第32話 雨が降り続く

 僕も追いかけるように走る。しかし、社務所の前で立ち止まった。これ以上、陸香と話す言葉が思い浮かばなかったから。自分の中で考えを整理したかった。陸香が家の中へ消えていくのを見届けてから社務所の中に入った。仕事をしていれば冷静になれるかと考えて、絵馬やらお守りの準備を開始する。


 結局、仕事をしながらも冷静になれずに陸香の事ばかり考えていた。


 道端を歩いていれば振り返られる。校内にファン倶楽部ができるほど容姿に恵まれている。ぶっちゃけ可愛いと思う。彼女が通り過ぎるだけで枯れていた花を咲かせるが如くに心が和み癒される。まさしく花咲女子高生。異性の僕が羨むくらいの美貌だから、同性なら尚更だろう。生まれた時点で平等ではない。とは言いたくないが、強力な存在感は天性の神の恵みの賜物である。


 美貌だけじゃない。代々この地を守護する由緒正しき神社の家柄だ。さらに、両親が中堅の不動産会社も経営していて経済的にも不自由が無い。足りなくなったらお小遣いを貰える生活など、僕から見れば憧れ以前にイメージしたことすらない世界だ。


 そんな陸香に不満など何もないと思っていた。あったらそれこそ我侭だと考えていた。それがどうだ。毎日、身を削って捨てられた犬猫の世話をしているだけではない。後鷹司家、会社、社員、さらにはアパートを借りている住人を守るために自分を犠牲にしなければならない。人身御供と化して守らなければならない。


 美人で金持ちなら幸せだと思っていた。何も知らずにそう考えていた。だが、現実はそんなに簡単ではない。三条院が悪人だとは思っていないが、美人という理由で近づいてくる人間が善人だけとは限らない。魅力という引力はあらゆるものを引き寄せるが、それは必ずしも自らが望んだものだけではない。さらに、金持ちであることは守るべきものが多くあるということ。気がつかない間に他人に対して責任が発生している。身を犠牲にしてでも他人の生活を守る必要がある。


 確か三条院も似たようなことを言っていた。僕には陸香の考え方に実感がない。分からない。貧乏の方が素晴らしい。そんなことは絶対に思わないし思えない。けど、金持ちだから幸せって訳じゃない。それはだけは間違いなく言える。


 僕の家には普通の家庭にあるゲーム機やらスマホなんて当然なかったし、テレビすらなかった。唯一あるのがラジオ。ただ、電池が無いし買いに行くお金すらなかったから単なる置物。でも別に困ることはなかった。


 そこには母さんがいて姉さんがいて、父さんはどっかに行ってしまったきりだけど、それだけで十分だった。そりゃ、月末になると食べ物が無くなっておかずを姉さんと奪い合うのは辛いけど、今では愉快な気持ちになれる想い出だ。だから今までの僕は精神的には満たされていた。貧乏だったけど幸せだった。少なくとも不幸ではなかった。


 そして今の僕だって幸せだ。母さんや姉さんとまた一緒に住みたいとは思うけれど不自由の無い生活を送っている。文句を言ったら罰が当たりそうなくらいだ。


 ただ、その生活はリクの家族に庇護されているにすぎない。

 じゃあ、陸香はどうなの? 幸せなの?


 三条院のことが好きならば全ての問題は解決している。だが、自分たちのために彼を好きになれと言うのはおかしい。そもそも彼のことが好きだったならば悩んでいるはずが無い。今日のパーティーだってウキウキ気分で出かけること間違い無い。オシゲに向かって、不平不満を言うわけがない。


 陸香は、彼女は守るべき他人のために我慢しているだけ。しかもその我慢は一過性のものではない。一生に係わること。つまり自分の人生を犠牲にしているのと同じだ。


 そこまでして守らなくてはいけないのか。自分ならこうすると主張しても机上の空論だし、そもそも僕の人生でそんな選択を要求されたことがないから判らない。


 溜息をつきながらパイプ椅子に座った。頬杖をつきながら窓の外の景色を眺める。冷たそうな雨がシトシト降っていて、時折、社務所の屋根から滴り落ちる透明な雫が境内の丸石と遊んでいる。参拝客のいない境内は荘厳で深夜のように静寂だ。心が安らいでくる。しかし、退屈さは余計なことを考えさせる。


 もう、陸香は出かけたのだろうか。

 さっきの白のワンピース似合っていたな。

とか、どうでもいいことがグルグル頭で回って……。いつまでも尽きぬよう。

 雨音と同じように僕の心の中に降り注いでいた。

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