第14話 神社の猫と犬
「この子は先週、境内に捨てられていました」
「なんで……」
「判りませんが、困ったことにたまに捨てられるのです」
「でも、その度に飼っていたらとんでもないことになりますよね?」
「だからとんでもないことになっているのです」
神社の裏側、アパートの前まで来ると猫の鳴き声が聞こえてくる。アパートの奥は、小さな杉林になっている。まだ春だからか、下草などはあまり生えていない。だから、猫がいればすぐに分かるはず。それなのに擬態でもしているかのように見当たらない。
僕が杉林ばかり気にしていたら、いつの間にか陸香の傍には五匹の猫が集っていた。
「餌を期待しているのよね。でも、今日はもうないの。ごめんね」
「家で飼えないのですか?」
「お母さん動物嫌いですから。ここにいる分は黙認されていますけど」
「世話とか全部お嬢様がされているのですか?」
「朝はオシゲで夕方は私の当番になっています」
「それならば、今日、動物病院に行っていたのも当番だったからですか?」
「いいえ避妊手術の引き取りです」
「避妊手術?」
「これ以上、猫が増えたら困るじゃないですか。それに、貰っていただける人がいた場合も避妊手術とワクチン接種しておいたほうが嬉しいでしょうし」
「自腹でですか?」
「オシゲと割り勘ですけどね」
鼻の奥がツンと刺激を感じた。今まで自分のことしか考えたことが無かった。そうするだけの余裕が無かったのも確かだ。だが、そんな自分自身がとても小さく思えて、先日、陸香のことを軽蔑したことを謝りたくなった。
「どうしたのです?」
「いえ、大変だな。と思いまして」
「それほどでもありません」
「いえ、偉いですよ。立派です。中々できることではありません。尊敬します」
「からかわないでください」
「本気ですよ」
「でも、私、結構、不真面目です。今日もこの子たちの世話のために授業をサボってしまいましたし」
「しょうがないじゃないですか。子猫を引き取るためですから。自分を悪く言う必要はありませんよ」
陸香は不良が教師に誉められたときのようにはにかむ。
「でもでも、昨日は授業も三条院とのデートもサボってしまいました」
「それは動物病院に行くためですよね。仕方が無いです」
陸香は不満そうな顔をしている。何か言いたいことでもあるのだろうか。はしゃがみこんで足元にいた黒猫の頭を撫でる。撫でられた猫は小さい声で鳴いて体を彼女の足にこすりつける。
「千波君は私のことどう思っているのですか?」
どうって言われましても……。ていうか、どういう意味でしょうか? それはある意味、期待しちゃっていいのでしょうか?
答えに窮していると陸香は振り向いて僕を見上げる。怪訝そうに僕を見てから口を小さく開ける。
「あっ、そういう意味じゃなくて一般論としてです」
「一般論ですか」
ガクッと肩を落としそうになるのを堪える。落ち着いた振りをしながら答えを探す。
「お金持ちのお嬢様で清楚で可憐で美人で病弱で真面目で知的な女子高生。でしょうか」
僕の言葉を聞いて陸香は立ち上がる。スカートの裾を軽く払ってからL字を右手の親指と人差し指で作る。そして拳銃でも突きつけるかのようにその指を僕の頬に向けた。
「そんな人間がいるわけありません。はっきり言って迷惑です」
「でも、そんな印象をもっていると思いますよ。クラスのみんなは」
「千波君も?」
「そうですね。大して変わらないと思います」
「猫たちはいいよね。先入観なしで私とつきあってくれるのですから」
彼女は視線を落として猫を見る。夕陽がかげるような寂しさを僕は感じた。
僕は、オシゲの紹介で会ったときのことを思い出した。その時は、もっと生き生きとしていた。それに、オシゲは仲良くしてもらいたいって言っていたんだっけ?
もしかして陸香は心の壁があるのだろうか? だとしたら、どうすればいい?
僕は腕組みをしながら猫を見る。可愛らしい鳴き声でウロウロとしている。僕の足にも体をこすりつけてから、尻尾を立てて歩いていく。
ニャーと話しかけることができれば陸香も心を開くだろうか。猫語でも話すことができるのならば。いや、待てよ。猫語は無理だが、話し方ぐらいは変えることが出来る。やってみる価値はあるはず。迷う気持ちもあるが踏み込んでみよう。
「リクは自分を変えたいの?」
いきなり名前でしかもあだ名っぽく呼ぶことに抵抗感があった。それでもすんなりと言葉は出た。その僕の唐突な発言に、陸香はこちらを向いて暗闇の中の猫のように瞳を丸くする。そして目を細めるとやってくれるじゃないの。とばかりにフフンと嗤う。
「トシこそ女装趣味は考え直したほうがいいんじゃない?」
「ほほう。口調が変わると別人のように言ってくれるね。でも、僕が巫女姿をしているのはオシゲのせいだから。しかも、奥様も誰かの身代わりにしようとしているから。そのせいで危うくモヒカンに襲われそうになったんだから」
「ごめんね。あの変態、男でも女でもみさかいないから」
「いえいえ、モヒカンはリクのこと一筋みたいだから大丈夫」
「それってまさか死亡宣告? モヒカンがどうこうって言うより性格に問題があると本人は知って欲しい」
「なら、断れば?」
「できれば苦労しないのですが……」
陸香は顔を伏せる。
「ごめん。おせっかいだった」
「ううん。そうじゃないの。このテンションが疲れちゃっただけ」
陸香は顔を上げて息を止めているように疲れた表情をしながらもえくぼを造った。
僕は調子に乗って無駄口を叩いてしまったことを後悔するが、今更、空気中に消えてしまった言葉を飲み込むわけにもいかない。
しゃがみこんで三毛猫の背中を撫でると、ふとケージの猫が気になった。
「ケージの猫の世話はどうするの?」
「可哀想だけどここで放し飼いにするしかないの」
「こんな小さいのに?」
「ええ、貰ってくれる人がいればいいけど、誰でもいいわけじゃないの。信用できる人じゃないと困るから」
「そうなんだ。猫も大変だね」
「でも、猫より大変なのが犬なの。散歩もあるし」
「そう言えば、犬は何処に」
陸香はケージから白黒ぶちの子猫を出す。僕はケージをブラブラと持ちながら犬を紹介してもらうために陸香の後を着いていく。
「えーと、タロとジロよろしくね」
陸香が犬小屋に近づくと、二頭の柴犬は駆け寄ってきて舌を出した。
「こっちが、トシ。よろしくね」
陸香は犬に向かって僕を紹介している。
「どうしたの? タロとジロににおい嗅がせてあげないと、トシのこと覚えてもらえないけど」
そう言われても僕はあまり近づきたくなかった。すると、近寄ってきて僕の手を握った陸香に引っ張られる。力はそれほどでもない。だが、僕は逆らうことが出来ずに引き寄せられる。
「時々、巫女の姿をしているけど匂いで区別してね」
二頭がクンクンと僕の足元の匂いを嗅ぎまくる。そして、分かったとばかりに大きな声で二度ずつ吠えた。
「はあーん。トシはもしかして犬が怖い?」
「違うって。苦手なだけ」
「ふーん。タロ、ジロ。私がトシに襲われたら助けてね」
「そんなことしません。オシゲさんじゃないんだから」
陸香は僕のことを無視して犬たちと話し始める。あまりにも熱中しているので、鞄を置きに自室へ戻ろうかなと悩み始めた頃、陸香は立ち上がった。
「ごめんね。最近、遊んでなかったからつい熱中しちゃった」
「気にしないで。それにしても、リクは犬が好きなんだ」
「猫もね。好きじゃなきゃ世話なんてしないよ」
「でも、大変なんでしょ」
「数が多いから」
「じゃあ、僕も手伝うよ」
「でも、犬は嫌いなんでしょ。それに、時間帯がかぶるから私がやっても同じだし」
「遠慮しなくていいって。あと、犬の散歩にもってこいの人材がいるんだけど。多分、猫用の煮干程度の給料で大丈夫な人が」
キョトンと少しだけ首をかしげている陸香に向かって僕はウインクした。
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