第37話 ちょっと待った!
「ちょっと、あなた、誰ですか」
司会の女性に僕は肩を掴まれる。もうすぐ警備員がやってきて引っ張られていくかもしれない。でも、少しの時間でも抵抗しようとすると、三条院が壇上から余裕を見せる。
「済まない。その巫女を離してやってくれないか。余興にちょうど良さそうだ。で、どうしたのかな巫女。君には何か不満でもあると言うのかね」
三条院だけでなく、会場内の多くの出席者の視線を感じる。間違いなく敵対的な。それでも、怯みはしない。
「ありますよ。沢山ね」
三条院は壇上から見下ろしている。警備員を呼ぶ様子がないところを見ると、何やら論争でもしようとしているのか。顎を突き出して発言を促しているよう。ならば、こちらも思う存分闘うこととするか。
「三条院さん。貴方は相変わらずリクのことを人間扱いしていません。貴方が欲しいのは一人の人間ではありません。単なる人形。綺麗な人形を駄々っ子のように手に入れようとしているだけです」
「それの何が悪いのだ。美しいものを欲しがるのは人の常。生物の本質的な要求だ。そして欲しいものを入手出来るのは資本だ。だから、資本の力を持っている人間がその力を行使することは当然のことじゃないか。巫女、もっと判りやすく言ってやろう。人間は欲しい物がある場合、金を払って買う。もし金があれば何でも買うことが出来る。そして俺は金を持っている」
「違う。絶対に違います。それは間違った考えです。お金があれば何だって買える? そんな馬鹿な。人の心がお金で買えるって言うのですか」
「ああ、買えるね。間違いなく。 買えないと思ってしまうのは巫女、お前の人生経験が足りないからだ。考えが浅いとも言える。そもそも、巫女は金の本質を理解していない。多分、買い物をするときに使用するもの。その程度でしか考えていないのだろ。だから勘違いしてしまうわけだ。仕方がない、俺がレクチャーしてやろう。金の本質は権力、つまり人を動かす力だ。例えば、俺がある会社に出資したとする。すると、会社は人を雇い、物を作り、売って、利益を得て給料を払う。極一般的な経済活動が行われるわけだが、そこにどれだけの人間が介在する? 従業員だけではない。その家族も消費者も影響を受けている。それを
三条院の考えに惑いはない。前回はその信念に負けてしまったが今回は違う。彼に見えていない僕の景色を叩きつける。
「三条院さん。貴方が見ているのは単なる人の表面です。そりゃあ、確かに部下は上司に頭が上がらないかもしれません。命令だって従うでしょう。だからと言って心を売買したわけじゃない。例えば、貴方が部下にスタミナラーメンを食べさせて辛くないと言わせてみたって、舌は辛さでヒリヒリしているはずです。嘘付けこいつは辛く無いと言っていると叫んでみたって、気がつかないのは本人だけ。金で全てを買えると思っている人だけなんです。僕が大将に言われたとおり働くのはお金を貰っているからだけではありません。大将が好きだしお客さんも好きだしラーメンも好きだから心から働いているのです」
「良く言う。ならば、男なのに巫女姿をしている理由は何だ。その服装は趣味なのか。それとも金のためにやっているのか?」
「そう言われればバイトですからお金のためと……」
「やはり、金で買われているじゃないか」
「待ってください。この服を着ていますが、心を売ったわけではありません。心の中では資格があれば神主の服装の方がいいな、と思っていますから。それに、今では何となく少しだけですが、巫女服を着ることに納得しています。そもそも、リクやオシゲさんがいるのに男である僕にこんな格好をさせるのか。ずっと疑問に感じていました。不自然であるというだけでなく、参拝客を騙しているようなものですから。でも、二人が巫女服を着て働いていることで三条院さん、貴方のような方がお金を使って圧力をかけてくるならば、僕が巫女服を着るほうが百万倍くらいマシです」
「ほざくな貧乏人。この世は弱肉強食。資本主義のグローバリゼーションに組み込まれているこの国で、負け組みのお前らが何をほざいたとしても単なる遠吠えだ。社会の底辺で足掻いているだけじゃないか」
「勝ち組とか負け組みとか、そんなのくっだらねーって思いますけど、あえてその言葉を使うならば、いくらお金があったとしても心が貧しいならば、負け組みじゃないですか? 心から幸せだと思えないのならば、勝ち組になんかなれませんよね」
「違うな。貧乏が人の心を蝕むのだ。だから金が無い時点で不幸だと言っている。そして金持ちは金がある故に心が豊かになる。満たされている人間は『金持ちは喧嘩せず』で醜い争いを行わない。だから金があると幸福なんだ」
「争わないのならば、どうしてTOBを仕掛けるのですか。お金の力で相手を服従させようとするのですか。言っていることとやっていることが矛盾しているじゃないですか。そもそも三条院さん、貴方はリクの気持ちを考えたことがあるのですか。どんな趣味をしていてどんなことが好きでどんなことで悩んでいるかと。相手の気持ちすら考えずに幸せになっているかどうかなんてどうやって判断するんですか。」
「ならば巫女、お前は違うとでも言うのか」
「ええ、違います。僕はもしリクが望んでいるならば黙って帰ろうと思っていました。でも、ここに来てリクの目を見たとき、やっぱり我慢しているだけだと確信しました。神社の境内で見知らぬ犬がセンターに連れて行かれると苦しんでいたときと同じ目でしたから。それにリクのことを想っているのは僕だけではありません。オシゲさんも詩乃や徹も煮干を食べてる母もいます。みんなが三条院さん、あなたとは違ってリクの心と触れ合っている。確かに貧乏になるかもしれません。でもみんなでリクのことを守ってみせますし幸せにしてみせますよ。絶対にできるはずです。何故なら三条院さん、貴方と違って僕たちは……、心の存在を信じているから!」
壇上の三条院は先程までと違って瞬きを何度も繰り返している。僕のことを睨んだかと思いきや陸香を見てみたり会場の出席者に同意を求める顔つきをしたりと落ち着きが無い。もうギブアップ寸前だ。と思ったが僕が叩きつけた言葉に反論してくる。
「それは、陸香が決めることだ。巫女が決めることではない」
苦し紛れの発言にも見えるが正論だ。本人がどう思っているかが一番大事だ。僕は陸香を探した。壇上の真下に立っている陸香を見つけた。多分、三条院の紹介で登壇する予定だったのだろう。それが、僕のせいで阻止されて動けなくなっていたのだ。
会場の人たちも三条院の視線の先で陸香を見つけていたようだ。沢山の視線がシャワーのように陸香に浴びせられる。それなのに、陸香は平然としている。真っ直ぐに閉じたままの口、たゆたうことのない眸は自分の中にある道を見据えている。
僕が陸香に向かって飛びっきりの笑顔を送ると、彼女は進むべき道は決まっていたとばかりに壇上に背を向けた。一瞬、姿が見えなくなるが、海が二つに割れるかのように出席者たちは陸香の通る道を創出する。
ワンピース姿の陸香はドレスを着ている他の女性出席者より派手なファッションをしているわけではない。それなのに、誰もが魔法にかかったように固まっているのは、カリスマモデルのようなオーラを放っているからだろう。しかも、一歩進むごとに真夏の太陽のように輝きが増してくる。
陸香が僕の方に近づいてくるにつれて、会場内の熱気が増してくるような錯覚があった。目の前に立たれると熱中症になって倒れそうだ。僕は実際には汗の出ていない頬を手の甲で拭いながら、陸香から視線を逸らすと三条院が視界に入った。肩を落として項垂れながらもこちらを見ている。未練がましい目つきだが、もう諦めたと思っていた。このまま会場を後にしても黙っているような気がしていた。しかし、三条院は僕の視線を発見すると再び胸をはってマイクを握りなおす。
「陸香、それでいいのか。全てを失うかもしれないぞ」
陸香は体ごと三条院のほうに向き直り、大きくは無いが透明感のある声で話し始める。
「うちの神社ってたまにペットを捨てに来る人がいるんです。先日も生まれた子犬が可愛くないという理由で捨てようとする飼い主がいました。理解できませんよね。許せませんよね。命を何だと思っているんでしょうか。でも、私だって偉そうなことは言えません。どう頑張っても無理な場合があって救えなかったことがありますから。だから、というわけではありませんが、救えた子たちは私なりに頑張って育てています。確かに最高級の食事を与えたりケアしたりしている飼い主から見れば、酷い環境と言われるかもしれません。煮干しかあげられない日もあります。けど、どんなお金持ちの飼い主と比べても愛情だけは負けていないつもりです。だから全てがお金だけで決まることを認めるわけにはいきません。だってそれって自分の愛情や存在を否定しているじゃないですか。私のせいで迷惑を被る人がいるとしても譲れないんです。それに信じたいんです。トシや姉さんやみんなのことを」
「待て。俺は本当に君のことを愛しているのだ。その愛を信じないのか!」
三条院の必死の叫びが会場に響き渡る。誰もが言葉を発することが出来ず静まり返った時、陸香は足を止めた。
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