第23話 スタミナラーメン三人前で
「で、遠いの?」
三条院に言われて陸香は僕を見る。そりゃそうだ。陸香は詩乃の家のお店に行ったことは無いだろうから。
「歩いていける距離だけど」
「三条院さん歩きましょう。この車でうろうろするのは他の車に迷惑ですから神社で待っていただくのがよろしいかと。何か困ったことがありましたらオシゲが対応してくれますし」
「そうだな。たまには歩くのもいいか」
三条院の返答に、僕は、まだジュース飲んでないよ。ケーキも食べてないよ。と声を大にして叫びだしたかった。足をばたばたさせて駄々をこねてみたかった。だが、高校生にもなってそんなことが出来るはずもない。さっさと移動するしかない。そう頭で理解しつつも、体は未練がましく動かない。
「トシ行くよ」
三条院に続いて車を折りかけた陸香が固まっている僕を見て振り返った。
「緊張しているの?」
僕は指をくわえてケーキを物欲しそうに見る。
「帰ったら食べさせてあげるから」
「まじで? 本気で? 給与天引き無しだからね」
陸香は額に手を置きながら長い息を吐く。
「どうしたの?」
「いや、トシってたまに意味不明だなと思って」
「そう? 早くラーメン食べに行こうよ」
陸香はちょっとだけ目を細くしてから黙って車から降りる。僕も陸香に続くと、三条院が腕を組み右足のつま先で地面をとんとんと叩いていた。
「遅い。俺は待たせるのは好きだが、待たされるのは大嫌いなんだ」
文句を言うと一人で歩き始める。
「何処へ行くつもりなんだ?」
「詩乃の店でしょ?」
「方向が違うけど……」
「じゃあ、トシが先頭になって案内してよ」
「でも、あの人、自分が先頭に立ちたいタイプじゃない?」
「何となく分かる。行き先が間違っていたりするところも」
陸香と二人で笑っていると三条院が戻ってくる。
「何してるんだ。さっさとついて来い」
「僕が案内しま
す」
動物病院に停めていた自転車を押しながら歩き始めると陸香が横に並んだ。三条院は多分一人ふんぞりかえりながら歩いているのだろう。余計なことを言って妙な軋轢を生む必要はない。僕は少しずつ歩くのが速くなるのを感じながら詩乃の家のお店に向かった。
歩いている途中に会話はない。沈黙しながら歩いていると苦行に感じられる。それでも重苦しい雰囲気に軽口を叩く気にもなれない。僕たちは軍事演習のような行進を五分続けるとようやく詩乃の家のお店に到着した。
「こんなに汚くて店なのか?」
後ろから聞こえてくる声に振り返って一発殴ろうかと思った。そもそも詩乃の店は綺麗だ。詩乃のオヤジさんが几帳面なこともあり、店の外も中も十分に清掃されている。多分、おしゃれな店じゃないって言いたかったのだろうが気に入らない。
「嫌なら帰っていただいて構いませんよ」
「マイハニーが行く場所なら、何処にだって着いていくよ」
けっ。スルメ会話なんて聞いてられないぜ。僕は駐車場の隅に自転車を停めてからスルメを無視して店の中に入る。
「おっ、俊ちゃん。元気か?」
「大将も元気そうで。あと、すいません。母がまた厄介になったそうで」
「気にすんなって。店に来ないでくれればそれだけで十分だ」
微妙に引っかかる表現だが仕方が無い。母は貧乏神なのだから。それに、お金すらない今の状態では客ですらないし。
「何処に座るの?」
陸香に背後から質問されて、カウンターに座ろうとしていた僕は一人で来たわけではないことを思い出す。店内を見回すがテーブルが空いていない。そりゃそうだ。現在時刻は六時半。丁度夕食の時刻だ。本来ならばテーブル席が空くまで待つべきなのだろうが、三条院が暴れかねない。僕は陸香にカウンター席を提案する。
「一度、カウンターでラーメン食べてみたかったんだよね」
「なんだこの店、やたらと狭いなあ」
後から入ってきた三条院が文句を言いながら陸香の左隣に座る。
何言ってるんだこいつ。と思いながら角刈りの大将を見るとこめかみに青筋が浮かんでいる。両手を腰に当てながら鼻を膨らませて黒いTシャツが破れだしそうな勢いだ。
ちなみに、ここのラーメンは一子相伝らしい。
本当か知らないけど。
「とりあえず餃子、三人前」
僕が陸香の右隣に座ると三条院は突如注文する。ああっ。こいつ、駄目だろ。ちゃんとメニュー見てから頼めよ。
「悪いな。今日は餃子は無いんだ」
ぶっ。吹き出しそうになる。おいおい、大将。餃子はメニューの中に無いじゃんか。バイトしている僕ですら一回も見たことないぞ。
「なんだ。餃子くらいちゃんと置いておけよな」
三条院はモヒカンを撫でながら不機嫌そうな顔をしている。あんたも、そんなに餃子を食べたかったのかよ。
「それなら、チャーシュー麺で」
「チャーシュー麺はねえよ。メニュー見てから注文してくれないか?」
そう、詩乃の店にはチャーシュー麺はない。いや、チャーシュー麺だけじゃなく、とんこつラーメンも味噌ラーメンも無い。
あるのは、醤油ラーメンとスタミナラーメンとスタミナラーメン大盛りだけだ。ちなみに、冷やしスタミナラーメンというのを夏に向けて検討中だとか。
「なんだ、このメニューは。客を馬鹿にしているのか?」
「悪いな。不器用な男なんでこのメニューしか作れねえんだ」
「不器用なのはオヤジの顔だけにしてくれないか」
「うるせぇ。モヒカンに言われたくねえや」
既に客と店主の会話じゃない。頭を抱え込みたくのを我慢していると陸香が僕のことを見ていることに気がついた。
「スタミナラーメンってどんなラーメン?」
「知らないで来たの?」
「だって初めてだもん」
「スタミナラーメンって言うのは、あんかけラーメンだよ」
うっ、上手く説明できない……。
「俊ちゃん。うちを継ぐ気ならちゃんと説明してくれないと困るな。まず、他のよくあるラーメンと違うのはあんかけだな。あんかけってのは、あん、つまり片栗粉を溶かしたものをかけているやつのことな。トシが言ったが。味は甘辛だから、ラーメン全体としては甘口だけど舌の上に心地よい辛さが残るようにしている。あんかけにはキャベツやカボチャが入っている。レバーもな。醤油味ベースの太麺との調和がキモになっているんだ」
大将の説明を陸香は頷きながら聞いているが、理解したのだろうか? でも、言葉で説明するなんて無意味だ。食べれば分かるのだから。面倒になってきた僕は大将にスタミナラーメン三人前をお願いする。
待つ時間はお通夜だった。楽しい食事が僕のモットーだが、スルメがいると会話が進まない。いや、進まないと言うより、異様な雰囲気を醸し出していて話が出来ない。
当の本人は大将とのやり取りが気に入らなかったのか黙りこくったままだ。スマホを見て時間を潰す。わけでもなく、ただただ大将を睨みつけている。いつ戦闘が始まってもおかしくない。
一番何も変わらないのは陸香だ。待つのに慣れているのだろう。表情も姿勢も乱れが無い。何を考えているのだろうと顔を傾けて横目で見ると、僕の視線に気がついたのか瞳がゆっくりと動く。
僕が慌てて大将のほうに顔を向けると、今度は遠くから強い視線を感じた。蛙に襲いかかる蛇のように邪悪な殺気立った気配を放っている。
「へい、スタミナラーメン三人前」
これ以上は場が持たない。そう僕が思った瞬間に、大将がどんぶりを目の前にドンと置いた。ある意味、戦闘開始のようなタイミングだった。
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