
クリスティが書斎にいると、ウィリアムが入って来た。彼は青白い顔をしていた。
「――クリスティ、話がある」
クリスティは眉根を寄せ、不安そうに彼を見遣った。しかし彼女はすぐに何気ない顔を取り繕い、彼に尋ねた。
「一体、どうしたっていうの?」
「良い知らせと、悪い知らせがある。どちらからいく?」
「じゃあ、良い知らせから」
「カーラを拘束した」
「やったぁ!」
クリスティはその場でクルリと回転した。バレリーナのターンのように、片足を軸にした、綺麗な回転だった。
ウィリアムは非常事態ということも忘れ、一瞬、それに見惚れてしまった。
「今夜はお祝いね! 一緒のベッドに寝てあげる。嬉しいでしょう?」
『カーラが切り札を持っているあいだは』ということで、クリスティたちはもしもの事態を想定し、寝室を別にしていた。そのため二人はまだちゃんと夫婦になっていなかった。
「とりあえず、悪いニュースのほうも聞いてくれ」
「ああ、そうだったわね。何?」
「カーラが、君の書いた届を提出した。拘束される前に」
「え!」
「――落ち着いてくれ、クリスティ。大丈夫だから」
「大丈夫じゃないわ! 大変! 私、国外へ脱出するわ」
クリスティが書斎を出ようとするので、ウィリアムは彼女を抱き留めねばならなかった。
「待て、待て、どこにもやらんぞ」
「でも私、あなたと添い遂げるのは、もうこれで不可能よ。当国は一度離婚した夫婦は、もう元には戻れないんだもの。チャリス教皇が退陣したおかげで、不貞行為で縛り首になることはないけれど、私はあなたの奥さんではいられない。それに身持ちの悪い女として、貴族社会で笑い者にされるわ」
「それがその……僕らはそもそも、夫婦ではない。――君の名前は現状『クリスティ・クォーリア』であり、あの書類は『クリスティ・ウィンタース』でサインしているので、虚偽の内容であるのは明らかだ。世間にも、『カーラに脅されて無理矢理サインさせられた』と主張できる」
「は、あの……なんですって?」
「僕らは赤の他人なんだ」
「え? でも――ちゃんと結婚式を挙げたわ!」
「そう。式を挙げただけ」
「そんな……」
「神父の前で、結婚証明書にサインしただろう?」
「ええ」
「あれを国の専門機関に提出して、初めて夫婦として受理される。――あの届は僕が保管していて、現状、まだ提出されていないんだ」
クリスティはウィリアムに腰を抱かれたまま、ほんの少し前まで『夫』だと思っていた人の顔を見つめた。端正な面差しは、いかにも誠実そうで、嘘などつくはずもないように見える。ところが、だ。
クリスティは『夫がずっと一線を越えようとしなかった理由は、これだったのか』とやっと理解することができた。――ウィリアムは堅物ゆえ、未婚の令嬢と体を繋げることが、どうしてもできなかったのだ!
クリスティの顔付きが凶悪になっていく。ウィリアムは狼が牙を剥いたみたいだ、と考えていた。
「私を騙したのね!」
「悪かった、クリスティ」
「どうしてそんなことをしたのよ」
「リン・ミッチャムに心奪われ、婚約破棄を迫った男――君にはそんなふうに、軽薄な人間だと思われていた。でも真実を告げることはできなかった。僕は秘密保持契約書にサインしていたから、一年間は、秘密を守る義務があったんだ」
「だからなんなの? それが届を出さなかった言い訳にはならない」
「――君は僕を絶対に許さないと思ったからだよ!」
ウィリアムは腹を立てていたし、混乱していたし、クリスティの情けに縋ろうともしていた。語調は強いくせに、彼の瞳には弱り切った懇願の色があった。
「あなたはそんなふうに怒れる立場にないですからね!」
「分かっている! でも僕は、君から一年以内に離婚を突きつけられると想定していたんだ。そうされても、こちらは秘密保持契約のせいで事情を説明できないし、君を思い留まらせることもできそうにない。この国では一度離婚したら、もう復縁はできない決まりだ。だから――」
「だから届を出さなかったの? とにかく――あなたは馬鹿よ! 馬鹿だし、大嘘つきだし、史上最低の詐欺師よ!」
クリスティは怒り狂い、本棚から本を薙ぎ倒した。それからウィリアムの胸倉を掴み、タイを剥ぎ取る。
彼はクリスティの腰を抱いたまま、彼女のドレスのリボンを解いた。
「確かに僕は大噓つきの詐欺師だよ、だったらどうする?」
「開き直るの?」
クリスティは彼のカフスボタンを外した。二人はダンスでもしているように、もつれ、回るように移動していく。
ウィリアムは書棚にクリスティを押し付け、近い距離で、彼女のヘーゼルの瞳を見つめた。
「……君だって、ひどいことをした」
「何よ、記憶にない」
「思い出の栞を捨てただろう。僕のことを、もういらないというように」
「どうして、それ――」
「メイドが栞を拾って、僕に届けて来た。……奥様が大切にしていらしたものだから、と」
「じゃあ、あなた、あれを持っているの?」
「そうだ」
「女々しいわ」
「どうせ」
「そんなふうに点数稼ぎをしようとしても、だめよ。私、あなたを許しませんからね」
「じゃあ、どうする?」
「――こうしてやるわ」
クリスティは微かに口角を上げ、自分から彼にキスをした。触れ合いは次第に熱を帯び、止まらなくなる。
ウィリアムはすぐに夢中になった。そしてそれはクリスティも同じだった。
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――これでどうやら、私たちの一年戦争も終わりみたいよ。
え? これじゃ和解したのかどうか、微妙ですって? まぁ、そうかもしれないわね。でもね。
あとはもう仲良く喧嘩しな、ってやつなのよ。
私たちそれは得意なの。――だって一年ものあいだ、そんなことばかりずっと繰り返してきたんですから!
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美形貴族の中からダーツで夫を選んだ悪女です ~私と夫の一年戦争~(終)
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【完結済】美形貴族の中からダーツで夫を選んだ悪女です ~私と夫の一年戦争~ 山田露子☆10/10ヴェール小説3巻発売 @yamada_tsuyuko
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