第31話 雨が降る

 陸香は普段見ないような表情でオシゲのことを睨みつけている。


「関係ないからそんなことが言えるんだ。本当の姉だったら同じ立場だったなら絶対に不平不満を言うわけがない」

「陸香!」


 リクは電撃でも受けたかのように全身をビクッと硬直させたかと思うとジリジリと後ろに下がる。既に気合負けをしているリクは喧嘩に負けた子供のように背を向ける。


「逃げるつもりですか。いつまでも逃げ続けることができるとでも?」


 オシゲの言葉を無視して陸香は走り出す。犬に吠え立てられた子猫のように無軌道に。


 徐々に小さくなっていく陸香の姿を見ながら、僕は呆然と、どうすれば良いのだろうか? と漠然と考えていた。が、実際には考えるふりをしているだけで、行動に移すこともできずに神社の狛犬になっている。


「追いかけてください」


 オシゲの口調は柔らかかった。しかし反論を言わせない威圧感がある。それでも僕はためらいの言葉を口走る。


「オシゲさんが追いかけた方が……」

「駄目です俊ちゃんでないと。いいのですか? 今行かないと一生後悔することになりますよ」


 何故僕が? 部外者じゃないか。よく分からない。僕が動けずにいるとオシゲが眉を歪める。


「私じゃ駄目なんです今は。だから、お願いします」


 断りたい。どうせ僕が出来ることなんかなにもない。そんな気持ちもあった。それでも陸香のことを心配する気持ちがまさった。


 だから僕は走りだした。あてがあったわけではない。陸香が何処に行ったかなんかわからない。根拠なんて何もない。しかし、足は不思議と境内のベンチに向かっていた。


 社務所の脇を抜けると陸香が見えた。ベンチの横に立っている陸香は遠くを見ている。足元にいるタロとジロが大人しく陸香のことを見守っている。


 近づいて横に並び声をかけようとした。が、不思議と言葉が出てこない。ただ、それは苦痛ではない。黙って陸香と二頭を見ているだけで心が落ち着いてくるような気がする。


「あのね。今晩、三条院とのパーティーがあるの」

「パーティーってもしかして詩乃のお店でラーメンを食べるとか。そう言えば、一昨日バイトをしているときに三条院がスタミナラーメンを一人で食べに来た。って話をしたっけ? 三条院って凄く面白いよね。文句を言いながらも音を立てながらスープまで飲みきっちゃうんだから。あの減らず口さえなければ間違いなく優良な常連さんだよ」


 努めて明るい話をしようとした。どうしても暗い雰囲気に耐えれそうに無い気がしたから。でも実際は単なる空回り。一人でテンションをあげているだけ。陸香は話しかけているときだけは表情を和らげていたが、僕の言葉が止まるとゆっくりと険しい表情に戻っていく。


 僕は陸香のそんな顔を見るのが辛くて何か面白い話でもしよう、と思うが、そんなときに限って何も浮かんでこない。出てくるのは溜息ばかりだ。が、これ以上気まずくなりたくないので吐き出す前に何回も飲み込むように大きく息を吸い込む。


「ありがとうトシ。少しだけ気が紛れたよ」


 陸香は会話が終了したみたいな言い方だが立ち止まったままだ。多分、まだ言いたいことがあるはず。その言葉は僕が引き出すしかない。


「パーティーって神社で?」

「ううん。練馬にある伝報の本社で。名目上はグループ再編成十周年の懇親会らしいけど実際の目的は……」


 ちょっと待った。買収する企業の社長と家族を呼びつけるってどういう了見だ。まだ、TOBを完了していない段階で関係者に成立確実とでも印象付けたいのだろうか。しかし、それにしてもピエロのように扱われる陸香の家族の立場はどうなる。


「リクはいいのかそれで。他の客から冷笑されるんじゃないか?」

「それ以外に方法がないから、別に今すぐ結婚するわけではないし」

「結婚? 十周年のパーティーじゃないの」

「ママから聞いた話では、会社運営の懇親が目的のパーティーだけど、その席で私のことを婚約者って紹介するみたい。ママは断ってもいいって言ってはいたけど……」

「婚約者? それって重要な話だよね。それなのにどうしてそんなに平然としていられるの?」

「平然としている? だとしたら私って凄いよね。自分に拍手がしたくなる。こんなに嫌でイライラして怒っているというのに平然としているのだとしたら」


 陸香の声はそれほど怒りを感じさせない。でも怒っていることは間違いない。だから陸香はとても静かに感情を爆発させている。そのことは理解できたが、そこまで怒っているならば他の選択肢を選べないのか。


「断ってもいいって言われたんでしょ? それに別にリクが行く必要なんて何処にも無いよね」

「そんなことできるわけ無いじゃない。後鷹司物産の全てを手にいれるってことを誇示するために私を含めて招待しているのだから。要するに私は景品の一つ。買収成功の報酬にもらえるメダルみたいな扱い。もし、ここで反抗的な態度を取ると言うなら、きっと買収後に嫌がらせをされる。ううん。既に資本が入っているから現時点でも酷い嫌がらせをされる。考えてみて。後鷹司物産には社員がいる。伝報の手下は彼らの生活を追い詰めようとするかもしれない。それに社員だけじゃない。トシのお母さんが住んでいるアパートだって潰されちゃうかもしれない。やり方が汚いのあいつら」

「大丈夫だよ」


 根拠は無かった。けど、母さんが住んでいる場所を壊すことや追い出そうとすることは実質不可能。少なくとも今まで挑戦した人は全員失敗している。しかし、物産の社員のことは分からない。法律で保護されていた記憶があるけど現実は解雇されるのだろうか。


「もう、私一人だけの問題じゃないんだよ」


 陸香は空を見た。僕もつられて空を見ると灰色の雲が重く垂れ下がっていて世界を包み込もうとしている。その迫力に圧倒されそうになっていると頬が冷たく濡れた。ポツリポツリと降り始めていた雨が少しずつ勢いを増していく。


「濡れるよ」


 陸香は僕に言葉を投げつける。そして自宅に向かって走り出した。

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