第35話 出発

「行くって? 何処に?」

「買収を失敗させるために伝報ホールディングスに行くんじゃないの?」


 僕の質問に姉さんが答える。話の流れ的に予想はしていたが、ちょっと唐突すぎる気がする。どうなっているのだろうかと思いながら状況を確認する。


「母さんが?」

「俊史は一緒に行きたいの?」


 姉さんが半眼で訊いてきた。僕の質問は違う意味に受け止められる。


「いや、そうじゃなくって母さんをパーティー会場へ連れて行くつもり?」

「そのために呼んだんでしょ? 梓」


 姉さんはオシゲに質問をする。既に姉さんにも母さんにもある程度詳しい話がされているのだろう。伝報の傘下になればアパートを追い出されるかもしれないことまで。


「それしか手はないのですよ。あの人たちの卑怯なやり方に対抗する為にはパーティー会場でお母さんの力を使うしかありません」

「それっておかしいですよ。僕も好きくないけど三条院、でも彼らのやっていることは合法的ですよね」


 思わず僕は反論をした。母さんの力を無闇矢鱈と使うことは良くない気がしたのだ。


「確かにTOBは合法です。しかし、経済的に追い詰めて自己の要求を通そうとする手法が正当と言えるのでしょうか。彼らは法律と経済的原則を武器にして私たちを追い詰めているのです。金融テクニックをしかけて私たちの財産を侵食し、最終的には私たちを隷属させようとしているに過ぎない。彼らにかかれば、お母さんの住んでいるアパートだって潰されて売られてしまうかもしれませんよ」

「だからと言って母さんの力で会社を潰してしまっていいのですか? 困るのは三条院だけじゃない。彼の会社には社員や客や取引先や他にも関係する人がいっぱいいるはず。母さんの力で会社に未曾有の危機を発生させて倒産させるようなことになったら、その人たちは路頭に迷うことになるかもしれない。幸せだったはずの普通の家庭が僕たちの我侭な行為によって一瞬にして崩壊してしまうことになる。そんなことする権利など僕らにないし、やっていることは単に貧乏籤ってジョーカーを他人に押し付けているじゃないですか」

「だったら、貧乏籤を引いたお嬢様は三条院と結婚するべきだと言うことですか。あの人たちのやり方を見てみなさい。お嬢様は今日のパーティーの後で高校を転校させられて彼らの家に住まわされることになります。本人の気持ちを完全に無視して。私や貴方たちの生活を守るために。それで良いんですか?」

「違います。そんなこと言ってません。リクだって助けます」

「口先だけの綺麗ごとなら誰だって言えるし、現実感のない台詞など壁に向かって呟いていればいい。本物の男なら言葉じゃなく結果で語りなさい!」


 オシゲの真っ直ぐな視線を僕は受け止める。いつものような冗談じみた表情ではない。真剣で威圧感すらある。ややもすれば気圧されるような頑強さがある。


「判ってる。判ってますよ。今からリクを助けに行きます。僕だけで。連れて行っていただけますよね」

「当然!」


 オシゲは即答をする。まるでその答えを待っていたかのようにエクボを作ってから、クルリと背を向けて社務所を出ていく。言葉はなかったが、背中がついて来いと語っている。


「トシ。頑張ってね」


 詩乃は笑顔で徹は頑張れよ、と親指を立てていた。

 同じように笑顔で親指を立ててからオシゲに遅れないように社務所を出る。外はいつの間にか雨が止んでいた。所々、晴れ間が見えてステージのスポットライトのように地上を照らしている。草の匂いが少しだけ感じられて緊張感が和らぐ。


 姉さんと母さんの横を通り抜けようとしたら二人に捕まった。姉さんには頭をポンポンと叩かれ、母さんには抱きつかれる。


「もふもふへれ」


 とりあえず煮干を飲み込んでから喋ってくださいな。言いたいことは何となく分かるけど。僕は母さんを軽く押し戻しオシゲを追いかける。

 駐輪場所で追いつき巫女服を気にしながら渡されたフルフェイスヘルメットをかぶってバイクに跨る。

 少し緊張してきた。バイクの後ろに乗るのは初めてだ。それだけじゃない。高速道路を使うから余計にドキドキしてくる。


「死ぬ気でしがみついてください。でないと冗談ではなく死にますよ」


 バイクの最後尾を掴んでいたが、運転シートに跨っているオシゲに促されて両腕で抱きかかえる。


「もっと気合を入れて。ちゃんと体を背中に密着させてください」


 僕は本気でオシゲの腹部に両腕を回して手を固く組む。顔を傾けて頭を背中につけるとコバンザメになったかのよう。

 それにしても気合を入れれば入れるほど緊張してくる。大丈夫なのだろうかと。

 オシゲに精神状態を確認するかのように手を撫でられると呼吸が次第に速くなってくる。


「早く行きましょう」


 止まっている方が緊張する。僕の依頼にヘルメットをかぶろうとしていただろうオシゲの動きが止まる。僕の組んでいる手をズリズリと上の方に動かす。

 柔らかい腹部だと問題があったのだろうか。何かの拍子に苦しくなってしまうとか。

 腕を伸ばして腹部より隆起した部分で手を組む。

 こちらの体勢も苦しいが、オシゲは痛くないのだろうか? 考えた瞬間にぎこちなく体を揺らす。


「あん。そこ駄目」

「へっ、変な声出さないでください」

「俊ちゃんのス・ケ・ベ」

「違いますって。絶対に」

「もう、言い訳はいいから行きますよ」


 腹部に抱きつきなおすとバイクは動き始めた。加速はとても気持ちいい。ただ、脚に入ってくる冷たい風に、巫女服を着替えなおすべきだったかと考えていた。

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