第15話 夜の見張り

 夜の境内は灯りがついているものの人がいないので寂しげな感じがする。ジャージ姿の僕はもう一枚上着でも用意しておけば良かったと思いながら、社務所の建物の陰に隠れながら境内と駐車場を監視していた。


 別に、ラブラブカップルを覗き見しようとしているわけではない。そもそも、桜の咲く時期なのにメチャ寒い。こんな時期にこんな場所でアツアツしようともあっと言う間に冷えますから残念。覗き見したいなんてちっとも思っていないから。ホントだって。


 僕は時計が十時になるのを確認して、あと三十分くらいで部屋に帰ろうと考えていた。すると、背後で人の気配がした。


「そんな格好で寒くない?」


 陸香だった。冬用のロングコートを羽織っている。風呂上りなのか、周囲に少しだけ熱気と石鹸の爽やかな匂いがする。


「わざわざどうしたの?」

「トシがいるのも見えたから。トシこそこんなところに隠れて覗き?」

「違うって」

「それなら何をしていたの?」

「聞きたい? 後悔しても知らないよ?」

「そう言われると是非とも聞きたい」

「本当に? 何が起こっても知らないよ」

「結構、もったいぶるタイプだね」

「ほほう。そんなことをおっしゃいますか、フロイライン、リク。どうなってもいいのですね」

「ふーん。もしかして夜這いでもしようとしていたとか?」

「その通り、リクを襲おうとしていたのだ」


 僕はフランケンシュタインの怪物のように両手を上げて襲い掛かる振りをした。


あまりの迫力のある僕の姿を見た陸香は驚いて泣きながら部屋に戻り、僕のことを少しは信用していたのにそれは誤りだったと次の日に大喧嘩になる。なんてことはなく、陸香は僕のことをじいっと見つめている。そして溜息をつく。


「いつになったら襲ってくれるの?」

「いや、襲ったらまずいじゃない」

「ヘタレ」


 うっ。僕は行き場を失っていた両手を下ろす。


「弱虫」


 ぐっ。言葉の矢が刺さって苦しくなった胸を押さえる。


「根性なし」


 ぐはっ。胃を押さえながら体をくの字に曲げる。


「臆病者」


 げほっ。こみ上げてくる胃液の酸っぱい臭いを我慢しながら両膝を地面につく。


「据え膳食わない男の恥」


 ひでぶ。止めてもう既に体力はゼロよ。僕は地面に横たわる。生命力が段々と失われていく。ああ、鐘の音が聞こえてきた。母さん、僕は一生懸命頑張って生きてきたよ。でも、僕は疲れたよ。ちょっとだけでいいから休ませてくれよ。アーメン。


 その時、地面に寝転んでいた僕は、気脈を通じた大地から車の走行音をキャッチする。そして、急いで立ち上がる。


「結構、復活早いね」

「それどころじゃない隠れて」


 車のライトが駐車場を照らす。値段が高めのミニバン車だ。は駐車スペースの一番端に停めたかと思うとライトを消した。エンジンはかけっぱなしだ。

 あれがカップルか何かなら今日は帰ろうと思っていた。しかし、ドアが開く前にトランクが開く音がした。そして、運転席から人が降りてくる。

 僕は陸香を置いて境内の影の部分を小走りで移動する。駐車スペースの端といえども街灯が近い分、僕のいる場所より明るい。よほど注意していない限り見つからないと判断して大胆に近づく。


「何をしているんですか?」


 僕はトランクから箱を取り出していた運転手を懐中電灯で照らした。懐中電灯の光を左手で避けていた運転手は昼間に出会った太った女性だった。手には箱ではなくペットを入れるケージを持っている。中はよく見えないが、見る必要も無い。こちらのニオイに反応して吼えている。しかも、一匹ではなく複数の犬が。


「あんたには関係ないでしょ」


 精一杯偉そうに怒鳴ってみました。そんな感じの声。中学校のときの大嫌いな教師がよくこんな声を出していたっけ。思い出して胃がむかむかしてくる。


「関係ありますね。ここは神社の所有地ですから。あなたはその犬をここに捨てようとしていましたね」

「そんな人聞きの悪いこと。単に引き取ってもらおうとしていただけだわ」

「自分勝手だな。許されるとでも思っているのか?」

「あら法律で禁止されているとでも?」

「常識だろ。動物の愛護及び管理に関する法律に抵触するね。今すぐ警察に来ていただいて確認していただいても構わないぜ」

「何よ。獣医がここに置いていけば、犬たちの世話をしてくれるって言ってたわよ」

「ふざけるな。何処の獣医がそんなこと言うんだ」

「今日、坂下犬猫病院で言っていたわよ。神社の人が、ちゃんと避妊手術まで世話してくれるって」

「何だって?」


 頭の中の猛火が僕をキレさせた。捻じ曲がった考え方が許せない。気に入らなかったという理由だけで犬を捨てようとすることも人の親切につけこむようなやり方をすることも。右手の拳を硬く握りしめ、女性に殴りかかる。


「駄目!」


 僕の腕を誰かが掴んだ。その一瞬で我を取り戻し、振り上げた腕を下ろす。多分、太陽の明かりがあればこの女性には僕の血走った目が見えていたことだろう。それでも女性は多大な恐怖を感じたようにジリジリと後ろに下がる。


「分かったわよ。ここに置いていかなきゃいいんでしょ」

「当たり前だろ」


 僕は女性がトランクにケージを入れなおしている瞬間に車種とナンバープレートを用意していた単語帳にメモする。役に立つとは思っていないが、次に捨てに来ようと言う気持ちの抑止力程度にはなるだろう。


「何やってんのよ。あんた」

「見て分かるだろ。記録してんの。この車のナンバーを」

「うるさいわね。金払ってセンターに引き取らすからいいわよ。全く」


 女性は地響きでも立てるかのように歩き車に乗り込む。と、同時にバックしてくる。危ない。突っ立っていた陸香の腕を引っ張って引き寄せる。

 間一髪。陸香の体を擦りそうにバックした車は、犯罪者が逃亡するかのように荒い運転で境内から出て行く。

 車が出て行った方向を睨みつける。エンジン音が徐々に遠くなっていく。戻ってくる気配は無さそうだ。

 すると張りつめていた緊張が解けたのか、春の夜の寒さが体にしみてきた。


「無事に済んで良かったよ。これ以上ここにいても風邪を引くだけだから早く家に戻ろうよ」


 僕は陸香に声をかけたその時にようやく気づいた。陸香の様子がおかしいことに。暗かったとか車に気を取られていたとか言い訳はいっぱいある。けれども、僕は自分自身の鈍感さが嫌になった。


「あの子たち、どうなるか判る?」


 声が震えている。陸香は俯いているから表情は見えない。ただ、街灯に照らされた地面が一瞬黒く湿るのだけは分かった。

 何か言わなくてはいけないとは思ったが頭の中は空っぽで何も思い浮かばない。気の聞いた台詞の一言でも出てくればいいのにと唇を噛む。


「見ない振りをすればよかった。そう思わない? そうしたら、あの子たちはここで暮らせたのに」

「でも、タロもジロもいる。もうここには犬を増やす余裕は無いと思う」

「欲しいって言う人もいるかもしれない。最近、犬は拾っていなかったから……。ねぇ、今から貰ってあげるって言いに行かない? センターになんか連れて行く必要はないよ」

「センターって?」

「動物指導センター。育てることが出来なくなった犬や猫を引き取ってもらえる場所」


 引き取るって? とは質問しなかった。陸香の様子からだけでなく、引き取られた後の運命は容易に想像できる。


「スマホで動画取ったからさっきの人のこと調べられるよね?」

「リク。出来ることと出来ないことがある。出来ないことをやろうとするより、今いる犬猫たちの世話をすることが大事だと思う」

「そんなことは判っている。当然でしょ。私たちが何年あの子たちの世話をしてきたか知っている? それがどれだけ大変なことだか考えたことある? あのね。動物達の世話って学校と違って休みが無いの。土曜日でも日曜日でもお腹が空くし散歩も行かなくちゃいけない。雨の日は散歩を休む日もあるけど、ご飯は休めないの。その大変さは私自身が一番判っている。そもそもトシこそ私の何を知っているって言うの? 判るとでもいうの?」


 陸香の勢いに圧倒されていた。僕はジリジリと後ろに下がっているような感覚を得た。

反論できなかったわけではない。

 僕は既に気づいていた。陸香が感情を抑えられなくなっていることに。

そして、多分、陸香も理解している。自分の要求が適わないことを。それが判っていながらどうすることも出来ない想いを爆発させている。ならば僕が受け止めるしかないじゃないか。彼女の真摯な想いを。


「ごめん。僕の都合だけで考えていて今までリクがどれだけ苦労してきたなんて想像したこともなかった。ただ、捨てるのを止めさせればいいとだけ思ってその後どうなるかなんて知らなかったし知ろうともしなかった……」

「帰ろうよ」


 陸香は僕を励ますように微笑を創る。


「私だって判っている。全ての犬猫を助けることは出来ないし、助ければ捨てに来る人が増えていくってことだって。それに、あんな風に捨てられる子は病気とか障害があったりする子が多かったりして育てるのも難しかったりするの。でもトシには知っていて欲しかったの。理屈じゃないってことを」


 陸香はクルリと背を向けて下を向きながら歩きだした。

 元気になるような魔法が使えればどんなに幸せだろうか。だが、世界はそんなに簡単に出来ていない。わざわざ僕らの前に試練を配置しているかのようだ。

 陸香を玄関まで送ってからアパートへ向かう。部屋の中は寂しげな空気だけが詰まっていた。元よりテレビを見る生活なんてしていなかったから退屈には感じない。それでも、六畳半の空間はとてつもない広がりがある。僕は、その広がりを恨みながら今日と言う日を終わらせることだけを考えていた。

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