0003 王女殿下


 そんな折だった。ある時、王は大変美しい女性を供に連れてきて紹介してくれた。


「私の娘のフェシエルだ」


「はじめまして、みなみな様」


 女性――フェシエルを王は自身の娘だと言って紹介してくれた。フェシエルはその場で優雅に頭をさげて挨拶し、思わず心とろけそうになるほどの優しい笑みを浮かべた。


 その笑みの優しさはましくこの世の天女、と評して相違ないであろう。笑みだけではない。フェシエル王女は非常に見目麗しく、異国の容姿であるのも相まって見惚れる。


 瑞々しい琥珀色の肌。清流の如き銀の絹糸髪。青と黒と銀が混ざって彼女の感情に反応し移ろう不思議な瞳。肌着の上にはファヴァーヤの伝統衣装を少し豪奢にしたものを着込んでいる。うっすら透けている淡い紫の衣。手首足首には白黒の装飾をつけている。


 衣装が、容姿があまりにも神秘的すぎて避難者たちはこの御人は天の御使いではないかと真剣に考えた。考えていると宿の表が騒がしくなってひとり、軽装の兵が駆けてきて王に素早くこの土地の公用語ラ・クームで耳打ちしてさがっていく。王の表情に陰り。


「……ついに、来たか。フェー」


「はい、国王陛下」


 神秘的な美貌と雰囲気で人々を魅了していた王女殿下フェシエルに王が彼女の愛称のようなものを紡いで呼び戻した。王のピリリと痛い空気。王女はだが不動の体でいる。


 そればかりかふんわり微笑んでひとつ頷く。先ほど国王が伝令に聞いたことをすでに予見していたかのような少し淋しそうな笑みだった。だったが、父で、王の下に戻る。


 偉大な王で尊敬する父の逞しい腕に王女は華奢な手を乗せて俯き、小さく呟いた。


「野蛮な者たち、本当に来てしまった」


「お前に責はない。今や全土で火の手があがっているのはこの者たちの話にも聞いた通りだからな。だが、心苦しい。フェシエル、私の愛しい娘。お前をこのようなことに」


「よいのです。それがお役目ですから」


「……フェー、お前の力を貸しておくれ」


「はい、陛下。御心のままに」


 しばし、ラ・クーム語で親子が会話していた。王は大事な娘を片腕に抱えてしっかり抱きしめてから避難者たちに向き直った。ふたりの間の不穏な空気から大人は察する。


 王は避難してきた者たちに向いてフィリッツェン語で静かに最悪の現状を告げた。


「オルンケルン聖堂王国特等騎士団が向かってきている。だが、なにも案ずる必要はない。そなたたちはここで待つがいい。偉大なる守護神イアの加護を以て払いにゆこう」


「せ、聖堂王国? 無茶です! 彼の国は」


「わかっている。膨大なる戦力を備えし国であるということは。だが、それでも私の愛するこの国の為に往こう。フェシエルの加護があらば、ファヴァーヤに敗北はない!」


「王女殿下の、加護?」


 王の言葉。理解に易い音の羅列だった筈だが理解できなかったひとりが代表し、口にするのは疑問。王女殿下のご加護とはなんだろうか、と。が、王はこれにだけは答をくれなかった。そして、兵たちを護衛に残してフェシエルと共に宿をでていってしまった。


 兵たちは誰ひとりとして動かない。不動の体で在る不思議にこどもたちも首を傾げている。すると、こどもたちの訊きたい知りたいの欲求にフィリッツェン語を解する若い兵がひとりちょっとだけ、教えてくれた。王と王女だけでいずこかへ去ったその理由を。


「おふたり、戦いにイたね」


「お、おふたりだけでっ!?」


「? ウん。そうだよ?」


「ま、さか生贄になりに……?」


「まサかっ。大丈夫、絶対に勝つネ! 王女殿下ついテいた。だカら必ず勝利確実」


 妄想? ふと、大人たちの間にこの兵は妄言を吐いているのだろうか? という疑問がよぎった。オルンケルン聖堂王国。聖なる文字が国名についているが実体は暴虐の限りを尽くす生き血をすする悪鬼のような者共の集まりだ。隠蔽の為の「聖」という文字。


 しかして、兵の顔に憂いも心配も慮りもない。本当に絶対の勝利を確信している。


 その理由、というのも王女殿下に関わることらしく兵は悪戯っぽく片目を閉じた。


 そして、王と王女ふたりきりでの出陣からおおよそ一時間後のこと。町の鐘が鳴らされて角笛が噴かれたのを聞き、兵たちは太い歓声をあげた。こどもたちを驚かすほど。


 これに兵たちは謝り、でも次には王たちの凱旋を見せてあげるよ、と言って一行を宿場の屋上に連れだしてくれた。遠く王女を伴った王が歩いていくのが見えた。王女もしずしずと続く。遠目に見てもふたりは大きな怪我を負った様子もない。……勝ったのか?


 あの聖堂王国に? たったふたりで出陣して? 大人たちは感心するより畏れが先に立った。王女殿下の、フェシエル様のご加護がいかなるものか知らねど、すさまじい。


 白亜の宮殿に帰還するふたり。王女は途中で王に膝をついてどこか余所に向かっていったのが見えた。王はしばしその場で足を止めて見送ったが、ややあり、宮に入った。


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