第11話 母は貧乏神
学校を終えてから久しぶりに帰った自宅は少し寂しげな気がした。自宅と言っても借り物。四十年物のアパートはその存在していることすらたくましく感じさせるほど古びている。鉄筋であることくらいしか自慢ができそうに無いアパートの階段を昇り、手持ちの鍵を玄関のドアに使う。
ドアを開くとコタツに頭だけを横向きに乗せて寝ている女性が目に飛び込んできた。気持ちが良さそうなので、起こさないように静かにドアを閉める。
「あっ、俊史お帰り」
目を半分だけ見開いて僕を見る。
「母さんは働く気は無いの?」
「働かせてくれる職場が無いの」
呪文のように唱える母。幼少の頃からずっと聞かされている言葉。だが、それが嘘でも冗談でもないことは僕自身がよく知っている。
母が働くと、何故か不幸な出来事が多発して会社自体が消滅してしまうか、上司に土下座をされて辞めることになるかどちらかである。
一番長く働いたのが市内の納豆工場。一ヶ月間頑張って働いていたが、受注の消滅と度重なるライントラブルが発生したことにより工場長から直々にお願いされて失職した。
一番短かったのが近所のコンビニ。スケベ店長が母に手を出そうとしたところトラックが突っ込んできた挙句タンクからガソリンが漏れて引火。死傷者がでなかったのが不思議なくらいに店舗は全焼。仕事は失職。母は怒って顔を膨らませていたが、自宅店舗が地図上から消滅したコンビニの店長の方が悲惨だ。
こららの経験則から二つ分かっていることがある。
まず、母はとてつもない貧乏神だということである。近寄るだけで呼吸による酸素が消費されるかのように財産が消滅していく。
次に、母が怒ったり泣いたりしたが最後、店でも会社でも個人でも不幸な目にあってしまうということである。
そう言えば、以前借金取りが家に来たとき母に暴力を振るおうとした人間がいた。その人物は、突如、痛風が発症し叫びながら台所で転がりまくった後で、泣きそうな顔して同僚の人間と帰っていった。他にも、突如、心臓病や脳溢血で倒れたりした人も……。
思い出しただけで寒気がしてきた。僕が身震いをしていると、母は動くのも面倒くさそうにしながら話しかけてくる。
「今日、詩乃ちゃんの店にラーメン食べに行ったら、店長に『届けるから来ないでくれ』って言われた。酷いと思わない?」
ちっとも思わない。僕の友達の家を破産させる気? 本来はしないはずの特別出前をしてもらっているのだから、それだけでもありがたい。
「で、お金はどうしたの?」
「あれば良かったんだけど……」
「ということは?」
「ピンポーン。俊ちゃんの今月の給料から前借してもらっちゃった」
「ちょっと待った。僕の体は一つしかないから、詩乃んちで働くことは不可能だよ?」
「何とかなるわよ」
そりゃあ、母さんは今まで何とかなってきたし、大した苦労はしていないけど、周囲はとんでもない目にあってきたんだって。父さんが僕たちを捨てて夜逃げをしてしまったのもそこら辺が原因にあるわけだし。
僕は溜息混じりにアパートを出た。母さんに会えたのは嬉しいし、家の中もテレビすらない殺風景な部屋だけど、少しも変わっていなくて安心した。もっとも、数日でそんなに大きく変化することはありえないのだが。
が、またしても母さんの借金を背負わされたことに気が滅入る。こんなことなら参考書を取りに家に帰るんじゃなかった。とか一瞬思うものの、冷静に考えてみれば帰っていなくてもどうせ借金は増えているわけだから相変わらず元気な母さんの顔を見れただけマシなのかもしれない。
借金生活の現実逃避をしながら自転車に乗って神社へ向かう。次の角の動物病院を曲がれば大通りから行くより少し近い。僕がゆっくりカーブを曲がると突然目の前に車が現れる。
危ない! ブレーキを思いっきり握るが車に……当たりそうなところでなんとか停止する。もし、この車が動いていれば撥ねられたに違いない。だが、目の前の車は停止しているおかげで助かった。
勿論、僕は悪くはない。ぶつかりそうになったのは、車が動物病院前の駐車場から道路の車道側へありえないほどはみ出していたからだ。僕は深呼吸をしてから車を見る。
高そうな大きめの外車だ。大きいから停めづらいのは理解できる。けれども、駐車スペースがあるにも拘らず無視しているのは腹立たしい。ぶつかっていたら僕の借金が更に増えていただろうから。
蹴飛ばしたくなる気持ちを抑えながら誰も乗っていない車を睨みつける。こういう高い車に乗っている人間に限ってマナーを守らない人が多いような気がする。この手のルールを守らない人は、金持ちは一般人より優遇されるべきとか我儘が許されるべきとか思っているのだろう。僕は世の中の理不尽さを考えながら、不条理な自分自身の貧乏体質に泣きたくなる。
きっと、世の中って奴は幸せな人は幸せばかりで、不幸な人間は不幸が続くんだ。デフレスパイラルのように貧乏になったらどんどん貧乏になる一方通行に違いない。考えなくても分かる。陸香みたいに金持ちの子供は苦労せずともお小遣いをもらえるわけだし、僕や姉、オシゲは生きるために頑張らなくてはいけない。
「お嬢様もちょっとは苦労してみやがれ」
意地悪い一言を解き放った瞬間に目の前に当人がいる。そんなことあるはずがない。と思うかもしれない。だが、言葉の魔力なのだろう。悪口を言うとその人を引きつけることがあるわけで……。
僕の頬は引きつっていた。動物病院から出てきた陸香とバッタリと出会ってしまったから。
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