第36話 乗り込む

 バイクを降りたらぐったりとしていた。東京の景色なんて楽しむ余裕など全くなかった。帰りは絶対に電車だ。強く決心しながら目の前のビルにオシゲと並んで入る。


「受付は二階です。普段どおりで」


 オシゲに続いて入り口すぐのエスカレータに向かう。警備員が横に立っているが、胡散臭そうな視線を向けてくるだけで問いただしはしない。今日は特別なパーティーがあるから巫女がいてもおかしくないとでも思ったのだろうか。


「ここからが本番です」


 僕はオシゲの視線の先にあるものを見て絶望感が湧き出てくる。ゲートだ。多分、カード認証か何かが必要だろう。ゲートは透明なアクリルの扉だから体当たりをして突破することはできるかもしれない。だが、それでは警報が鳴らされるかもしれない。


 僕がその場で動けずにいると、オシゲに手を引っ張られる。オシゲは何事でもないと言わんばかりに、綺麗なお姉さんたちが並んでいる受付に向かう。


「失礼ですが、どのようなご用件でしょうか。番号札の順番にお呼びすることになっています」


 受付の女性が優しい口調だがルールを守りなさいと言わんばかりの態度で言う。


 くそっ。パーティーの邪魔をするために入れさせてください。などとは言えない。ここは強行突破しかないか。僕が最悪な選択を強行していると、オシゲが深く息を吐く音が聞こえた。なんだろうと思いつつ オシゲの表情を伺うと今までにないくらいに真剣だ。


「本気モード発動しますよ」


 胸元から糸のついた五円玉を取り出すのにコンマ五秒、受付の女性の目の前で五円玉を揺らすのが十秒。その程度の時間で女性は目をトロンとさせる。


「本日のパーティーに行くことになっていますので、カードキーをお願いします」

「わかりました。どうぞ」


 僕とオシゲは女性からカードキーを受け取ると早足でゲートへ向かう。周囲には他の客もいるし、警備員もいる。それに、受付にいる女性は一人だけではない。別の客の応対をしていた受付の女性が、僕たちの対応をした女性の様子がおかしいことに気づくのはそれほど長くはかからないだろう。


 僕とオシゲはカードキーをゲート入り口の受信装置に当てる。が、すぐには反応しない。何か問題でもあるのか? 設定がされていなかったのか? カードキーをずらしたりして試してみる。この手の電子機器って、慌てている時に限って時間がかかるような気がする。僕はイライラしながらも冷静さを失わないようにしながらカードキーを押し付ける。


と、背後で何かの声が聞こえたような気がした。


「お客様、お客様。お待ち下さい」


自分らのことを呼んでいるのかもしれない。だが、振り返る訳にはいかない。受付の女性に催眠術が書けられたのがばれてしまったか。ってまずい。傍目に見れば脅迫とか非合法的な薬物を使ったと思われるかもしれない。そうであれば、僕たちは犯罪者? そもそも催眠術で眠らせるのも犯罪に入る?


「今なら引き返せますよ」

「まさか」


 膝がガクガクと嗤っているけど、口先では強気に返す。オシゲも口を半開きにして嗤う。判っている。仲間って一心同体こういう関係なんだと。ゲートが開いたのを幸いに僕とオシゲは早足で進む。


「そこの二人!」


 背後を見ると警備員が三、四人ほどいる。さすのオシゲもこれだけの人数を同時に催眠術を掛けることは出来ないだろう。もし、すぐに追いつかれれば、抵抗虚しく捕まるに違いない。


 が、ゲートがある。彼らもゲートをすぐには突破できない。先にエレベータに乗ってしまえば僕らの勝ちだ。オシゲについていきエレベータの前に立つ。ボタンを連打しながら早く開け。と願う。と、まるで僕らの願いが通じたかのように扉が開いた。


――っ!


 無人だと思い込んでいたのに、警備員たちが中から出てきた。まさしく最悪の状態。すわっ、これまでかと焦るが、オシゲは一歩前に出る。


「あなたたちは、向こうの警備員に詳細の状況を確認したくなる!」


 電光石火で複数の警備員に催眠術をかけると、僕たちは体をかわしてエレベーターに乗り込む。エレベーターの閉じるボタンを連打し、たかが数秒程度のタイムラグに、さっさと閉まれ、と毒づく。


 ゆっくりとした扉の動きに蹴飛ばしたくなる衝動に駆られた。それでも完全に閉まったので僕は安堵して鏡のついた壁面にもたれかかる。


 すぐにでもエレベーターが上昇すると思いきや再び扉は緩慢に開きだす。くそっ。外からボタンを押されたか。


「君たち待ちなさい」


 ここまで来たところで捕まるとは運がない。


「簡単に諦めないでください」


 オシゲは僕を横壁に押し付けて、頑張れよ。と言わんばかりに親指を立てる。その親指で十六階のボタンを勢いよく押して扉が完全に開ききる前にエレベーターから飛び出た。


 階段に向かったのだろうか? 警備員たちはオシゲの後を追いかけて走っていく姿がちらりと見える。

 僕は警備員たちがこちらに気づかないことを祈りながら、閉じるボタンを必死に連打する。扉が完全に閉じた後も上昇を開始するまで安心できない。拳を強く握ることでイライラする気持ちを押さえ込もうとするが余計に血が上ってくる。


 無性に気が立ってボタンでも殴ろうとしたとき、モーター音と共にようやくエレベーターは動き出した。普段なら気にすることのない動作音だが、不思議なことに猫の鳴き声が聞こえた。エレベーターの中に猫がいるわけがないから、錆とか金属疲労とかそんな理由で甲高い音がしたのだろう。しかし、その声は僕に母さんのことを思い出させた。


 煮干を美味しそうに食べていた母さんは幸せそうに見えた。まるで、猫のように喜んで食べていた。

 そう言えば、陸香が煮干を猫に食べさせていたときも幸せそうだった。動物たちが喜んでいることが嬉しかったんだ。


 今の陸香は幸せだろうか。

 判らない。

 だけど表情を見れば判るはず。あの時と同じ表情をしているならば黙って帰ろう。けど、そうでないならば絶対に連れて帰ろう。だって幸せじゃないから。我慢しているだけだから。


 エレベーターの上昇速度は遅くなかったと思う。それでも、僕が改めて決心するのに十分な時間だった。チーンと言うエレベーターの到着音が合図に扉が開く。警備員が待ち構えているかと身構えていたが目の前には慌しい給仕たちの姿があるのみ。ワイングラスをお盆に載せたウェイトレスが入っていく部屋が目的の場所だろう。

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