第22話 モヒカンリターン

 突如現れた三条院。まるで食事の最中にゴキブリを発見したような気持ちの悪さと苛立ちが湧き出てくる。反射的に大声でも上げたくなる気分だが、陸香は冷静に挨拶をする。


「三条院さん。こんばんは。こんなところで、どうされたのですか?」

「月曜日に会えなかったので、あらためてわざわざこうしてやってきたのだよ」

「そう。お会いできて良かったですね。それでは、ごきげんよう」


 陸香は当然だが花束を受け取らずに立ち去ろうとする。


「ちょっと待った」

「これ以上、何か御用でも?」

「今からゴージャスにディナーに行くのをまさか忘れていないだろ」

「そんなこと約束もしていませんし、ちっとも覚えていませんけど」

「どうしたんだ陸香。間違いなく、今朝の夢で約束したじゃないか。僕が夢で約束したと言うことは事実と同じこと。なんてったって、二人はラブラブなんだから。それともゴージャスな食事に遠慮しているのかい。でも、未来の妻が遠慮することは無いさ」


 三条院はモヒカンを後ろに撫で付ける。僕は眩暈に耐えながら、病院入り口の脇に立っているオシゲに近づいた。


「五円玉で何とかなりませんか?」

「月曜日に使いましたし、お嬢様がいますから効果がないかと」

「月曜日?」

「ええ、ある一定の時間を空けないといけません。それに、あの術は本人の深層心理を引き出すものです。月曜日は内心、帰りたい、眠りたいと言う気持ちだったのでしょう。トシちゃんが男性って知った時点でテンションも下がったように見えましたし。それに対して今日は、お嬢様を目の前にして興奮状態です。ですから効果はありません」

「じゃあ、さっきのおばさんも」

「少しは優しい気持ちも残っていたのでしょう。そうで無ければ、とうの昔にセンターに引き渡したでしょうから」


 センターに行かなかったのは、お金をケチっていただけのような気もする。だが、世話をすると聞いた神社にわざわざ捨てに来たということはオシゲが言っていることもあながち間違っていないような気もする。本当のところはどちらだろうか。よく判らない。


 それにしても、オシゲの催眠術に制約条件があるとは驚きだ。いやいや、制約条件があったとしても相当インチキというかチートな能力だとは思うけど。今度、催眠術を教えてください。と、お願いしようとした。その時に、三条院の声が響き渡る。


「みんなリムジンに乗ってくれないか? マイハニーの要望なんだ」

「三条院様。私は仕事がありますゆえ帰らせていただきます」

「そうか、梓が来ないとは残念だな」


 三条院は言葉とは裏腹に頬を緩めて目じりをたらしている。一番の天敵が消え去ることの嬉しさを隠せていない。足取りも軽く我先に動物病院の駐車場を占有しているリムジンに乗り込む。


 もしかして、僕たちの後に患畜さんが来なかったのは、この車が邪魔で入って来られなかっただけじゃないのか? 場違いなリムジンを見つめる。もっとも、場違いなのはリムジンだけじゃないか。


「それでは僕も帰ろうかな」


 と言いかけたときに、腕をぎゅっと掴まれた。陸香が不安そうな目で僕を見ている。言いたいことは分かる。でも、オシゲが帰ったということは、任せておいていいということではないか? 所詮、僕は単なるバイト。家庭の事情に係わるべきではないのでは?

 断ろうと思った。本当に。

 しかし、リクの訴えかけるような瞳に……。


「判ったよ」


 僕は答える。オシゲは僕に陸香のことを託したのかもしれない。ここで帰ったならば陸香にもオシゲにも見放されるに違いない。僕は意を決して目の前のリムジンに乗り込む。


 で、驚く。すげー。まじかー。車内のインテリアに目を奪われる。一番違和感があるのがガラスの食器棚だ。ジュースとかケーキとかが完備されている。徹が貸してくれる漫画週刊誌にで見たお洒落なバーと大差ない。僕は内心驚きながらも平然を装いながらソファーに座る。


 やばぃ。このソファーは、ふかふかだ。僕はシートベルトを探しながら、軟らかいソファーでジャンプして遊びたいという欲求を我慢する。


 偉そうにソファーにもたれかかり前方を見ると液晶テレビがある。しかも二台。何のために二台もついているのだ? 一台くらい貰ってもばれないよな。


「もしかしてテレビ外そうとしている?」


 陸香の耳打ちにはっと我に帰る。そうだ。テレビがあったとしてもアンテナが無い。それって完全に無意味だ。持って帰る必要など無い。


なんてこった。初めて動物園に来た園児のように興奮している。でも仕方が無い。車に乗るのが久しぶりというだけでなく、こんな高級インテリアが装備されている異世界の車に乗るなんて初めてなんだから。

僕ははしゃぎたい気持ちを何とか鍵のかかった心の箱にしまいこむ。


「では、そろそろ出発してもらうか」

「待って。どちらへ?」

「フランス料理は? 近くに中々のお店があるんだ」


 うっ。フランス料理ってどんなんだ? ピザとかパスタとかがフランス料理だっけ? いやいや、それはイタリア料理だ。ちょっと待て。昔、詩乃に借りた料理漫画に載っていたはず。思い出せ、どんなんだったか。うまい~。とか、叫んでいただろ主人公が。


 そうだ。確か、フォアグラ、トリュフ、キャビアだっけ? ん? それは、三大珍味か何か。でも、フランス料理がどんなのだったとしても、テーブルマナーなんて知らない。判らない。どうせなら、手づかみオッケーのインド料理にしようじゃないか。オシゲが食べた超辛カレーならばテーブルマナーより辛さへの耐久力勝負だ。勝ち目はある。よし、つくばのカレー店に直行だ。


「今日は中華料理にしましょう」


 陸香が決定したとばかりに言うのを聞いて心の中でこけた。せめて提案くらいしたい人生だった。


「分かった。ハニーが言うならば中華にしよう。横浜でも行くか」

「いいえ、近くの素敵な中華料理店を知っていますので、そこにしましょう」


 当然のことだが僕に発言権などなく、そもそも存在感すらあるのか不思議に感じられるほど勝手に、陸香と三条院で話が進展していく。


「ところで、その中華料理店は何処にあるんだ?」

「トシ、案内お願いします」

「はい。って、はいー?」


 僕は思わず大きな声を出してしまう。どういう話の流れで詩乃の中華料理店を案内することになったのだろう。唖然としていると、リクが耳打ちをする。


「確か、詩乃の家は中華料理店だったよね」

「そりゃ中華料理って言えば中華料理だけど中華料理って言うよりラーメン店が正確で、しかも大衆向けだし、スルメの希望とは違うんじゃないかな」

「スルメって?」

「三条院の……。とりあえず、それは置いておいて本当に詩乃の店で食べるつもり?」

「トシは横浜の中華街まで連れて行かれたいの?」


 行きたくないと言ったら嘘になる。というか、修学旅行くらいでしか県外に出たことがない身としては、是非とも行きたい。横浜ってとてつもなく格好いいイメージがあるし。


「トシ、お願い」


 僕が横浜のイメージをいくつも浮かべていると、陸香が真剣な表情で頼み込んでくる。唇をギュッと閉じて僕の返答を待っている。そんな態度の陸香を見た僕には、詩乃のお店を案内する以外の選択肢は消滅していた。

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