第21話 オバリタ

 少しは空気読め。僕は突如、強引に診察室に入ってきたおばさんに心の中で文句を言うが、当然、聞こえるはずも無い。そのままスーパーメタボな体で床を破壊しようとする音を立てながら先生に近づく。


「どうなってるのよ。先生が神社に捨てるのがいいっていうから、行ったら文句言われたじゃないの」


 圧巻の勢いに先生は少し表情をこわばらせる。が、毅然とした態度で言い返す。


「そんなことは言っていませんよ。神社で捨てられた子を避妊手術までして面倒見る方もいるのだから、ご自分で繁殖させた子犬たちくらいちゃんと面倒見てください。って言っただけです」

「どう聞いても捨て場所は神社って言っているじゃない。だから、この子犬の面倒は病院でお願いね」

「できませんよ。子犬をあげますの紙くらいは貼っていただいても構いませんが」

「どうなってんの。この病院は。顧客満足度考えてないの?」

「そんなこと言われましても、出来ないことはできません」

「迷惑なのよ。センターだとお金かかるし」

「お金の問題ですか? 命の問題じゃないのですか? 犬にだって個性があります。難しい子だっています。育てるのが大変とか、思い通りにならないとか、身勝手すぎませんか」


 先生の声が疲れている。きっとウンザリとした表情をしているのだろう。それに比べて目の前のおばさんはとてつもなくエネルギッシュだ。体からいやーんな感じのオーラを発散している。


「お金以外に何が重要って言うの。売れない犬なんて金を食うだけじゃない」

「何てこと言うのですか! あなたにペットを飼う資格なんてありません」


 先生の言葉ではない。横に立っていた陸香が怒鳴りつけたのだ。白い頬をを赤く染め、今にも殴りかかりそうな迫力だ。


「誰よあんた五月蝿いわね。引っ込んでなさい」

「何ですって!」


 一歩前に踏み出した陸香のことを僕は手を横に伸ばして押し留める。


「おばさんの方が五月蝿いよ。僕らが診察室にいたのにどうして入ってきたんだよ」

「何よ。生意気な餓鬼ね。目障りだわ」

「目障りだって思うんなら、僕らの行く先々に現れないでほしいものだね」


 僕の言葉におばさんは、ようやく気づいたようだった。僕たちが昨日神社で会った人間だと言うことに。


「ああ、昨日は暗くて気づかなかった。こんな餓鬼と分かってれば、そのまま捨ててくれば良かった。わざわざここに文句を言いに来なきゃいけなくなるし。ホント、骨折り損だわ。忙しいのに」

「おばさん。最低だな」

「クソ餓鬼が偉そうに。丁度いい。あんたらが先生の代わりに犬の世話をすればいい」


 言っても分からない奴は殴っても構わない。そんな法律は無いが、この場合、オッケーだろ。僕は拳を握る。掌に爪が食い込むくらいに力を入れる。

 しかし、殴らなかった。勿論、いくら嫌な人間といえども殴るのが躊躇われた。というのもあるが、それより、見知った人影が扉の向こうに見えたから。


「どうしました?」


 オシゲが営業スマイルをしている。青で固めた服装のオシゲが発した軟らかい物腰の声に病室内の人間は引きつけられる。クレーマーおばさんも無視することが出来なかったようで、振り向いてしまっている。


「何よ、あんた。今取り込み中なの」

「それはそれは。詳しく説明していただければ、お手伝いいたします」

「だから、こいつらに犬を引き取らせようとしているとこだから」


 おばさんはじれったそうに話す。けど、さっきまでいなかった人にそんな説明で分かるはずがないだろ。

 しかし、オシゲはおばさんの主張は当然と言わんばかりにコクコクと頭を縦に振る。腕を組んで考え事をするように目を閉じた後、胸ポケットから五円玉を取り出した。


 オシゲはゆっくりと僕の横まで歩いてきてから、糸のついた五円玉をおばさんの目の前に差し出す。オシゲが大きな柱時計の振り子のように五円玉を動かすと、おばさんの瞳も徐々に五円玉のように動き始める。


「やっぱり、ご自分の犬は責任を持って飼うべきですよね」

「でも、いらない犬はいらない。お金が欲しいの」

「駄目です。そんなことを言っては。可哀想ですよね」

「そんなことはない」

「いいえ、可哀想です。ちゃんと飼い主として可愛がってください」

「あたしが飼い主?」

「そうです。あなたが飼い主です。可愛がってください」

「可愛がります」

「責任を持って飼ってください」

「責任を持って飼います」

「それでは、もう今日はお帰りください」


 オシゲは五円玉をポケットにしまいこんでから、ポンと手を叩いて大きな音を出した。すると、おばさんはフラフラとよろめきながら出口に向かって歩き出す。


「夢遊病者みたいですけど、車の運転とか大丈夫ですか?」

「病院から出れば意識ははっきりするでしょう。犬をちゃんと飼うという潜在意識だけ残ったまま」


 まるで魔法使いだ。いやいや、猛獣使いだ。病室内で暴れまわる猛獣を宥めるだけでなく、しっかりと役割を守らせた上に手懐けた。ん? 手懐けたというのは、ちょっと違うか。何にせよ。上手く丸め込んでくれて助かった。


「ところで、今日、後鷹司さんが来られた理由は、今の件かな?」


 振り向くと先生は診察台に手をついて髭をなでていた。


「そうです。先ほどのおばさんが昨晩、犬を捨てに来たときに、先生が神社に捨てろと言ったって言い訳をしたのです。なので、失礼かと思いましたが話を伺いに来たのです」

「ごめんな。名前を出しちゃって。今度、お詫びをするから許してな」

「いえ、こちらこそ早とちりして申し訳ございません」


 陸香が深々と頭を下げると、先生は不思議と嬉しそうだった。このまま少し和んでいられるのかと思いきや、オシゲが僕と陸香に話しかけてくる。


「どうやらこちらは無事に片付いたようですね。それでは、こちらの用事をやっていただきますか」

「用事?」


 陸香はオシゲに尋ねるが、オシゲは何も答えずに病室から出て行ってしまう。僕たちが最後だったから今日の診察は終わりかもしれない。それでも、先生の時間を無駄にするわけにも行かない。僕と陸香は先生に御礼を言う。


「お忙しいところ申し訳ございませんでした」

「気にしないでいいよ。あの人には前から困っていたんだ。君たちのおかげで助かったよ。また、気楽に遊びに来てよ」


 動物病院に遊びに来ていいのだろうか? いやいや、言葉通りに受け取る必要は無い。でも、本当に遊びに来ても喜んでくれそうだ。この先生なら。

 陸香と一緒に頭を下げて病室を出ようとすると先生もついてくる。


「先生。ここでいいですよ。気を使わないでください」

「単に患畜さんがいないか様子を見にきただけだよ」


 結局、先生は入り口まで送ってくれた。そして、にっこりと笑う。


「ところで、そちらの彼は彼氏さんなのかな」


 胸の心臓がドクンと強い音を立てる。


「いえ、違います。スケベで甲斐性無しで彼女いない歴イコール年齢のこの人は、完全に間違いなく誰が見ても疑うべくもない単なる神社関係者であって、彼氏とかそういう存在ではありません」


 陸香は先生を言葉だけで突き飛ばせそうな早口だ。一気に言い終わると怒っているのか顔を少し赤らめている。そこまで、僕のことを否定しなくてもいいのに。溜息が出そう。うんざり気味の僕は先生にもう一度小さく頭を下げてから動物病院を出た。


 とてつもなく、酷い一日だったような気がする。でも、神社に戻ったら境内の掃除くらいはやらないといけないよな。僕はあと一踏ん張りする必要があると気合を入れ直していると、何処かで聞いたような声がした。


「おお、僕の愛しい陸香。相変わらず今日も美しい」


 突如、薔薇の花束が陸香の目の前に突き出された。何事かと思いきや王女様に跪く騎士のようにモヒカンが片膝をついて花束を差し出していた。

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